失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『ヒップホップ・ドリーム』(漢a.k.aGAMI、2019)

私が大学生の頃、「フリースタイルダンジョン」というテレビが流行しており、ヒップホップやラップというカルチャーに衝撃を受けるとともに、ハマるきっかけになりました。モンスター漢a.k.aGAMIとチャレンジャー晋平太との闘いで語られるヒップホップの現場でのリアルには衝撃を受けました。BAD BOYにあこがれた私にとって、漢a.k.aGAMIや彼等ラッパーの語る世界は、私の心を少年に戻すような魅力的なものでした。

 

そんな思い出もあるなかで、いまは音楽としてのHipHopやラップというものも大好きです。最近、舐達磨の曲にハマっていくなかで、音楽としてHipHopではなく、生き様として知りたいなと思い、何冊かラッパーの書籍を購入した次第です。

masayuk1.hateblo.jp

 

読んで思い出すのは、中学校の頃の思い出です。

漫画の「クローズ」が映画化され、品川庄司の品川の自伝小説「ドロップ」なども流行っていた中学時代。平成の末期の始まりくらいの時期ですが、毛量の多い、現代の価値観からすると野暮ったい不良が多かった気がします。

進学校中高一貫の私立中学に通っていた私は、純粋培養で育っていました。方や小学校の時の友人が公立中学に行ってバイクで校庭を走り回ったり、カツアゲが存在する環境で、失礼極まりないですがまるで漫画のような世界感を生きていることにうらやましさを覚えていました。不良に淡いあこがれを持っていた中学生です。

 

そんな中学も終え、純粋培養で高校に進んだのち、弟が母校(小学校)の祭りに行くとのことで4年ぶりに祭りに行きました。そこで地元で不良街道を進んでいる太郎と久方ぶり再会しました。

太郎は小学校の時、私にジャンプの漫画版を教えてくれたやつです。NARUTOを一緒に読んで、木から飛び降りるときに足にチャクラを込めればケガをしないということに気付き、様々な高さから飛び降りるチャレンジをしていました。なんでかわからないですが、一緒にタイムカプセルを作って埋めたのも覚えています。太郎はやんちゃでとっぽいというか、江戸っ子的な気持ちよさはあるのですが、育ちが良いやつで、地元の習字教室の先生の息子で、市で一番字が上手いとかで表彰もされていました。

そんな太郎もぐれていたのか、格好をつけていたのかわかりませんが、高校一年生にして、二本出しマフラーのDIOにニケツで乗っていました。「かねっち~」なんて言われてしゃべった気がするんですが、友達と思われる恥ずかしさと、久しぶりに会う恥ずかしさと、太郎に比べてダサい(不良指数が低い)私の恥ずかしさと、あんまり話が弾まなかったのを覚えています。

 

次に会うのは成人式なんですが、疲れたので、また今度書こうかなと思います。

 

ともかく不良にささやかな憧れを持つ私は、結局グレるんですが、どちらかというと気持ち悪い文学少年的なグレ方でした。川端康成の『雪国』に出てくる島村のように女性と相対したいと思ってましたし、『金閣寺』の柏木のようなニヒルさで行動ではなく思想で世の中を変えたいと思ってましたし。気持ちのよさのかけらもなく、理想の喧嘩っ早い江戸っ子像からはかけ離れていきました。

 

多少落ち着いたいま、不良リスペクトで外身を近付けようと、ビッグスクーターを買っていじって走って遊んでいます。

もともとどこかのお兄ちゃんが不良カスタムしてくれているので、デフォルトで二本出しマフラーになっていますが、メンテナンスができていないので、愛情もって日々直しに出しています。

太郎みたいに後ろに乗せる友達もお姉ちゃんもいないですが、再会するときまでには不良指数高く在りたいと思います。

 

 

『人間の條件』②(五味側純平、1956)

長らく積読でしたが、この前読み始めたら面白すぎて止まらず読み切りましたが、ブログを書くスイッチが入らず、入れられず、久しぶりに文学少年モードで書こうかなと思い立った次第です。

 

2巻は、梶と中国人労働者や同僚或いは美代子との関わりのなかで、ついに仕事で抱える矛盾に耐え切れず波乱を起こしていく物語となっております。

この巻で一番印象的で衝撃だったのは、インテリ中国人労働者の王享立の手記です。約10ページにわたり漢字+カタカナで書かれた手記は、自身や仲間の労働環境の現実をつまびらかに誇張することなく伝えるものでありますが、その現実が衝撃で、胸をえぐり、頭を揺らすものでした。

まさに「人間の條件」。人間を人間たらしめるのに必要なもの、それは尊厳なのか、食事なのか、睡眠なのか、性なのか、あらゆる側面から手記は分析を加えますが、ともかくもその環境は、人間を動物にする、人間でなくするには最適で最も効率の良い方法であるのです。

 

手記の最後は

「私ハ日本人管理者ガ私に紙ト鉛筆ヲ与エテクレタコトヲ深謝シマス。紙ト鉛筆ヲ手ニエイテイル限リ、私ハマダ人間でアルコトヲ私自身モ他人モ認メルデショウ。ケレドモ、コウ書イテイルウチニ、既ニ紙ノ余白ガナクナリマシタ。コレハ、ツマリ、人間トシテノ条件ノ儚イ限界ヲ示シテイルコトデス」

と締めくくられます。

 

私が今生きる環境は真逆で、自由を謳歌できて、むしろ食にあふれており、人間を人間たらしめることができるのです。

しかし油断すると人間を人間として生きられていないような気もして。寝て起きて、寝て起きて、死なないためにパンを食べて、スマホの変わりゆく画面を眺めて。死ぬ可能性はないし、幸せで平和な人生なのかもしれないけれども。人間を人間とするのは、王の手記にある通り、考える力であるのかなと思います。

自由な思想や思考で考えることができる世の中なのに、気付くと考えを放棄していることも多くて。

 

個人事業主からサラリーマンに戻ってわかるのは、別に頑張っても頑張らなくても変わらない環境で、考えても考えなくても変わらないような気がするんだけど。

それは全ての放棄で、人間を人間たらしめる未来を考え語る力を発揮できてないでももったいない気がして。

死んでるように生きることのないよう、濃密に考えて時間を過ごそう。せめて今日くらいは。

 

 

 

『さりげなく人を動かす スゴイ!話し方』(2017、山﨑拓巳)

掃除をしていたら、某ネットワークビジネスのお兄ちゃんから借りパクしてしまったこの本を発見しました。貸し付けられたというのが近いのかもしれないですが、私は生命保険のセールスをしているときに、ネットワークビジネスに近い商売だなと思っていたこともあって、少し研究していました。というのも私も世間同様に、ネットワークビジネスマルチ商法について嫌なイメージを持っていましたが、それを乗り越えて売りまくっている人たちがいるわけで、どうしているのかなと気になって、YouTubeで日本一のネットワークビジネスキングの方の動画とかも観ていました。

 

この本の著者も有名人で、動画も観たことはありました。スゴイ胡散臭いのですが、人に物を伝える、考えさせて決断させるということについて、かなり研究している気がしてて、この本を読んだときも答え合わせではないですが、こうやって考えているのかと結構沢山メモを取って、スマホにも残っていました。

 

最後にメモはそのままコピペで貼っておきます。

 

この本を読んで思い出すのは、私がキャバクラが苦手というエピソードです。

生命保険セールスのときに、べらぼうに高いキャバクラに連れて行ってもらいました。連れていってくれた先輩は、キャバクラやガールズバーで自分のトークの切れ味を試して、うまくなって今があるというようなことをおっしゃってて、尋常じゃない雰囲気と試されている感じと、若さを押し出して盛り上げなければならないというプレッシャーと、色々とごっちゃになって辛かった思い出です。

 

そんなこんなで楽しんでいる先輩方を後目に、恥で程よくおとなしくしていたのですが、そこに来たのがある女性で、初出勤で仙台から出てきた(らしい)子で、色が白く小柄で華奢な女性でした。

借りてきた猫のようなカネコと、初出勤で緊張している子と、すみっこでまじめに話していたのですが

「お前はそんな幸の薄そうな自分と波長の合うやつとばっかり付き合っているから売れないんだ」

とダメ出しされ、緊張で飲みすぎて、お礼メールを考えるのにも疲れ、大変な一日でした。

 

もうきっと、あんなちゃんは辞めていると思うのですが、私の名前で入れてくれたシーバスリーガル12年は減ることなくずっと置いてあるのか捨てられたのか。

 

きっと内向的な私は、仕事や好きな人のことを知りに行くのは楽しいんだけど、うまくはしゃげないのかもしれないです。

(でもたまに誰かからもらう動画では、楽しそうに飲みつぶれてたり、歌ったりしてますが…あまり記憶にないのです。)

 

また先週末も、接待的なキャバクラで、もじもじガチ口説き面白くnightをかまして、ダメ出しをいただき、

「最近の若者はこういう場所に連れてきても、楽しくないのか」

と最後は反省させてしまったみたいで申し訳なかったです。

やはり私はキャバクラは楽しめないみたいです。

追記:読書をしたときのメモ

 

①人を動かす
モチベーション1.0
…生存するため(生理的欲求)
モチベーション2.0
…報酬のため(社会的欲求)
モチベーション3.0
…自分が好きだから(自己実現欲求)

自動詞の使い方
…人は他動詞と自動詞を区別できない
 頑張れ→頑張ろう、京都へ行く→京都へ行こう

 

会話を深くする10の質問
・制限がないならどんな人生になったらいいですか
・人生で一番大切なものは何でしょうか?今一番何を大切にしていますか?
・人生で大切な10個、それはなんですか?
・いま不安なことはなんですか?何故それが不安なのですか?それを解決するには何をしたらいいですか?
・旅に出るならどこに行きたいですか?何故そこに行きたいのですか?
生活の中で一個、変化を与えるとしたらなんですか?
・いまのチャレンジはどんな意味があるのですか?誰を喜ばせたいですか?何故その人を喜ばせたいのですか?
・何故働くのですか?何故頑張るのですか?

タイプ別の売り込み方
・人との繋がりを重視するタイプ
…とにかく自分を気に入ってもらい、信頼関係を築くこと。自分が相手のことを好きになること。
・権威、権力、資格などを重視するタイプ
…お墨付きであることをアピールする。
・費用対効果を重視するタイプ
…値段に見合った効果があることをデータで示して説明する。要点をまとめ、結論から話す。

ダブルコミュニケーションを利用する
…自分の態度や調子などから、自分の本音は見抜かれる。相手のダブルコミュニケーションを見抜く能力を利用して、色々な情報を伝える


相手に「夢を持ってもらいたい」ときの一言
…「何を未来と約束しているの?」

プレッシャーに弱い相手を頑張らせたいときの一言
…頑張らなくてもいいからマメになる

諦めそうな人を励ますときの一言コメント
…「裏切るって夢の方?それとも自分?」

初対面の相手との距離を短時間で縮めたいときの一言
…「もう○○さん、ムチャクチャ好きです」
その人の素敵ポイントを探す。
「かつて一番頑張ったのは何でした?」
「何に人生で一番感動しましたか?」
「どんなときに一番ワクワクしますか?」

相手のモチベーションを上げたいときの一言
…「チカラ、貸してね」

お客様から絶対に「Yes」を引出したいときの一言
…「ここはもう決定ということでいいですか?」
小さなYesを重ねる

夢を叶える自身が持てない人の背中を押すときの一言
…「そうなったとき、友達って言っていい?」

会議で沈黙になったときの一言
…「ぶっちゃけどうですか?」

謝罪しなければならないときの一言
…「そう思わせてしまったということは、そうしてしまったことと同じだと思います。本当にごめんなさい」

仕事でどうしても協力を仰ぎたいときの一言
…「これは仕事ではなくボクのわがままなんです」

セミナーで場が硬いときのほぐし方
…一分間のワークをする
セミナー
…笑いが大切、相手に問いかけて答えを考えさせる

『ほぐほぐマムアンちゃん』(ウィスット・ポンニミット、2020)

炎天下の人形町の甘酒通りと人形町通りの交差点で、日傘をさしたおじいちゃんがBig Issueを販売していた。営業中の私はやっていられないと思い、そろそろ喫茶店で休憩しようかなと思っていたところで、そんなおじいちゃんを見つけてしまい、自販機で買ったばかりの水を渡し、Big Issueを購入することになりました。本当に心配になるくらいの酷暑の日で、日陰でやられたらどうですかとお伝えはしたものの、そのあとが心配で堪らない経験でした。

 

購入したBig Issueをマックで読んでいると、素敵な漫画を見つけました。それが”マムアンちゃん”です。タイの漫画家さんが執筆されており、Big Issueでは”ののちゃん”や”コボちゃん”のような立ち位置の漫画のようです。

 

”マムアンちゃん”は、水彩画のようなタッチで、哲学的なやさしさを持ち、なにより可愛いです。一度読んで虜になってしまい、本も買ってしまいましたし、Instagramの更新を欠かさずチェックしています。

 
 
 
 
 
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みなさんも自分で自分に言い聞かせる応援のような言葉を発することがあるかと思いますが、マムアンちゃんがそれを日めくりカレンダーのように言葉を投げかけてくれるのです。

 

「暑いしサボってもいいよ、あなたはいつも頑張りすぎているんだから」

マムアンちゃんがそう言ってくれた気がしました。今日も頑張りましょう。

ハッピーマムアン

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『WE HAVE A DREAM~201か国202人の夢×SDGs』(2021、WORLD DREAM PROJECT編)

編者の方のお話を聞く機会があって、それきっかけで出会った本です。とても良い本で、たまに開くと元気がもらえる本です。

本の内容としては、201か国の若者がそれぞれ夢を語ったものをまとめた体裁となっており、編者の若者2人がSNSなどを通じて寄稿を募り、完成した本です。コロナの緊急事態宣言真っ只中で出版された本で、閉塞感のある世の中で、エネルギーある色々な国の若者の熱意を感じ、元気をもらったことを思い出します。

 

週末にウクライナ難民の方の支援のボランティアに参加し、色々と感じることがあり、今日、久しぶりにこの本を手にとりました。

ウクライナ難民の方が安心して生活できるよう、物資や就労支援・生活支援をするという試みでありつつ、セミナーの間の在日ウクライナ人やウクライナ難民の子供たちの遊びを監督するというボランティアでした。本当に楽しいボランティアで、子供と追いかけっこをしたり、かくれんぼをしたり、言葉が通じなくても体と心で通じ合うことを感じつつ、スマホアプリの翻訳機能にも助けられ、一緒になって遊んでいました。印象に残っているのは、Nintendo Swichの小さい画面を前に顔を寄せ合って真剣に遊ぶ子供たちで、日本の子供とウクライナの子供と、国籍も違って言葉も通じなければ、性別も年齢も違うなかで、不安や緊張を忘れて安心して全力で遊んでいる様子に、心打たれました。同時にこんな天使のようにかわいい子供たちを不安にさせてはいけないなという、使命感というか責任感というか、そんな宿題も持って帰ることとなり、本書を思い出して開いたわけです。

 

なんで人は争うのかなとずっと昔から思うのですが、適切な処方箋を見つけることなく、いい年になってしまいました。最近、会社主催のWell-beingの勉強会に出て、”社会の寛容性”がカギなのかなと思いつつ、ゆっくりと変わりゆく世界のなかで、歪みが大きな暴力的な争いを生み、日々を生きる人々の苦しみを生む。耐えればよくなるのかなと思いつつ、目の前の子供たちは多感な時期を、生命の不安や様々な理不尽にさらされる。

 

歴史学部出身ですが、ちゃんと調査してないので、かなりぼかした感想みたいになりますが、ロシアとウクライナの戦争は、たぶん経済と政治の戦争で、ナショナリズム的な側面はプロパガンダとして利用されているところが大きいと思います。国を守る愛国心はある程度大きな力を生むとは思いますが、その根本にあるのは家族や仲間への愛で、それと国の方針というのは完全に一致していなくて、それぞれの国を支配する人たちの政治と経済の陣取りに利用されているだけに過ぎないと感じます。

 

国籍や年齢や性別に関係なく、等しく夢を見て、追うことができる。

そんな世界になってほしいなと切に願います。

まずは私は私にできること、目の前の人が生きやすくハッピーになるように、行動していこうと思います。