失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『西の魔女が死んだ』(梨木香歩、1994)

久しぶりに読みました。小学生か中学生の頃、教材で使われてたものから興味を持って、図書館で借りて読んだ記憶があります。26歳になって読むと、当時の記憶や感情が思い起こされるということに加え、いま向き合っている課題に対しての処方箋として機能する側面もあり、ともかく染みるなと感じた次第です。

幼い子どもの頃、得も言われぬ孤独感を感じることってあることを思い出しました。

「心臓をギューとわしづかみされているような、エレベーターでどこまでも落ちていくような痛みを伴う孤独感を感じる。そういうときは、ただひたすらそれが通り過ぎていくのを待つしかないのだ。」(P.37)

そんな一節から、祖父の思い出が蘇りました。

幼稚園の頃、両国のおじいちゃん家に弟と泊まりました。寝室は2階にある畳の部屋で、真鍮の虎の像が置かれています。そんな部屋で夜に起きてしまいました。夜は涼しい8月の終わり頃だったと思います。寝室からトイレに行くには、柘榴のなる広いベランダを横目に廊下を通って隣の建築事務所の建物までいくか、漆加工と荘厳な細工を施した手すりのある階段を降りて1階まで行かねばなりません。襖を開いておばあちゃんを起こしても良かったのですが、それにはまず虎を横切らねばなりません。そんなことを考えると、天井や欄間の美しい細工すら恐ろしくなってきますし、廊下の床板が軋む音なんか聞いてしまったからには堪りません。そこまで考えを巡らすと、朝まで寝てやり過ごすしかないのですが、なかなか眠れません。「なんでこんなところに来てしまったんだろう。」おばあちゃんと水上バスに乗って隅田川を探索したり、おじいちゃんと東京ドームに野球を観に行った楽しい思い出は消え去る。耐えきれない孤独をなんとかやり過ごすには、なるべく外の空間に身体を出さぬよう、布団の端を折り込んで身体の下に隠し、耐えるしかないのです。そんなこんなでなんとか眠りにつくと、朝6時前におじいちゃんが1階のリビングで、ニュースをつけている音が聞こえてくるので、急いで階段を降りて、まずはトイレに行くのです。「良く眠れたか」と聞かれるので、「うん」と答え、よくわからないニュースを一緒に観たり、持ってきた図鑑を読んでいたように思います。

西の魔女に似て、おじいちゃんは背がとても高く鼻が大きく、少し日本人離れした風貌だったように思います。そのうえで、せっかちでちゃきちゃきの江戸っ子でした。いま思うと、あまり感情をストレートに伝えるのがうまいタイプではありませんでした。祖母、娘である私の母、義理の息子である私の父と、よく言い争っていたように思えます。そんな祖父でしたが、かけがえのないものをたくさん教えてもらったように感じます。祖父はいつも不器用で素直でない言葉を発します。基本何かに怒っていたり不満を口にしていた気がするのですが、一方で愛の深い人でした。ことあるごとに「元気か?」といつも声をかけてくれていたことを思い出します。私の父もそうなんですが、あの「元気か?」というのは、不器用ながら様々な感情や意味が込められているなと、社会に出て色々な大人と接するうちに分かってきた気がします。様々な人生の重みを背負った、愛の深い言葉だなと感じます。

そんな祖父に、最期に会ったのは19歳の春で、一緒に近くの蕎麦屋に行きました。昼は相席で、職人さんが蕎麦やカツ丼をかっこむ戦場のようなお店なのですが、14時頃になると緩やかな下町の時間が流れます。相撲かなにかのラジオが流れる中、客はまばら。そこで私はカツ丼を食べ、祖父は一杯飲む。きゅうりの浅漬に醤油と七味をかけ、お酒はお湯割りに梅干しをいれたもの。大学に入ったばかりで、お酒もまだ飲んだことがないくらい。そんなきゅうりの浅漬の食べ方は理解できませんでしたし、梅干しの入った飲み物が何かもよくわかりませんでした。そんな蕎麦屋の帰り道、「お前と飲めるのが楽しみだな」と言っていました。数ヶ月後、祖父は心不全で亡くなりました。

お酒を飲むとき、お酒の種類に対応する過去の経験を強烈に思い出します。きゅうりの浅漬あるいは焼酎のお湯割りと梅干しの組み合わせは、祖父を思い出すのです。泥とセメントと草の混じったような隅田川の匂い、白粉と椿油の匂い、両国の思い出はそんな香りに包まれています。私はおじいちゃんとおじいちゃんのいる両国が大好きです。

 

いつも人が死んでしまったあと、伝えたかった言葉を思い出します。『西の魔女が死んだ』はそんなやりきれない感情に寄り添い、未来に向かって明るく乗り越える力を与えてくれる作品だと思います。

西の魔女が死んだ

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