この本との出会いは小学生の頃、教材で使われてたものと記憶しています。中学受験の勉強をしていたのですが、重松清はよく教材に使われていた気がします。
中学校のいじめと自殺をテーマとした小説で、いじめを苦に自殺したフジシュンと、遺書に書かれた4人とその周りを取り巻く人物の今後を描いた作品です。その4人とは、"親友"ユウ、いじめの主犯の三島と根本、好意を抱いていた中川さんです。いじめを知りながら見殺しにした罪悪感を抱えたユウとサユが、どう感じ、人生の歩みを進めていくかという軸で話が進んでいきます。
この話を聞くと思い出すのは、小学校の頃の記憶で、心の奥底にこびりついているように感じます。私が小学校5年生くらいだったと思うんですが、学童保育でよく一緒に遊んでいる子がいました。頭がツンツンしたボーちゃんみたいな3年生の男の子で、何人かのグループで、一本橋でじゃんけんをする遊びをやったり、どろけいをやったりしていた気がします。そんな日常のなかで、朝のニュースでその子が亡くなったと知りました。お母さんの無理心中未遂で、その子だけ亡くなったと報道されていました。朝に12チャンネルのおはスタをみせてくれなかった家は金子家くらいだったので、周りでそんな話も聞かないですし、誰か似てる人のニュースで勘違いだろうと思い始めたくらいです。そんななか給食前に体育館に全校生徒が集められ、朝のニュースで聞いたのと同じ内容を聞かされました。報道陣に話を聞かれても答えないようにとも聞かされました。勘違いではなく本当にあったことなんだと自覚したなかで、悲しくもあまり動揺していない自分に嫌な気がしたのを思い出しました。人の死というものは幾度か経験していくなかで、急に友人が亡くなったにも関わらず、テレビの向こう側の出来事のように感じてしまった自分に恐ろしくなりました。あいつがどんなやつで、どんなことを考えていたのか、何か悩んでいなかったのか、なんでもっと興味を持ってやれなかったんだろう。そんなことを思い出しました。
時が進み、読み返して印象に残っていたのは、大学生の頃のシーンです。ライターの田原が、大学生になったユウの家にあがり、話をするシーンです。ユウは罪悪感から逃れるように、肩寄せあってサユと付き合って同棲しているんですが、そんな生活感を感じる部屋の冷蔵庫を田原は勝手に開けて「ビールの買置きなんて、生意気だな」というようなこと言うシーンです。なんでかわからないのですが、とても印象に残っていて、自分が大学生になって冷蔵庫を手に入れて初めてやったことは、ビールを6缶で買って冷蔵庫に置くことだったと思い出しました。私には共犯関係のような友人はいなかったけれど、寂しさを埋め合わせるように毎日遅くまでバイトして、金麦を飲んで、そんな日々でした。
風化していく記憶や感情がどこか不安で、自伝的ブログを今日も残しているのかもしれないです。