芥川賞受賞作品で、当時書店で見つけタイトルに惹かれて出会った本です。
学生時代からのコンビニバイトを続けているフリーターの女性が主人公。『コンビニ人間』の名前の通り、コンビニバイトで求められる役割をインストールし、いつしかそれが生き甲斐というか人間として求められる役割のようになった女性の話です。
読んだときは衝撃で、自分や周りの人間のなかにある、自分ですら気づいていない要素を、徹底的に類型化した形で示しているものだなと感じました。人間誰しもワーカーホリック的な要素があると私は考えていて、データとしても残業時間が増えるほど幸福度は下がるものの、60時間を超えると幸福度が増えていくといわれています。
私もワーカーホリックというか、働くことで継続的に与えられる義務と、義務を全うすることで得られる金銭的・心理的な報酬、それがリズムとなり心地よく感じる気持ちに共感を覚えます。イメージとしては、『オール・ザット・ジャズ』という映画の主人公のボブ・フォッシーに近いです。朝起きるとカセットテープを起動しヴィヴァルディを流し、タバコを吸いながらシャワーを浴び、顔を洗い歯磨きをした後、尋常じゃないほどのアンフェタミンを飲んで目薬をさし、鏡に向かって「イッツショータイム」といって一日が始まる。求められる"天才振付師ボブ・フォッシーという役割をセットし、破天荒な一日が始まる、そんな様子がカッコよくて、本当に好きです。中二病全盛期の大学一年生の頃は、ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」を流して朝のルーティンをやっていたことを思い出します。"金子"という男に求められる役割を、勝手に思い込んで設定し、スイッチをいれていました。酒癖は悪いですが、タバコも薬もやらないし、女性関係も派手ではないんですが、やっぱりボブ・フォッシーはカッコよくて、破天荒に生きたいなとときたま思うのです。社会人になって大学の頃の彼女と別れた店は、荒木町の「オール・ザット・ジャズ」というバーで、あれから2年くらい経って、やっと中二病が寛解し、破天荒"金子"への憧れは眠ってくれたように思えます。
『コンビニ人間』を読んで思い出したのはそんな思い出です。人間誰しも求められる役割に苦しみを感じる一方で、本作の主人公のように心地よさや生き甲斐を感じる面があります。ただその求められる役割というのも、自分が勝手に思い込んでいるもので、他人は自分に対して自分が想像するほどには期待をしていないし、興味もないと、最近思うのです。久しぶりに読むと、そんな気付きがあったなと思うのです。