失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『高瀬舟』(森鷗外、1916)

青空文庫を見ていると、非常に懐かしいタイトルをみつけ、思わず手にとってしまいました。それが森鷗外の『高瀬舟』で、小学生の頃に読んだことを思い出しました。中学受験や大学受験というのは、よく出る作家というのが決まっており、森鷗外は中学受験のよく出る作家であったと教わった記憶があります。そんななかで小学5-6年生の頃に読んだ記憶があります。

 

読み返すことはなかった本であったので、なんとなくのストーリーと"安楽死"をテーマにした作品であるとは覚えていましたが、それ以外にも幸福度の感じ方の違いについて、高瀬舟を漕ぐ役人と罪人との間で語る作品となっていました。

 

どちらかというとこの本を読んだ感想よりも、中学受験の勉強をしていたときのことを思い出します。Nのマークで有名な塾に通っていましたが、遊ぶ時間の許されず、カビ臭い校舎で貴重な放課後を潰される退屈な日々であったと記憶しています。しかしただ唯一、国語の授業だけは大好きでした。純粋に文章を読むのが好きで、これをしてるだけで評価される世界と思っていました。そんな国語のなかでも、ちょっと古風な文章が好きで、森鷗外夏目漱石遠藤周作など、純文学とカテゴライズされるようなものを好んでいました。

そんな私のもう一つの楽しみは、先生からシールをもらうことでした。ちゃんと真面目に授業を聞いて、鋭い視覚から質問をすると、先生は褒めてくれて、自作のキャラクターを印刷したシールをくれました。"イナセン"と呼ばれるその先生がくれるキャラクターはモグラがひげを生やし、仙人のような格好をしていた気がします。そのシールをどうしてたかは全く覚えていないのですが、森羅万象チョコのようなカラフルで光沢のあるシールで、とても嬉しかったのを思い出しました。そのシールをどうしていたかは、全く覚えてないのですが、ひとつしたの弟に自慢していたような気がします。

 

当時は文章を読んで考えるのが好きで、"イナセン"はシールをくれるだけの人だと思っていた気がします。ただ今から思い返すと、『高瀬舟』・『こころ』・『沈黙』といった難しい人間心理ぶつかって、訳分からないと思ってもいました。そんなときに、様々な角度から問いかけ、考えさせてくれたのは、"イナセン"だった気がします。

 

人生にずっと"イナセン"は並走してくれなません。自分自身が、難しい問いにぶつかった時には、問いかけてくれる人を持つことが、課題解決に繋がる可能性があると思います。"イナセン"はいまもげんきかなぁ…