失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『夢十夜』(夏目漱石、1908)

最近、Kindle Unlimitedの存在を知りまして、懐かしの本を読んだり、雑誌を読んだり、便利さを享受しております。高校生の頃に読んで、久しぶりに再会したのがこの『夢十夜』です。結局、著作権が切れているので青空文庫でも読めるのですが、kindleはマーカーでメモが書けたり、アプリを切り替えずに辞書で意味を引いたりできるので、とても便利でした。

夏目漱石の10の短編から成る小説で、全て夢の光景を描いております。昔読んだときは、第一夜の女の会話がとても印象的でときめいた記憶があります。夢は女の枕元で腕組みをして座っているところから始まります。少し長いのですが、このときめく世界感は私の言葉では表せないので、引用させていただきます。

 こんな夢を見た。

 腕組みをして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔(うりざねがお)をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。自分も確かにこれは死ぬなと思った。

女がまたこう云った。

「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」
 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯うなずいた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍そばに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

 自分はただ待っていると答えた。

こんな世界感で、高校生当時の私は「なんて素敵な話なんだ」とえらく感動したのを覚えています。当時三島由紀夫の『豊饒の海』シリーズに熱中しており、あるいは世間では『魔法少女まどかマギカ』が流行していたのもあって、死後の世界、輪廻転生や生まれ変わりについて、とても感度が高まっていたのも影響していると思います。

 

そんな懐かしさを覚えながら読んでいて、思い出したのは、幼い頃に見た夢でした。

私はあまり夢を見ないというか、小学生の頃以降は夢を見た記憶がありません。正確に言うと夢を見ても、朝の微睡のなかで忘れていただけなのかもしれないですが、とにかくほとんど記憶がありません。そんななかで強烈に覚えている夢というか、小学生の頃、短い夢ですがよく見ていた夢がありました。

目を醒ますと、私は仰向けに落ちています。暗くてよくわからないまま、落ちている感覚だけはある。無重力感といいますか、地に足がついておらず、身体を全く制御できない。そんな感覚に恐怖を覚え、あたふた周りを見渡し、状況を理解しようとします。すると見渡すと星が広がり、月が遠くにあり、夜空を落ちていることを理解します。目がなれてくると、落ちていく感覚は心地よく感じ、景色に心惹かれ「これは夢だな」という推測と言いますか、夢でなければ楽しんでいる暇はないし、何か助かる方法を考えなければいけないなという現実世界の思考法が頭に浮かんできます。そうすると夢であったとしても、仰向けでいつ地面が来るかわからない、起きなければ嫌な感覚を味わうという恐怖を、論理の側面から理解します。「醒めろ醒めろ醒めろ」と心に念じるが、なかなか起きない。

すると背中に地を感じ、見慣れた寝室の天井を目にし、夢から醒める。

そんな夢を小学生の低学年の頃はよく見ていたことを思い出しました。夢の光景を思い出すと、YOASOBIの「夜に駆ける」のMVの風景に似ている気がします。どんな潜在意識でみていたのか、思い出せませんが、あるときから夢を見ない体質になって、そんな恐怖を覚えないで済むようになって、日々心安らかに眠っています。

 

26歳になったいま、偶には夢を見たいと思う日もあります。特に鈴木雅之銀杏BOYZのの「夢で逢えたら」を聞くと、もう会うことはできない人たちに夢で良いから会ってみたいなと思うこともあります。しかし今の世の中は、意外と狭いと言いますか、もう二度と会うことはないと思った人でも、「会いたいな」と思ったら偶然が重なって会える経験が多いですし、ネット社会ですので会える手段も多くあります。その人が亡くなっている人であったとしても、墓参りに行って思いに耽ったり、皆で思い出を話したり、会えないけれど、リアリティを持って感じることはできます。

私はずっと考えているというか夢想癖があるので、夜くらい脳が休ませてくれているのかもしれないです。