失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『運転者』(喜多川泰、2019)

KindleUnlimitedの海から出会った本。保険募集人を主人公にした小説とのことで、思わず手を取ってしまいました。

主人公は売れない保険募集人で、大型保険の解約で"戻入(レイニュウ)"にあい給与として貰った手数料を会社に払い戻さねばならない、新規契約もない。家庭のことでも悩みはましている。そんな状況で、とあるタクシーに乗車し、"運転者"から運を転じるための様々な教訓を学び、人生が好転していくというストーリーです。

「上機嫌でいなさい」

「どんなことに相対してもプラス思考で」

「人に与え、運を貯めよ」

自己啓発系の文脈を小説に載せたようなストーリーで、ベストセラー『夢をかなえるゾウ』に近い本です。説教臭い本ではありますが、こういった当たり前の根底の考え方・思考のクセを、正した上で行動に落とし込んで実践し続けるのは難しいことで、そんな本でした。

 

タクシーでのドライバーさんとの関わり方を迷うなと、常々私は感じております。黙々と自分のやりたいことに集中するか、盛り上げるべきか、常に迷います。タクシーに乗るときというのは2パターンで、急いでいるときです。

急いでいるときは、黙々とというか溜まったメールや折返し電話など、作業したいときが多いです。そんなときに会話を挟んでくるような方は、「ちょっと勘弁してよ」って思います。私もおしゃべりではあるし、話したいのはやまやまなんですが、時間がない中で作業場としてタクシーを借りているという感覚もあるので、板挟みで悩みます。地方で目的地にただ向かうだけのときは、現地の文化や変遷を知れるので、面白いし助かるのですが。

もう一つのパターンである終電を逃しているときは、暇そうに見えて悩みます。本当に眠かったり、吐気をなんとか押しこらえているときは、話したくない気持ちではあります。ただ打算的なところだと、自宅であると目印がないため、眠っていると到着できるか一抹の不安はありますし、吐気をこらえているときは、いつでも降りていけるよう、円滑な人間関係を築きたいものです。そんな終電逃しパターンで、暇なときはおしゃべりしたいものです。家まで長いですし、おしゃべり好きなドライバーさんだと嬉しいものです。

 

そんな私なんですが、最近、終電逃しパターンで、九死に一生を得る出来事がありまして、おしゃべり好きなドライバーさんも困ったものだなと思う出来事がありました。その日は終電逃しパターンではあるものの、飲みすぎたというより話し込み過ぎた日で、常磐線の事故による運休で、11時台にして終電を逃した日でした。銀座から松戸までタクシーで帰るか、悩みましたが家から取ってこなければならないものがあったので、泣く泣くタクシーで帰りました。この泣く泣くの思いというか、「聞いてくれよ」っていうところもありましたし、身体は元気そのものでしたので、話すモードでタクシーに乗り込みました。幸いタクシーのドライバーさんも、おしゃべりで楽しい家路でした。飲みで失敗した話や、家計のお小遣い制の話と、ドライバーさんも溜まっていたようで、キャッキャしながら走っていました。

しかし高速道路に乗ったあたりから不穏な空気が流れます。

「私あんまり首都高使わないからわからないんですよね…どっちでしたっけ?」

私もほろ酔いなうえに、夜目が全く効かないのでわかりません。

「わかりません」

はしごを外すようで悪いんですが、本当にわからないんです。みるみる近づく分岐、テンパるドライバーさん。そして何を思ったか、急ブレーキで中央分離帯のど真ん中で停車することとなりました。私は死んだなと覚悟を決めたのですが、間一髪でセーフ。平謝りしながら、何故かナビを入れ直すドライバー。高速道路で停車するなんて危険ですので、まずはテンパっているのを落ち着けないといけません。

「遠回りで大丈夫なので、次で降りて、下道で帰りましょう」

そんな提案をして、なんとか中央分離帯を脱出し、命からがらの再び帰路についたのでした。

私も気疲れしましたし、ドライバーさんは尚更ビビって気まずくなっていたので、無言のドライブとなりました。恐らく話すのを盛り上げすぎてしまって、運転のところに割く集中力が失われてしまったのだと思います。

 

雄弁は銀、沈黙は金。おしゃべりは程々に。そんな教訓を得た日でした。