失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『コーヒーが冷めないうちに』(川口俊和、2015)

就職活動をしているくらいの時期、電車の中吊り広告で見かけた帰りに、彼女の家に置いてあったのを借りて読んだ気がします。この前BOOKOFFで見かけ、ちょっと表紙がささくれ立っている本が並んで100円で売っているおり、時の流れの残酷さを感じました。

 

不思議な喫茶店で、コーヒーが冷めないうちに過去の一時点に戻れる。過去はやり直せないが、伝えたかったことや後悔して心につかえている。どうしても過去に戻りたい人が喫茶店に集まり、ストーリーが展開していきます。

 

これを読むと、新卒の頃初めて父と新橋で飲んだ日を思い出します。

私はあまり父と仲良くないというと語弊がありますが、父と仲の良い男はいないと私は考えているので、一般的な関係性だったのかなという気がしています。父は寡黙なというかそんなにoutgoingなタイプではないのですが、酒を飲むとよくしゃべるというか、絡み酒のタイプでした。子供の頃はそんな父が苦手というか、夜に酔っ払って帰ってくると面倒で、蜘蛛の子を散らすように兄弟そろって寝室に戻っていき、寝室にいる場合も寝たフリをするような子供でした。寝てる自分たちに向かって、ひとりひとり顔を見に来て、話しかけている父が印象的でした。

大学に行って一人暮らしを始め、酒の味を覚えるようになってから、自分の酒癖の悪さを知りました。お酒ってこんなに楽しいものなんだと思いましたし、居酒屋で夜中までバイトをし、そのお金で朝まで飲む。そんな退廃的な生活を送っていました。当然、年末年始もバイトをしていましたし、大学の近くに住む友達と飲み会をしたいので、私は大学4年間ほとんど実家に帰りませんでした。もともとあんまり実家が好きでないので、地方の国立大学に行ったというのもありましたし、反抗期が薄れたものの、帰りたくはなかったのです。

そんな私も社会人になり、田舎から市川の実家に帰りました。社会人一年目は、社会の厳しさや面白さを感じるとともに、親のすごさというか、働いて子供を養うことへの感動を覚える時期でした。両親に何かプレゼントしたことのない私が、初めてのプレゼントとして帝国ホテルのペアランチを両親を贈ったのもこの頃です。私の心の変化があるなかで、一度ちゃんと父と飲みたいなと思い、仕事終わりの新橋で、父を誘って飲むことにしました。子供の頃は毎日終電か朝方にタクシーで帰ってくる父が好きではなかったですが、自分で働くようになってその姿に感動を覚えたのもあって、話を聞いてみたかったのです。父は誘ってくれたのがよっぽど嬉しかったようで、行きつけの店3つをピックアップしてくれました。父はアル中なので、一晩で焼酎でもワインでも日本酒でも四合瓶を空けるような人です。そのペース飲むもんですから、付き合っていたらやたら酔っぱらってしまいました。ふらふらの状態で3軒目の立ち飲みバーに行きました。そこはコーヒー割という、焼酎をコーヒーで割ったお酒を出しておりました。コーヒー割はすごい飲み物で、アルコールの味が全くしなく、体感はおいしいアイスコーヒーです。酔っぱらった私にとって、水気はとにかく欲しているもので、3杯くらい軽く飲んだ記憶です。しかしコーヒーとアルコールというのは、どちらも利尿作用のある飲み物で、酔っぱらった身体には良いものではありません。本能はアルコールに汚染された身体に水気を欲して入れたがるのですが、身体のなかで肝臓や脳は悲鳴を上げていたようです。新橋から市川に向かうタクシーで、何度も途中で降りて吐きながら、もう父と二度と飲みにいかないと思いましたし、言った気もします。

 

コーヒーが冷めないうちに』を読むと、あの日の夜を思い出します。結局3年後くらいに、父の地元でまた二人で飲むのですが、結局飲みすぎて帰れず、知らない駅の知らないホテルで寝ている結果となりました。

 

「男は寡黙であるべきだ」と思っているがおしゃべりな男、寂しがり屋だが口下手な男、それが父であり恐らく私もその類です。そんな男が2人で膝を突き合わせると、話すのが下手だから飲む以外に話すことがないし、話したいなら飲んでスイッチを入れるしかないのです。私はもうしばらく父と飲みに行きたくないですが、父ももうそろそろ飲めない年齢になってしまう気もします。次に実家に帰るときには、飲みに誘ってみようと思います。アルコールの抜けないうちに、生きているうちに伝えたいことは話しておこうと思います。