失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『人間の條件』①(五味側純平、1956)

ずっと読みたかった積読のひとつで、ようやく読み始めることができました。私が集めた文春文庫版が全6巻で、1巻を読んで書きたい気持ちに駆られたので、6記事に分けてぼちぼち書いていこうと思っております。

元々この本を知ったきっかけは『戦争と人間』という映画で、作者が同じきっかけで古書店でコツコツ集めていました。『戦争と人間』は3部作9時間23分にわたる超大作の日活映画で、第一部だけで3.5億円もの制作費を投じたそうです。しかも1970年の3.5億円ですから凄まじい金額です。出合いは大学の講義で、歴史社会学の先生が第一部の少しだけ流してくださったのを観て衝撃を受けましたが、そのあたりはまた書こうと思います。

 

そんなこんなでようやく読めた『人間の條件』ですが、まえがきに著者の本作執筆の目的がかいてあり、そこから引き込まれました。

或る局面での人間の條件をみきわめたいという途方もない企みを私はした。……(中略)……あの戦争の期間を、間接的にはせよ結局は協力という形で過ごしてきた大多数の人々が今日の歴史を作ったのだから、私は私なりの角度から、もう一度その中へ潜り直して出て来なければ前に進めないような気がした

本作の舞台は1943年の満洲で、日本から満洲の炭鉱を管理する仕事を任された、梶と美代子を中心に、周りを取り巻く人物にもスポットライトを当てながら、極限状態に置かれた人間が、あらゆるものーー愛、生、性、金、名誉、社会etc.--といかに関係していくかを描く作品です。

 

群像劇なので、読むときの精神状態によって、どんな人間にフィーチャーし、どう感じるかは変わると思いますが、文春文庫版の1巻(第一部)を読んで、第一部のテーマはピュアさだなと感じました。

私はずっと梶という男に目が行っていまして、彼の不合理に相対した際のピュアさと、その変質を固唾を飲んで見守っていたように思います。戦争という不合理に迎合する会社に対して徹底的に対抗するピュアさ、戦争への怒りや恐怖から逃れたいがために恋愛を素直に受け止められず唾棄しようとするピュアさ、結局は恋愛に身を投じ若さをぶつけるピュアさ。

梶は愛情の痛みと憤怒を覚えた。美代子の衣服を剥ぎ取って、欲情を存分に注ぎたかった。その美しい豊かな肉体に埋没して幸福の幻想に浸りたかった。せめて戦争を忘れたかった。あすか、あさってか、いつの日か、そこに引き出される自分自身を。

……(中略)……

若い男の幻想の中では、幸福は、たいてい若い女の白い裸体の形をとっている。それだのに、彼はそれを抱き寄せ、抱きしめようとはしなかった。しかも女がそれを望んだというのに。

そんな本作から思い出すのは、やはりピュアだった高校生の頃の思い出で、まさに理不尽や不合理が許せず、頭でっかちながらも不器用にもがいていたことを思い出しました。私は高校の頃、カール・マルクスになりたくて、”研究”を進めていました。人間が争わず、平和な世界にするためには、人間の行動原理をすべて観測し、その行動原理に効果的にアプローチし、管理する仕組みを構築できれば、誰もが生きやすい平和な世の中になるんじゃないかと考えていたのです。そのために、あらゆるジャンルの本を読んで、どうすればすべての人や生物が幸福になる結果を導けるのかもがいていました。大学に進むと、哲学科にはいかずに歴史の方面から経済を勉強していたのですが、結果カール・マルクスになることはないまま、いい歳になってしまいました。

そんな私が特に重点テーマとしていたのは、人間の幸福と人間以外の生物の幸福(≒環境問題)です。当時は色々煮詰めて考えていましたが、それをまとめるには取っ散らかってしまいましたし、書くのも疲れてきたので、小出しにして改めて書こうと思います。タグを整理しておけば、ブログ記事の引用もできますし。

 

本作の文章には、ハードボイルドな冷たさといいますか、淡々と冷静に観察するような趣もあるのですが、戦争という極限状態を体験してきた著者だからこそ出せる生々しい現場の様子や精神の変遷があり、心を鷲掴みにされました。私は、紙上の文字を目で追うだけの安全圏で読んでいる立場な訳ですが、常に「お前ならどうする?」というのを突き付けられている気がしてきます。本当に感動した小説で、文学少年に戻れた一日でした。