私が大学生の頃、「フリースタイルダンジョン」というテレビが流行しており、ヒップホップやラップというカルチャーに衝撃を受けるとともに、ハマるきっかけになりました。モンスター漢a.k.aGAMIとチャレンジャー晋平太との闘いで語られるヒップホップの現場でのリアルには衝撃を受けました。BAD BOYにあこがれた私にとって、漢a.k.aGAMIや彼等ラッパーの語る世界は、私の心を少年に戻すような魅力的なものでした。
そんな思い出もあるなかで、いまは音楽としてのHipHopやラップというものも大好きです。最近、舐達磨の曲にハマっていくなかで、音楽としてHipHopではなく、生き様として知りたいなと思い、何冊かラッパーの書籍を購入した次第です。
読んで思い出すのは、中学校の頃の思い出です。
漫画の「クローズ」が映画化され、品川庄司の品川の自伝小説「ドロップ」なども流行っていた中学時代。平成の末期の始まりくらいの時期ですが、毛量の多い、現代の価値観からすると野暮ったい不良が多かった気がします。
進学校の中高一貫の私立中学に通っていた私は、純粋培養で育っていました。方や小学校の時の友人が公立中学に行ってバイクで校庭を走り回ったり、カツアゲが存在する環境で、失礼極まりないですがまるで漫画のような世界感を生きていることにうらやましさを覚えていました。不良に淡いあこがれを持っていた中学生です。
そんな中学も終え、純粋培養で高校に進んだのち、弟が母校(小学校)の祭りに行くとのことで4年ぶりに祭りに行きました。そこで地元で不良街道を進んでいる太郎と久方ぶり再会しました。
太郎は小学校の時、私にジャンプの漫画版を教えてくれたやつです。NARUTOを一緒に読んで、木から飛び降りるときに足にチャクラを込めればケガをしないということに気付き、様々な高さから飛び降りるチャレンジをしていました。なんでかわからないですが、一緒にタイムカプセルを作って埋めたのも覚えています。太郎はやんちゃでとっぽいというか、江戸っ子的な気持ちよさはあるのですが、育ちが良いやつで、地元の習字教室の先生の息子で、市で一番字が上手いとかで表彰もされていました。
そんな太郎もぐれていたのか、格好をつけていたのかわかりませんが、高校一年生にして、二本出しマフラーのDIOにニケツで乗っていました。「かねっち~」なんて言われてしゃべった気がするんですが、友達と思われる恥ずかしさと、久しぶりに会う恥ずかしさと、太郎に比べてダサい(不良指数が低い)私の恥ずかしさと、あんまり話が弾まなかったのを覚えています。
次に会うのは成人式なんですが、疲れたので、また今度書こうかなと思います。
ともかく不良にささやかな憧れを持つ私は、結局グレるんですが、どちらかというと気持ち悪い文学少年的なグレ方でした。川端康成の『雪国』に出てくる島村のように女性と相対したいと思ってましたし、『金閣寺』の柏木のようなニヒルさで行動ではなく思想で世の中を変えたいと思ってましたし。気持ちのよさのかけらもなく、理想の喧嘩っ早い江戸っ子像からはかけ離れていきました。
多少落ち着いたいま、不良リスペクトで外身を近付けようと、ビッグスクーターを買っていじって走って遊んでいます。
もともとどこかのお兄ちゃんが不良カスタムしてくれているので、デフォルトで二本出しマフラーになっていますが、メンテナンスができていないので、愛情もって日々直しに出しています。
太郎みたいに後ろに乗せる友達もお姉ちゃんもいないですが、再会するときまでには不良指数高く在りたいと思います。