失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『痛みの作文』(ANARCHY、2017)

ANARCHYの自伝エッセイ。ANARCHYは本当にカッコよくて、声が反則だと思う。ズルい。セクシーでクールで。

自伝を読んでても、やっぱりANARCHYはずっと嘘をつかない、本音しか言わない漢だなと思います。

 

冒頭にお母さんが出ていったあとの回想が特に好きで。

長男として妹たちより状況を理解する中、長男として妹を守る、妹よりしっかりするという責任感。その責任感もリアルですが、本音も出ます。

小学生の頃、母の日なんかはかわいそうやった。学校の先生は「オカンの顔描いてこい」とか、平気で言いよる。オレは、そんなんはまずいやろって、そんなんあかんやろって思った。

「そんなんな〜、両方そろってる家族ばっかりちゃうぞ」

学校の先生に「Fuck!!」って感じやった。

「母の日とかナメたことやってんよ」みたいな。小学生の時からオレはそういうスタイルやった。

小学生のオレがそう思ってる時点で悲しいと思う。だからオレは、オカン出ていっても悲しんでへんって言ったけど、ほんまはウソなのかしらん。

 

ふと私もこういうことあったなって思い出して。

小学生3年生のとき、母が亡くなりまして、享年36歳でした。

葬式の日、参列に来る知人や親戚の手前、何より弟と妹の前でしっかりしないとと思ってました。そんななかでボーイスカウトの後輩というか少し歳下の友達が、手紙をくれて。絶対そんなことするやつじゃなく、癇癪持ちで落ち着きのない暴れん坊のリョウガ。親にかかされたのかもしれないけど、そこにはあまり聞いたことのない本音というか、「こんな俺だけどいつもありがとう」みたいなことが書いてあって。照れて笑ったのか、ぶっきらぼうにしてたのか、覚えていないけれど喜びや感謝を伝えてなかったと思い出しました。大人ぶった偽りの感情で耐えて乗り切ってたのに、やめてくれよ本音で話すのは。当時は感謝の前に、そんな気持ちがあった気がします。

生前、私は母とあまり仲が良くなかったというか、母は感情的なタイプでソリが合わなかった記憶があっります。

当時の偽りの大人ぶった自分でなく、いまの自分くらいの成熟度でもっと話したかったなと。ふと思いました。

 

中井貴一さんが、父の亡くなった37歳という年齢を超えられないんじゃないかという恐怖感というか不合理な確信を持ってずっと生きてきたと聞いたことがあります。

私の人生の残りは、36歳までの10年ほどなのか、平均寿命まで50年以上あるのか、明日で終わりなのか。

わかりませんが、ともあれ悔いないような選択肢をとり続ける。言っておきたいことは、思い出すたびに口に出したり、記録しておく。自伝ブログもその役目を少なからず担ってくれています。

 

人生で関わってくれた全ての人たち、マジでサンキューです。

ROB THE WORLD

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