失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『トリックスターから空へ』(太田光、2009)

年明けから年度末で不動産がやたら動くのと、歓送迎会シーズンとで、ありがたいことに忙しくさせていただいています。もう少し忙しい時期は続くと思うのですが、楽しいゴールデンウィークに向けてもう少し仕事を頑張ろうと思います。人生に余白がないとエモくて面白い話もできないですからね。

エッセイ本は忙しい合間でも手にとってパラパラ読めるのでいいですね。

私は爆笑問題のファンで、ラジオと太田上田は欠かさず見ています。ラジオは中学生から聞いています。私もだいぶ痛くて生きにくい青春を送っていたし、いまも組織への適切が低いなとは痛感してますが、そんな弱き者達は繊細で優しい太田光に惹かれるのかもしれないです。そういえば新しい小説も出してたので買わないといけないですね。

本作では奥さんである光代社長と語った一作目の「ある夜の話」が印象的でした。人の死と空間・時間について二人で語る一篇で、こんな書き出しです。

「景色にも記憶があるんだと思わない?」

妻が言った。妻は時々こんな風に唐突に話し出す時がある。私は妻の言った言葉を自分の中で繰り返してから聞き返した。

「どういうこと?」

「人間や動物にも記憶があるんだから、景色やものにも記憶があると思わない?それで景色も過去にそこに立っていた人なんかを憶えていて、ふと、その人のことを思い出したりすることがあるんじゃないかな。心霊写真とかってそういうことなんじゃないかな。人間に心霊が見えてるわけじゃなくて、景色がふと思い出した人物がそこに現れてるんだと思わない?」

この話を聞いてふと思い出したのが、大学の入学した頃くらいの講義の記憶でした。宗教学の先生で、中国の少数民族の宗教の歴史や文化を研究していた方でした。その方が一番初めの講義でおっしゃっていたのが、「人文学というのは人間に関する学問で、そのなかでも歴史学というのは空間と時間の学問だ。ある特定の空間か時間を切り出して追いかけて、人間というものを知るのが歴史学だ。」という言葉でした。

2019年4月、18歳の私。私はずっと人間を知りたくて、特に人はなぜ争うのか、どうやったら平和な世界になるのかということを考えているような少年でした。若く燃えていた記憶があります。私も周りのみんなも、新生活と新しい世界にわくわくしていた気がします。明らかに旧耐震でガタが来ているボロイ講堂、3人掛けの席が埋まり、春の日差しもあいまって、旧式の空調では吸収しきれない人いきれのなかで、みんな燃えていました。

いまに戻って2023年3月、行きつけの飲み屋のバイトの高校生の4人組軍団を見送ります。みんないい子たちで、新生活に燃え、不安と希望で満ちて、別れを惜しみ、新たな出会いを待ち望む様子です。そのなかで一番愛想のない子がいたのですが、愛想は全くなく、沢尻エリカの「別に」くらいの接客なんですが、いつも一生懸命というかすごく真面目に仕事をしているので、どんな人なんだろうと気になっていました。最近お店がヒマなときに少し話して仲良くなり、人となりを少し知りました。そもそも他の3人とは学校でもそこまで仲良くなく、たまたまバイトが被ったそうで、あまり気が合わないそうです。彼女はやはり人付き合いやバイトは嫌いだが、お金は必要で仕方なくやっているというスタンスでした。しかし将来の夢とか興味のあることとかを聞いていると、いっぱいやりたいこともあるし、はやく独り立ちしてしっかりしたいという想いの強い子でした。その話を聞いていると、昔の自分を見ているようで、なんか良いなと思いました。あの愛想のなさと「イッパツかましてやるわ。今に見てろよ。」という顔。懐かしいなと思うし、一方で忘れちゃいけないなというか、私ももっと尖らないとなと反省させてもらいました。色々話したあと、少し偉そうに説教臭い話をしてしまいました。「気が合わない人と仲良くする必要はないし、私もめちゃくちゃ尖っていたし、今でも根はそういう人間だからわかる。ただ険悪になる必要もなくて、そういった悪い関係で終わってしまった友人のことを、歳をとっていつか思い出すと後悔することも多い。いまは今後二度と会わないし、会いたくないと思っても、『また会おうね』と言っておけばいいんだよ。」と。

桜咲く季節、また私も歳を重ねます。成長したなと思うこともあれば、こういう初心を忘れてしまっているなと思うときもあるし、そもそもまだまだ未完成だし頑張らないとなと思うのです。飲み屋で女の子に偉そうにし始めたらおしまいですね。良い刺激をもらったので、来週も帯を締めなおして頑張ろうと思います。