失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『夜に星を放つ』(2022、窪美澄)

昨年の直木賞受賞作品で、本屋で平置きされているのを買って、そのまま家で平置きして一年くらい寝かせてしまいました。ゴールデンウィークは暇で、本を読むか友達の仕事を手伝ったりで、ちょうど読書とブログ日和な日々を過ごしております。

5つの短編が収められていますが、コロナ禍の生活の中での得ない感情を表すような作品で、エモい読書経験でした。

特に5作目の「星の隨に」は、なんか色々思い出して辛かったです。事実だけ抜き取ると、離婚して父に付いていった小学校四年生の男の子が、後妻とうまくやれず、お父さんが帰るまでマンションの玄関とか近所のおばあちゃんの家でやり過ごす話です。心のアンニュイな氾濫を追跡して執拗に写実していくような小説ではなく、事実と簡単な感情表現を示すような作風だったので、自分自身の過去の感情が思い出されてくる読書体験でした。

私もずっと忘れていた昔のことを思い出しました。私はいわゆる鍵っ子で、小3で母が死別したので、自分で帰っていました。鍵を家に忘れると、兄弟の帰りを待ったり、近くのヤマネさんの家に上げてお菓子を食べさせてもらったりしていたなと俄に思い出されてきました。小説に出てくる男は子は後妻にいじめられて本当に可哀想でしたが、私はは兄弟もいたし、飯能のおばあちゃんが来てくれるときもあったし、みんなが心配して助けてくれて、愛されて育ってきたんだなと思うのです。

そこから何年かすると、週末に父の「友達」と称する女性が出入りするようになって、優しく遊んでくれる人でした。ただしばらくすると来なくなって、また別の人が来るようになり…の繰り返しで、中三くらいでこの人よく来るよなと思っていたひとが今の母です。大人になった今思うと父の彼女だと思いますし、当時も気付いていたけど気づいていないふりをしてきた気がします。小説の子は後妻と良い関係ではありませんでしたが、私たちはそういう不和はなかった記憶があります。ただ3人も兄弟がいたので、「主導権はこっちにあるぞ、オレらが認めなければカネコ家の敷居は気軽に跨げないぞ」というトガリと嫌らしさはあった気がします。嫌な子供ですね。

私は本当にラグビーラグビー部の友達がいなかったらグレて育っていたと思います。本当に感謝してます。多かれ少なかれ家庭の不和とか問題があるヤツが多かったですが、その反抗期をラグビーにぶつけて、心も身体も強くして、乗り越えてみんな立派に大人になりましたね。

思い出さずに忘れていましたが、子供って意外と社会や家庭での人間関係における役割について繊細に把握していて、その中で自分の子供らしさすら武器にして上手に立ち回っている気がします。私が嫌な子供だっただけかもしれないですがさくらももこさんのエッセイとか読んでいると、少なくない子供が腹黒さを抱えているのだと信じています。

私は小説というのは、「こういう経験ないよけど、実際に味わうとこんな感情になるのか」あるいは「過去に味わって言葉にならなかったけど、こういうことだったのか」というのを体験させてくれる機能が素晴らしいと思っています。そんな''嫌な''気持ちと"良い"思い出を復元させてくれるお話でした。

 

ゴールデンウィーク、友達や親戚の仕事手伝ったりでどこにも遊びに行ってないですが、スキマ時間で読書かアマプラビデオ視聴ばっかりです。