失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『ある男』(平野啓一郎、2021)

最近は感性のスイッチが摩耗しているのか、営業という人の気持ちを動かすことを日常で繰り返しているからか、はたまた単に暑くて疲れているのか、わかりませんが小説を読む気にはならずにいます。ただ読んだ本で感性に刻まれた本は積まれており、数々の付箋やメモ、いつかブログで書くかもしれないなという記録はあるので、たまには読み返して感性の方の脳みそを動かしてブログを書こうと思うのです。

『マチネの終わりに』を読んだときにも感じましたが、このなんとも言葉に表せない感情を言葉にして、共有してくれる機能というのは小説においてかけがえがない役割だと思うし、とても好きな小説家だなと思うのです。

本作はミステリー的な要素もあり、亡くなった夫「大祐」の家族と連絡を取った際に、戸籍上は実は全くの別人であるということが判明し、弁護士の城戸が「大祐」の正体を突き止めていくというのが話のストーリーです。内容としても気になるので結論を知りたい欲は刺激されていくのですが、一番の見どころは、本来は”アンニュイ”な感情が、言葉として整理され、読者の目の前に提示される心地よさと、それを自分に置き換えたり共感していくなかで、過去に整理がつかないで放置された感情が蘇っていくのが本当に楽しいです。すべての登場人物の、あらゆる描写が素敵です。恋に落ちる際の人間の心情の変化、夫婦の不安、差別に対する反骨精神や自己の存在に対する不安、親の死のあとに生きる子供心とその子を見る母、恋によってある人に対する印象が美化される様と過去の美化された恋に対する嫉妬、そして”ある男”の人生。すべてが魅力的で本当に素晴らしい小説でした。

本ブログは読書に始まる自伝ブログではあるんですが、この読後の感情から自分の経験を掘り起こして書いていくのはなんか嫌で、とりあえず読んでよかったし、読んだ人と語りたいなという素晴らしい読書体験でした。

「大祐」の描いた絵を見て、何故か里枝が泣いてしまうシーンがあります。当然小説なので、絵は私たちの目には見えないのですが、私もそのときなぜか涙が込み上げてきました。私の自宅には絵が飾ってあるのですが、その絵の景色は見たことのない景色でしたが、何故かわからないですが私を魅了して、なんとも言えない感情になりました。

結論、人間の感情とは突き詰めると言葉にはできないし、思い通りにコントロールすることはできないし、それが人間の面白さだし魅力なんだな。そんな気持ちを抱けたので、良い週末を過ごせそうです。