私は爆笑問題のファンで、中学校で世間に馴染めなくなってから、深夜に「爆笑問題カーボーイ」に救われてなんとか大人になれました。
当時は"弱者男性"という言葉も"チー牛"という言葉もなかったので言語化はされてませんでしたが、"根暗"・"陰キャ"という枠です。ただ身体だけは大きくラグビー部だったので、得体のしれなさでいじめられもしませんでしたが、隅っこで世間を斜にみて、生きにくい世界を生きていたように思います。
いまは当時と比べると"普通"になりましたが、根の尖りというか、自分が"理不尽"だと感じたことに対して黙殺せず戦ってしまう反社会的な悪癖はずっと抜けません。それを「大人になれない幼さ」と日々感じるのです。ただ太田光さんの言葉を聞くと、その優しさというか理不尽に対して常に言葉で戦っていく様に感動するし、「私も私のままでいいんだ」というエールをもらえるようで勇気が出ます。
本書は下記のような事件をものに語っていくエッセイ集です。安倍元首相銃撃事件、旧統一協会と政治の関係、ジャニーズと性加害問題、泥沼のロシア・ウクライナ戦争、ハマスとイスラエルの衝突…そんな世間の"理不尽"、人間の愚かさややりどころのなさに対して、向き合い続けるピュアさが素敵です。
全部好きなんですが、ウクライナ戦争や統一教会問題などから始まる二「信じる心」と高史明さんの死から始まる十三「生きることの意味」が好きでした。
二「信じる心」
いるんだかいないんだかわからない神。ナンダカワカラナイ思想。証明など出来ない幸福。「本当のこと」など誰も知らない。そんな世界にいても少女達は人に恋をする。恋をすれば、恋した相手が神より大切になる。しかしそれは神を裏切る行為だ。少女はひたすら空に祈り続ける。神に言葉を送り続ける。神からの返事はない。神は何も言ってくれない。一生返事が来ないことはわかっている。それでも神を信じ続けている。 LINEの「既読スルー」なんて比べものにならない。圧倒的な沈黙。神は絶対に答えてくれない。それがわかっていても彼女達は空を見て祈り続ける。おそらく死ぬまで。彼女達が見上げる空からはただ雪が降ってくる。「人間」である恋する少女はその雪にすがる。
オルハン・パムクの『雪』という小説から、昨今の世の中のことを語る場面です。太田光さんの宗教論と私の考えも似てて、人は説明してないもの・耐え難いこと・理不尽に際したときに、それを乗り越える共同幻想を作ったんだと思います。そう考えると、オカルトや願掛け・カルト宗教にすがる人も、自らに降りかかる辛いことを乗り越えようとしていると理解し、愛おしく思えます。ただこの感情にのみフォーカスした唯心論的な考えは、そういった迷信で現実世界の生活が破滅する人を救えないとは重々承知しているものの、こういった人を説得するためには、信じる人の感情・思考に近づこうとしないといけないなとも思うのです。人の弱さとか愛らしさは、どんなに文明が進歩しても変わらないのかもしれないです。とりあえず『雪』は今年の冬に読みたいなと思います。
十三「生きることの意味」
ふと転んだ自分を第三者的な目で見た瞬間があったそうだ。すると自分がとても滑稽に見えたという。
他人の目を持つことが、自分を活かしていく
思想家・哲学者である高史明さんの息子さんが自殺するまでの日記『僕は12歳』と、高さん自身の著書『生きることの意味』、そして太田さんと高さんの対談を元にしたエッセイです。太田さんの結論は、生きるために理不尽を乗り越える処方箋として、自身を客観視して笑うことを語ります。夏目漱石の『行人』の主人公の兄のセリフが引用されていますが、「死ぬか、気が違うか、それでなければ宗教に入るか、僕の前途にはこの三つのものしかない」とありますが、太田光さんの導く答えは、「思考停止で笑うこと」で、ある種「気が違う」に近い気もしますが、「気が違う」寸前の自分の様を「第三者的な目」で見ることで、滑稽な様を笑いに変えて、なんとか人ら正気を保って生きていけるのかもしれないです。
チェーホフの「かもめ」についてのエッセイも良かったですし、全編がいま2024年を生きる私に色々と考えさせてくれるエッセイでした。
太田さんの本や真面目な話を聞くと、ノスタルジックな青春を思い出しとともに、自分にもまだ若く青い敏感な感性が残っているんだなとちょっと嬉しい気分になります。読書の秋、楽しんでいこうと思います。