YouTube断ちをしたくてアプリを消してブラウザからしか見られなくしたものの、ブラウザをBraveにしてしまったせいで、広告無しで見られてしまうので結局意味のない生活です。そんなときに岡田斗司夫の切り抜きで流れてきて、面白そうでつい買ってしまった本です。
中東の人里離れた砂漠に「テクノロジーの未来」公演のために連れてこられた著者、聴衆はたった2名のフリースを着た若者でした。そこで著者に一番求められる回答とは"事件"に際した際に、どう自分の身を守るかということでした。未知のウイルスが蔓延した際に避難する場所や国は?、食料庫を守るシステムは?、食料庫を守る兵隊達が反乱を起こさないようにするには?爆弾を埋め込んだ首輪をつける?雇い主しか食料庫の番号を知らないようにする?そんなことを真面目に聞いてくるそうです。著者は「警備隊長が、明日、あなたの喉に切りつけないようにする方法は、今日、彼の娘の成人式にお祝い金をあげることです」と説得をこころみますが、二人の聴衆には響きませんでした。
本書はこのようなIT社会に生まれた超富裕層たちに共通する"マインドセット"を明らかにし、批判する内容です。
彼らの並外れた財産や権力がもたらしたのは、気候の変動、海面の上昇、大量の人口移動、世界的パンデミック、移民排斥、資源枯渇など、現実に今存在する危険から自分たちを隔離するという考えに取りつかれるという結果でした。彼らにとって、「テクノロジーの未来」とは、たった1つの意味しかありません。他の人間から逃れる、ということです。
「マインドセット」は、断固とした無神論と唯物論に よる科学主義、技術で問題を解決するという確信、デジタルプログラムが持つ偏向に対する固執、人間関係をマーケットの事象と見る考え方、自然および女性に対する不安、全く独自で前例のないイノベーションこそが貢献であると考える必要性、そして未知のものを支配して活気を奪うことにより無害化しようとする衝動に基づいています。
著者はこういった"マインドセット"の共感能力の低さや他者の排斥、自己中心的な発想・パラノイア的な発想を徹底的に批判します。演劇批判、TEDトーク批判、ドーキンス批判、どれもシニカルな口調ではあるものの、熱も入っていて面白いので是非読んでみてほしいです。
私は研究者にはなれなかったですが、著者と同じくマルクスが好きでこんなことをずっと考えているタイプでした。人は個々の間では優しさを見せるのに、権力を持ったり、組織ができると上手くいかないことがしばしばあります。それを「彼は第三者からの見られ方や択のなかで、友好的に接する方が得だ」みたいなゲーム理論的な範疇で処理したり、無機質に処理していくのは悲しいし、何より現実社会の目の前の事象に対して良くないと思ってました。「仕方ない、いつか大いなる技術革新で解決するかとしれないし、関わらないで済む方法もある」と思うのは、私も"マインドセット"に侵されている証拠かもしれないです。
営業の仕事をしてて、「みんなすぐに損得の箱に仕分けて、役立つ人・役立たん人で考えるの嫌だな」と常に主張していました。一方で私は悲しきモンスターだなと思うのは、「この人が私と付き合い続けてくれるためには、経済的か心理的なメリットを出さないと」と常に考えてしまう、メンヘラというか損得合理性"マインドセット"モンスターであるなということです。なんとなくたまに反省してたんですが、今回のことでより一層強く思いました。たぶん他の人よりも「誰かに必要とされる」という欲求が満たされたときに得られる果実が大きいから、「必要とされるにはどうしたらいいか?」と常に損得の電卓を弾いてしまうクセがあるのです。保険屋を経て「私は私であるだけでいいや」的な、ちょっと悪癖が抜けた気もしますが、それでも気を使いすぎるというか必要とされたすぎる気がします。
後半に「内部限定経済」の話が出てきます。
ドイツの銀行家や政治家との会議に出席し たとき、鉄鋼労働者の組合が、自分たちの退職年金に対 して「内部限定経済」の原理を適用しているという話を しました。株式市場に投資する代わりに、組合の鉄鋼労働者を雇用する建設プロジェクトに投資するのです。彼らは、自分たちの資産を使って雇用を創出し、利益も生み出します。これが非常にうまくいったので、その計画 をさらに一歩進めて、退職した鉄鋼労働者やその親のための老人ホームに投資しました。要するに、1つの投資 で3つの形態の利益が得られるのです。
成長に依存しない循環的な経済を構築するための原理 は、単純です。資源と収益をコミュニティーの中で循環 させ、労働者階級が利用できるようにします。
この前知り合いから「ちゃぶ台理論」という話を聞きましたが、まさにその話だなと思いました。たぶん正確にいうと違うのかもしれないですが、「仲間のためにお金を使いましょう。返ってくるから。」みたいな話です。本当に見返りを求めないというのは難しいものです。私はよく人から「カネコさんは見返りを求めなくてすごいいい人だ」みたいに言ってもらえるんですが、それは違って、「カネコは必要とされたいから何かをする」わけです。でも思うに、ちゃぶ台についた仲間たちが、みんな「必要とされたい」モンスターであれば、世の中は案外平和なのかもしれないです。私は小劇団の小さな国の王になるような行為を小馬鹿にしていますが、たぶんきっとみんな小さな国の王になりたいし、小劇団みたいな関係性で生きてたら案外平和で幸せなのかもしれないです。観客は役者にお金を払い感動を得て、役者は劇場と居酒屋にお金を落とす、劇場と居酒屋の経営者はバイトの役者にお金を払う、役者はまた別の劇団の公演を観に行く。そんな小さな世界が幸せなのかもしれないです。
誰かに必要とされるために、今日も頑張っていこうと思います。
「ちゃぶ台の話」
https://chabdai.theshop.jp/items/88831875
まだ読めてないですが、おすすめしてもらった本です