失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『どうぶつの国』(雷句誠、2009〜2013年)

これも今日までのKindleセールで全巻で5000円くらいで買えたので大人買いしてしまいました。中学生の頃に途中まで読んでて最後まで追えてなかったので、一気見して最後まで熱く楽しく読めて最高でした。

どうぶつの生きる世界、唯一全てのどうぶつの言葉がわかりコミュニケーションができる人間のタロウザが世界を変えていく物語です。

タロウザは全てのどうぶつの言葉がわかってしまうが故に、殺されたり食べられてしまうものたちの苦しみの声を聞いてしまい、深く悩んでいきます。そして全てのどうぶつが仲良く暮らせる世界を目指して、日々格闘していくのです。

一個前に『ガッシュ』の記事を書きましたが、私はガッシュから優しさとか道徳を学んだ男です。そしてタロウザの悩みに似た内容も、真剣に考えてしまう子供だったので、世界から争いを無くして皆が幸せに生きる方法を探すために、哲学者になるべく大学に行こうと思ったし、カール・マルクスになろうと思っていました。私たちは便利さを享受して、その便利さのために犠牲になっていることを、外部化して見えないようにしています。ファストファッションや電気自動車やスマホをはじめとしたリチウムイオン電池の便利さからは抜け出せず、こういうときだけバングラデシュコンゴの人たちを一瞬思い出すけれど、何もアクションを起こさず、なかったものとして処理しています。毛皮や象牙の問題もそうですね。『どうぶつの国』を読んでいた小中学生の頃は、アル・ゴアの『不都合な真実』もちょうど流行っていた頃で、毎日「なんで人間はこんなに邪悪で愚かなんだ」と常に悩んでいました。大人になるにつれその"邪悪さ"や"愚かさ"含めて「人間も愛らしいところもあるな」とは思えるようにはなったものの、やっぱり選挙に伴う政治家からの発信や戦争のニュース・しょうもない企業のIRの発表とかを聞いてると、"邪悪さ"と"愚かさ"を煮詰めて外面にコーティングして綺麗にした言葉を摂取してるようで、心が荒んできます。

無責任に綺麗な景色とか美しい言葉とか良い人だけを摂取して生きていきたいですが、便利さを享受する自分もやっぱり何かしないといけないと思うし、不幸や理不尽にさらされる人や"不都合な真実"に対して向き合って行動しないといけないと思うのです。

結局社会的な役割としてはゴミの分別やリサイクル、買うものを選ぶといった、本当に些細なことしかできていない自分が情けないですが、せめて身の回りの接する人たちが、不幸や理不尽にさらされるとしたら、助けてあげられる自分でありたいなと思うのです。

ガッシュやタロウザから学んだ優しさの道徳は、私の考え方の大事なところの多くを意外と占めているのだと感じ嬉しくなる読書体験でした。ガッシュKindleセールで一気読みしてしまい、そこでガッシュ2の存在も知り合わせて読破しました。漫画漬けの週末で最高でした。