失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス、1976)

古典的な名著として読むべきという意識はありつつも、ずっと読まずにいました。

私は、自分の私生活とか身の周りの出来事とか最近だと選挙の話とか、なんか少し嫌なことに直面すると、どうも人間の愚かさというものをどこか他人事として俯瞰してみることで、愛らしいという感情や「しかたないじゃない、人間だもの」的な投げやりな感情に変換する癖があるように思います。最近はそんな投げやりモードが長く続いていたのですが、いつかのKindleセールで買ったまま積んでいた本書が目につき、読むことになった次第です。

当の行為が結果として利他行為者と見られる者の生存の見込みを低め、同時に受益者と見られるものの生存の見込みを高めさえするならば、私はそれを利他行為と定義する。

生き物を遺伝子の乗り物と考え、進化論における自然選択を遺伝子単位で読み解く書であり、一般向けの解説書でもあると理解しました。議論も面白いですし、個別の動物のエピソードも面白いですが、ちょっとバタ臭いというか英語圏の議論特有のさして意味のないエピソードも深堀りするし、とにかく長い本だなというので結構辛いところもありました。

私個人の話というか、冒頭の「人間だもの」投げやり慈愛論法について、ちょっと考えたいなと最近思います。

私は幼少期からなんか寝る前に「人は死んだらどうなるのだろう」とか無意味に深く考えて寝られなくなってしまうタイプの子供でした。いつも色々考えるんですが、大体最後は宇宙の話になります。「宇宙は46億年前にできたらしいがいつか宇宙は冷え固まって終わるらしい、そもそも数億年したら太陽が膨張して地球も飲みこまれて人間は絶滅するみたいだ」そんな大きな物語を考えると、自分の悩みというものは大した悩みでないと自分で納得して寝るのです。

最近は仕事でも悩んでいます。まあまあ楽しいのですが、楽しいだけでない仕事も当然多い訳です。不動産の仕事で、楽しい人とだけ接する訳にもいかないし、楽しくないこともしないといけないシーンも多い訳です。まあ大人ですから、楽しくなくてもやるような習慣や心の持ち方、或いは鍛錬や我慢を通して何とか日々生きています。でも私はやっぱり我慢のできない人なので、楽しくやるように持っていく工夫をするタイプかもしれないです。

楽しくなったきっかけは、ちょっと自分なりの勝ちパターンというか、居場所が作れてからだと思います。猜疑心のうずめくBtoBの不動産営業、その猜疑心を超えていかに騙すかとか出し抜かれないようにするかという文化が嫌で、私は猜疑心なくコミュニケーションができる人とだけ付き合って仕事がしたいと思いました。しかし大体できる人やえらい人・資産を持つ人というのは、猜疑心が強い傾向にあるので、その人たちの猜疑心を解く必要がある訳です。そんななかで「安心してください。私は本当のことしか言わないし、騙す金銭的・心理的メリットがないよ」というスタンスとポジション・行動をとり続けてきました。色々試して失敗もありながらでしたが、いまは仲間も集まり猜疑心の生まれないやり取りだけをしていて、本当に幸せだし仕事もしやすく不快なことがないです。

ただそれでなんで悩むのかという話ですが、あんまりたぶん会社に不動産を収めるということに興味がないことに気付きました。要は地面師の石洋ハウス的な仕事をしている訳ですが、そこでやりがいを感じえないというか、どうしても面白くないんです。石洋ハウス的な規模の会社は、もう儲かる仕組みのできた大きな機械みたいなもので、営業マンも企画もある種その儲かる仕組みのベルトコンベアに乗っけて運ぶだけです。私の仕入れ営業の仕事は、そのベルトコンベアから抜き出て、勝手なことをしても、儲かる種が持ってこれさえすればいいので、自由度はあります。ただこの種の加工の仕方が気に食わないというか、たぶん興味が持てないのです。東京の土地にバキバキに”洒落た”何かを作って浮かれた経営者や外国人に高値で貸し付けたり、僕らのような貧乏人でも買えるくらい細かく切り刻んだ猫の額みたいなマンションを作って売ったり、大体行きつく先はこの2パターンとその亜種で面白くないのです。まあ会社がすでにある儲かる仕組みがこれで、儲かるかもわからんことをする訳もないし、私もそんなにアイデアがないので、指をくわえてみている訳です。そこで最近思うのは、儲かる儲からない抜きにちょっとイカれた面白いことをしてくれそうな人に物件を収めさせてもらって、何か面白い企画や世の中が変わることをしてほしいなと思うのです。”不動産屋”という職業はどうしてもお金にしか目が向かないケースが多いですが、その収益性と面白さを両方とれる人に物件を買ってもらって、世の中がちょっとでもよくなってくれたらいいなと思うのです。

人は幸せになって満たされても、また不満というかもっとこうしたいという欲が出てくるものですね。太陽が膨張したり気候変動で生物が死に絶えて世界が終わるまでは、私の周りの人が生きやすい世の中であってほしいし、戦争とかもなくなってほしいものです。

※そういえば、沢田マンションにいったとき、本当に衝撃を受けました。

その話もまたブログに書きたいし、こんな不動産というか生き物と人が交流する場を作りたいものですね。

sawadamansion.net

 

youtu.be