『君主論』(マキャヴェッリ、1532年)
いま色々と整理してまして、本とか服を処分したり買いましたりしています。高校のときに読んで、8度の引っ越しを経てまだ手元にあるので、良い本なのかたまたま残ったのかわからないですが、とりあえずまだ家にあることを認知しました。
中学の頃は塩野七生さんの『ローマ人の物語』が流行っていて、父がよく図書館で借りていたので、それを私も拝借して読んでおりました。その一環で『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』も読んで、マキャヴッェリ『君主論』にも行きついた形です。当時私は中二病全盛期で、あらゆる人間の行為を数値化して証明したいなという思いがありました。だからあらゆる哲学とか経済学の本を読んで、マルクスになろうと思ったし、脳科学とか生物学とかの話にも興味を持って読んでいた次第です。
そんなリアル中二病の当時に読んだときは感動したのが本書です。人間や人間集団をどう御して、どう世の中を幸福にするかということばかり考えていた私です。当時は『ローマ人の物語』の影響もあり、圧倒的なリーダーシップによる寡頭政や君主制、そのリーダーや君主における騎士道・武士道的な道徳的規範などにとても興味があって、『君主論』以外だと『武士道』とかもすごい好きで、何度か読み返した記憶もあります。
いま読み返すと、君主に献上する実践の本であり、学術的な正確性や証明に紙幅を割いていないということにまず気づきました。
本書では「人間とは〇〇である、故に君主とはかくあるべきである」という構成で各論が進みます。例えば私のざっくり要約ですが、下記のようなイメージです。
「人は些細な侮辱に対しては復讐しようとするが、大きな侮辱に関しては復讐しえないものである。故に、民衆というものは頭を撫でるか、消してしまうべきである。人に危害を加えるときは、復讐の恐れがないように行わなければならない。」
「人は意志が弱く邪悪なものである、故に愛される君主より、恐れられる君主を目指すべきである」
「運は変化するものである。そこで、人が自己流のやり方に固執すれば運と人の行き方とが合致する場合においては成功するものの、不一致の場合においては、不幸な結末をみるのである。故に、私は用意周到であるよりはむしろ果断に進む方がよいと考えている。」
※引用ではなくざっくり要約。
そもそも『ローマ人の物語』もそうですが、中学生当時の私はロマン主義的な頭であったなと思います。感性の生き物といいますか、データ的な正しさを検証することを経ずに、より直感で生きていたように思います。当時に陰謀論やポピュリズム政党が流行っていたら、たぶんハマっていた気がします。『君主論』も同様で、29歳の現在に読んでも人間に対する示唆もあるし、学びもあるなとは思うのですが、いまの自分にはやや物足りない感じがするというか、中学生のときのくらい方はできなかったです。当然に500年前からの人間の変わらなさを得られる面白さもありますが。
昔の良い思い出を思い出せましたが、次の引っ越しを目指して本書とはお別れしようと思います。また15歳の次なる少年が手に取ることを祈ります。
