失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『月と蟹』(道夫秀介、2010)

暇すぎて手にとったシリーズ②ですが、面白くてすぐに読み終えてしまいました。

 

月と蟹

月と蟹

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あらすじ

小学生の慎一と春也は「ヤドカミ様」なる願い事遊びを考え出す。100円欲しい、いじめっ子をこらしめる――他愛ない儀式はいつしかより切実な願いへと変わり、子供たちのやり場のない「祈り」が周囲の大人に、そして彼ら自身に暗い刃を向ける……。
注目度ナンバー1の著者による最新長篇小説。鎌倉の風や潮のにおいまで感じさせる瑞々しい筆致で描かれる、少年たちのひと夏が切なく胸に迫ります。直木賞受賞。/文藝春秋

転校生で馴染めておらず父を亡くした慎一、父から家庭内暴力をうける春也、母を亡くした少女鳴海。小学3年生の3人が、家庭や学校での居場所のなさを、秘密の儀式(ヤドカリをあぶる)ことで”ヤドカミ様”に救いを求めます。親の”不倫”や恋の三角関係、少年時代の何とも言えない心の動きを描いた作品です。

読んでよかったなと思える作品でした。少年の心の”切なさ”と”グロさ”が来る読書体験でした。幼少期は逃げ道がないというか、世界を変える力や環境を変える力・考え方を変える力を持ちません。そして一方で感受性が強いし、些細なことでも食らいやすいから、「まあこういうことってあるよね、仕方ないよね」で済まない時期でもあります。故に、本作の3人が相対している現実は、辛い事実ではあるのだけれど、それを解消する方法がちょっとえぐい感じがします。大人が思うより当人はダメージを食らってるし、それを乗り越えるための手段がちょっとえぐすぎるというか、子供の繊細さと残酷さを描いたいい話だなと思いました。

一方で私が結構苦手なジャンルとか時期でもあって、個人的には結構嫌な気持ちになりました。グルグル巻きにして縛って記憶の奥底に沈めた、当時の嫌なことをいっぱい思い出しました。それこそ亡くなる前に母と喧嘩して嫌なことを言って謝らないまま別れてしまったこと、或いは反抗期で教師に当たって謝らなかったこと。もっとやるせないのだと、学童の一個下の子が母に殺されたこと。たぶん一生思い出さなかったかもしれないことを、今回思い出して鬱になりました。

まあたぶん今後もし私に子供が生まれたら、自分の引き出しから出す時が来るのかもしれないけれど、本当に鬱になる読書体験でした。あんまり細かく書くと病みそうなので、こんな感じで。

 

 

『流跡』(朝吹真理子、2010)

あまりにも暇で、古書店をぶらぶらしているときに手に取った本です。権威に弱いので「芥川賞受賞、ドゥマゴ賞受賞」というのに釣られた形です。

流跡

正直意味がわからないといえばわからない作品で、言葉にするのは難しいです。

自分用の備忘録に書くとこんな感じです。

ーーー

語り手ははじめは男性です。本を読もうとして読めないという現代のシーンから始まります。

そこからなにかが立ち現れ、気づけば廃寺の脇を歩いています。その後川の臭いに気づき、ソメイヨシノの桜並木、現代の世界。桜並木の下に白い布のスクリーン、映画。スクリーンの穴、風が吹き闇に落ちる。

海沿いの神社の参道。平舞台。

舞台の裏の大鳥居の向こうに煙突と汽船。波。

そこで森鴎外の高瀬舟✕怪異の世界観の船頭になります。ちょっとグロテスクな地獄のような世界観のなかで、語り手が疲れてくると、「帰りたい、どうしてここに来てしまったのだっけ」という思想のなかで、過去の自分の過ちを思い出せそうで思いだせないまま、夜でもない朝でもない川を進んでいきます。

その後、焼却炉の煙突からの白煙を、語り手が目にします。雨降る現代に来たようです。家の中で子育てをしています。漠然とした不安、同僚の死、子育ての悩み。雨が上がりそうだ、町に出る。梅雨が明けそうだ、夏が来る。

語り手はそこで女になります。港の定食屋でうどんを食べて外にでます。汽船。稼働していない精錬所、粉じん。そして島の最北端の竜宮。孔に落ちる。

女として波止場にいる。

パソコンの前、文字を見る。

ーーー

悪夢というか、ぼーっと空想している内容を詳らかに書き記したような内容です。

この本のことを書いたブログを見つけまして「美術館を歩いているよう」という表現が感覚としては近い気がします。

https://piano6789.hatenablog.com/entry/asabukimariko-ryuseki

私はこの本をマックでコーヒーを飲みながら読んでたのですが、人間はノイズキャンセリングを自動ですることが出来るのだとしみじみと思いました。

チーズの強烈な臭い、星野源の歌、ピロピロ鳴るタイマー。本当に言語化するとキリがないくらい、何かの刺激を頭に一度通して感情として知覚しているけれど、明確に言葉にする前に立ち消えてしまいます。

本書は細かい刺激を捉えて言葉にしようとしつつ、途中で諦めるというかしつこく追わないまま次の刺激を言葉にする感覚です。

不思議な読書体験です。この読書体験を自伝風ブログに落とし込むにあたって、マックの些細な刺激たちから私も思い出したしょうもないことはいっぱいあるのですが、ブログで人様に見せる程はちゃんと書くの面倒なので辞めようと思います。

 

『お金の減らし方』(森博嗣、2024年)

これもKindle Unlimitedに登録した貧乏性で手にとった本ですが、面白いエッセイで一気に読んでしまいました。

サスペンスを読まないので名前は存じ上げておりましたが、手にとったことのない森博嗣さんのお金や趣味・仕事・働き方に関するエッセイです。工学の教授として働く傍ら、バイト感覚で小説を書いたら即大ヒットで、年収1億円を超える生活になります。ただ独特な感性というか、他人からの見られ方を気にせず、自分の好きなことだけにお金を使っていくという芯があって、生活もほとんど変わらなかったそうです。本書に通底するのは、自分自身の欲求を性格に見抜き、その欲求にきちんとお金を使おうという考えです。

当たり前といえば当たり前の話なのですが、いろんな情報や情緒の海でおぼれてしまうと見えなくなる話を、独特なリズムの文体で書かれているエッセイで癖になる内容でした。森博嗣さんは自分のやりたいことがあるというか、知的好奇心がすごい強い方だと思うのですが、私含めほとんどの人間は、他人からよく見られたいとかさみしい・つながりたいという欲求があるとは思います。その他者ベースの欲求を切り分けて客観的に我慢したり見つめなおして抜け出すことが、解脱というかお金に追われず、自分のやりたいことをやれる幸せに至る道であるなと思い至りました。

元は『人間失格』として自分の考えを残したいと思って始めたブログですが、いまやそんな気持ちもなくなり、読書メモみたいになっています。まだまだひよっこですが、やっと解脱の一歩目に立つことができたのかなと思う、而立の30歳でした。

 

 

『砂糖の世界史』(川北稔、1996)

読みたい本があってkindleUnlimitedに登録しまして、貧乏性だからkindleUnlimitedの本を読み漁ってしまうというループに陥っています。

タイトルで気になって手に取りましたが、ジュニア新書で読みやすく、タイトル通り砂糖から読み解く世界史で、経済的・政治的な観点の記載もありましたが、どちらかというと人々の生活史の観点がメインの話でした。

16世紀以来の世界史は、遍く求められる商品を巡った争いであるとのなかで、タバコ・ゴム・染料・香料・茶・コーヒーなどがあるなかで、サトウキビは①温暖な気候が必要、②栽培の過程で土地の生産力を低下させるため定期的な移動が必要、③広大な土地と多くの人が必要であるという特徴があり、それゆえに植民地やプランテーションによる奴隷制度を広げる最大の要因であったとされます。

そんな政治的・経済的な背景もありますが、サトウキビは産業革命以前ではコーヒーハウスにおいて人々が情報交換をして科学革命が生まれる遠因にもなり、産業革命以後は過酷な労働を生き抜くために砂糖入り紅茶は必需品となっていったそうです。

人々が生き抜くための土台でもあり、戦争と植民地・奴隷制の原因でもあったサトウキビ。その後寒冷な土地でも育つビート(甜菜)の普及などによって、必需品ではなくなっていったそうです。

ジュニア新書なのでわかりやすく読みやすいですし、教養としての砂糖を学べてよい経験でした。

読みおえて、過去の歴史の話ではありますが、現代も一緒だなと思うところもあります。

アメリカとベネズエラやメキシコの確執は、19世紀当時のアヘンが合成オピオイドやコカインに変わった争いですし、アメリカと中国の確執も薬物+レアアースの争いです。時代が変わって貧困が減少し豊かになっても、人間の欲望とか争いは変わらないものだなと思いますし、また豊かさを享受する側は、どこかに貧困の原因を押し付けるのも変わらないなと思うものです。麻薬の生産国では治安の悪化を招き、レアアースの生産国では環境汚染をまねきます。大航海時代はネットもテレビもない時代で庶民がどれだけ情報を持っていたかわかりませんが、現代の情報社会でも貧困を押し付けられている国の情報は知りにいかないと知れないので、大枠は変わらないのかもしれないです。クリーンエネルギーも、結局石油資源の限界や温暖化を、レアアースによる環境破壊に切り替えているだけです。

そんなことを思い耽る私も、産業革命の頃の人たちよりは身体的には相当良い暮らしをさせてもらってはいますが、都市で生きるサラリーマンとして広義の奴隷の生活を享受していますし、コーヒーとお茶と酒は現代でも変わらず”奴隷”を働かせるのに大きな役割を担っています。

歴史は繰り返すというか、人は大きくは変わらないなと思う週末でした。

 

『保身―積水ハウス、クーデターの真相―』(藤岡雅、2021)

お久しぶりです。何とか生存はしていまして、別に何があったという訳でもないですが、忙しかったのと気分が乗らず、永い間放置していました。11月~1月くらいは人生で一番忙しいくらい忙しく、スキマのない生活を送っていましたが、やっと落ち着き、本を読んだり、ブログを書いたりする時間と気持ち的な余裕ができたので、久々にやってまいりました。

18歳で田舎の大学で一人暮らしを始めてからテレビを持たない暮らしをしていましたが、12年ぶりにテレビが家にある暮らしを始めました。引っ越してテレビを置いてもいいなと思えるくらいの広さの家になったのもあります。でもってFire Stickも買ったので色々設定していたら、「そういえば『地面師たち』の原作というか関連作品の本を読もうと思っていたな」というのを思い出して、『保身』を手に取った次第です。

 

前置きが長くなりましたが、不動産屋で勤める人が読むと面白いといえば面白いし、登場する人たちの論理や行動がJTC(伝統的日本企業)のサラリーマン過ぎて胸やけする内容でした。積水ハウスの歴史や社長派や会長派が生まれるまでの経緯、騙される意思決定に関する部署間の確執や人間関係の引力・斥力の説明。なぜ騙されようのない詐欺に騙されたのか、結果積水ハウスのJTC的な力学で腑に落ちる説明になるという内容でした。

誰を向いて仕事をするのか?

常々繰り返されてきた問いですが、何のために働くというのは答えがなく難しい質問です。株主なのか、上司なのか、お客様なのか、社会なのか、はたまた自分自身なのか?それぞれに答えはあると思いますが、得てして上司を向いて働かないと居心地が悪い・生き残れない企業が多いから、JTC的サラリーマンが生成されるのだなという悲しきカルマに気づいてしまう内容でした。JTC的サラリーマンは、上司を向いて仕事をしているがゆえに、世間で求められるビジネス戦闘力とずれてしまうし、大企業でえらくなってしまうとその地位を捨てることは難しいからよりしがみつく。

まあみんな家族や生活もあるでしょうし、別に責任を取って辞めろとは株主でも顧客でもない私は思いません。ただ自分自身がその状況にたったときに、自分の信念を曲げた判断をすることに対するダサさが許せないなとはおもいます。

故に私は組織が向かないし、サラリーマンも結果辞めることにはなりましたが、多くの大企業とそれを支える人がいないと社会は成り立たないですし、なかなか難しいなと思うのです。

そんな悲しい結論というか、しみったれた感情になる週末でした。