失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『DOPE SICK― アメリカを蝕むオピオイド危機―』(ベス・メイシー/著・神保哲生/訳、2022)

久しぶりに夢を見た。きっとお酒を飲みすぎて眠りが浅かったのだと思う。幸福な感情は、現実に感じる嘔吐感と頭痛にてかき消されていく。薄れて消えていく記憶、しかも夢と現が交差しており、現実と照合して復元する作業をしないと、その出来事が夢なのか現実なのかわからない。

アルコール依存症の症状と自身を照らし合わせると、共通項が多く、自身の行いに反省と後悔の念が生じてくる。多幸感を得て現実から逃避させる方向に心を持っていくアルコールという物質を体内に入れ、それがだんだんと抜け出ていくなかで不安感や焦燥感が増してくる。もうやめようと思ってもやめられないことを依存というのであれば、私も依存症なのかもしれない。

そんなことを二日酔いで死にそうな頭で考えながら、この前読んだ本を手に取り、薬物依存の怖さを再確認し、自身を抑制する楔として機能させようともがくのである。

本ブログは読書から始まる自伝ブログなので、本はご興味あれば是非。アメリカは精神疾患患者が多く、オピオイド汚染もひどいとは聞いていましたが、どうやって薬に出会うのか、社会的な促進させてしまう要因(失業、医療、製薬会社、コミュニティ…)を、生々しく記述しておりいたたまれなく苦しい気持ちになりました。

そんなことを改めて論理として頭にいれて、「もうお酒はやめよう」という情緒で捉えながら記憶の復元作業をするのです。そして結論、その出来事は夢での出来事であるという確定ができたのです。

たとえその出来事が夢の範疇に属するものとしても、それは幸福感を感じる出来事でした。起きて30分もすると、もう夢の内容は全く思い出せなくて、好きな人と何かをどこかで話していたということしか思い出せない出来事ではあったのですが、それでもともかく幸せでした。その夢のなかで楽しい同じ時間を共有していたという事実が幸福だったのか。或いはその人を夢で思い出せたという事実が幸福だったのか。アルコールは感性を鋭敏にするが、言語化する能力を奪う。そして夢はすぐに消えてしまう。幸せという感性は、時を経て、言語という論理で捉えなおすと消えてしまう。でもそれを残したい、誰かに伝えたいから、粗削りのままブログに残すのである。

そんな幸福なことを頭で思っても、すぐに身体に生じる嘔吐感と頭痛によって現実に引き戻される。お酒はほどほどにしよう、二日酔いの身体に鞭打ってバナナを食べる。そして朝日を浴び、セロトニンを生成し、幸福な感情を再度取り戻すのである。

 

今週のお題「夢」

『礼讃』(木嶋佳苗、2015)

私は凶悪事件や少年犯罪に対して、昔から興味がありつつも、でも犯罪者心理を紐解いて共通項を見つけたり育ちの異常性を明らかにするようなワイドショー的な論調は嫌いだし、かと言って同情して更生や再発防止を議論するのも好きではないです。純粋に「どうしてそんなことしたん?」「どんな感情だったの?」ということを知りたくて、ワイドショーのキャスターや新聞記事の解釈が入りこまない情報が知りたいのです。個人の動機や感情はあくまで主観で、その主観に歪んだ認知があるとはいえ、客観的な解釈は求めておりません。

本社は連続殺人事件の加害者である木嶋佳苗の自伝小説です。感想としては、とにかく長くて、読むのが苦痛だなということに尽きるのですが、「木嶋佳苗には、世の中がこんな風に見えているんだな」と感じられることは面白かったです。とにかく食べ物やお金・豪華な暮らしに対する憧れや執着がすごく、描写がリアルで生々しくすごいなと感じます。そして動機にも繋がるような自身のモテや性的魅力に対する記述も長くて、生々しくてグロテスクで、確かにそんな風に世界が見えているのだなと感心しました。そんな認知であるのであれば、「自身の魅力や対価について、相手から正当な対価を受け取っていただけだ」という主張が出てきますし、「自分でも不思議だが、そのこと(事件当時のこと)に対する記憶がないのだ」などという言葉が出てくるのだと思います。

私自身の人生振り返ると、病的なウソつきな人間というものはまあまあの割合で居たことを思い出します。「ウソつきはなんでウソをつくんだろうな?」ということについて、保険の仕事をして、多くの人と接し、個人事業主として人間についてずっと考えているなかで、ある一つの答えに至りました。それは、「人間は自分を守るために言い訳を考えたり、嘘をつくことがうまい生き物である」という答えです。「高くて払えない」「忙しい」というのは嘘というか、言い換えると「あなたと商品にその金額を払う価値はない」「あなたに割く時間はない」という心理をオブラートに包んだものです。その言葉を言い訳や嘘であると自己で認識して優しさとして発している場合もあるし、認識しないまま恐怖心や不信感から営業マンを遠ざける言葉として発しているケースもありますが。子供も壊れたおもちゃを隠したり、怒られないような言い訳をしますが、大人も大して変わらない気がします。社会性と呼ばれるルールを学んだり、損得勘定がもっと精緻にできるようになったから、敢えてウソをつかない選択をできるだけで。

ともかく人間は言い訳をし嘘をつく生き物ですが、病的なウソつきというのは、自分に自信がなかったりで、自分を守ろうとしたり、守るにはまず攻めよ的な発想で人を攻撃するから、ウソが口をついて出てくるのでしょう。

人生で出逢った色んなウソつきを思い出して、笑えるのもあれば、笑えないくらい不快なものもあって、なんかわざわざ書き起しても何も生まない気がするのでやめておきます。

ともあれ、そんな私自身もウソつきであるなという自覚はあって、話を面白くなるであろうと盛って話し続けているうちに、話の原型を留めていないトークを事実だと認識していることも多いです。

きっと人間社会で病的なウソつきは、法的な規範から逸脱したり、会社組織などに居られないから、どんどん排除されてしまうのでしょう。彼らは自分自身の中では本当のことであっても、他人からみたらウソでしかないし、当人のなかでどんどん歪められてしまっているのでしょう。ウソつきは、飲み屋に行って適当なことを話して満足すればいいのになと、そうすれば世の中平和になるのになと思うのです。ただ人間欲深いし、そうもいかないのだろうし、難しいものです。

 

『あやうく一生懸命生きるところだった』(ハ・ワン、2020)

また風邪をひきまして、会社を休みました。お盆前まで仕事が忙しく、お盆はたらふく休んで飲んでの日々でした。お盆明けたと思ったら、お盆前に断ってた飲み会が一挙に押し寄せて、飲み会の毎日。「そろそろ仕事しようかな」と思った矢先に風邪を引いたのです。結果、コロナではなかったので良かったんですが、夕方5時に起きたら、空はもう暗くなり始めてて、電話の着信は溜まってて、メールもLINEも溜まってて、「なんかもう嫌だな」という自己嫌悪でいっぱいになりました。夜も夜とて、ずっとYouTube観たり、ラジオ聴いててこんな時間です。なんか熱もなくなったし喉も回復してきたけど、動悸もとまらないし、耳鳴りもするし。本当に最悪。

「何か自己肯定感を上げないと」、自分を許すにピッタリの本を思い出して、パラパラめくった次第です。

とりあえずもう今日は寝られないくらい昼に寝てしまったけど、「明日からはぼちぼち頑張ろう」というくらいには回復しました。

なんか振り返ると、お盆明けてから最悪の2週間だったな。なんであんなにお酒を飲んで、あんなことして、あんなにお金と時間を無駄にしたのだろう。ビール、吉四六鏡月チャミスルテキーラ、クライナー、訳の分からないシャンパン。私をだまくらかして一瞬は幸せにしてくれたけど、夜も翌朝も気持ち悪くて最悪だったし、今になって変な風邪ひくし、もう本当に最悪。2週間連日で飲んでたけど、反省して今週からは一滴も飲んでないです。それでも身体もメンタルも不調なのは、無理して毒を接種し続けてきた反動であり、離脱症状的な感じなのかもしれないです。

仕事の電話がなるのも面倒だし、自分から頼んでおいたことの返信すらもダルいし、キャバ嬢とスナックのLINEはもっとダルい。稟議もダルい。まずもって会社行くのもダルいし、元気出すのもダルい。なんか風邪の影響かずっと不整脈だし、もう全部嫌だな。

ともあれ今日の明日で、営業できるテンションに回復するのは無理だな。でも出社はしよう。出社したらすぐに外出しよう。"現地調査"と言い張って、遠くに出かけて気分転換しつよう。そこで溜まってたメールとLINEを返そう。とりあえず明日は湘南に行こう。海を見て、風に吹かれて、ガパオライスとかビリヤニとか雑に見えてちょっと丁寧な料理食べる。そして帰り際に湘南の会社に適当にアポいれて仕事のリハビリしよう。

お酒止める。長生きする。

とりあえず明日はノンストレスで生きよう。やりたいことはやりたいときにやって、話したいことは話したいときに話す。やりたくないことはやらない、話したくない人とは話さない。そんな日にしよう。

 

 

『マチネの終わりに』(平野啓一郎、2016)

平野啓一郎は高校生の頃に『日蝕』というあえて文語体で書かれた小説を読んだ以来で、『滴り落ちる時計たちの波紋』と共にたまたま出会って手に取りました。三島由紀夫のような華美な文章をかみしめていくような話だった記憶はあって、話も結構グロかった記憶があり、『滴り落ちる時計たちの波紋』も純文学よりの作品でした。一方で『マチネの終わりに』では、こんなドラマにできそうな恋の話もあるんだなと思って読んでいました。久しぶりに甘い恋バナを聞いた感覚もあり、大人の恋の苦みも味わえて、楽しい読書体験でした。

私も気づけば27の歳になり、こんな大人の恋愛とかの感情の揺らぎを自分事として楽しめる年齢になってしまったんだなという悲しさがありました。本小説は蒔野聡史と小峰洋子という壮年で働き盛りかつ社会的地位のある男女が、本気の恋をするという話です。歳をとると経験を積み重ねて考え方や立場がソリッドに確立してくるなかで、突如として本気の恋愛というある種の動物的・衝動的な感情の奔流がそれを壊す勢いで出てきます。ただ過去の経験もあるから、その恋愛感情は一時的なことであると再確認し、周囲を取り巻く状況を論理的に頭で整理して、この恋を前に進めるべきでないと自分で自分を説得する術を備えていきます。ただ本気の恋は止められない。一方で、周囲の状況は過去40年近く積み重ねてきたものもあって、それが恋を阻害してくる。甘くて苦い、ベタですがそんな話です。

蒔野はそう言うと、少し間を取ってから言った。

「人は変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものなんじゃないですか?」

洋子は、長い黒い髪を首の辺りで押さえながら、何度も頷いて話を聴いていた。

「今のこの瞬間も例外じゃないのね。未来から振り返れば、それくらい繊細で、感じやすいもの。……生きていく上で、どうなのかしらね。でも、その考えは?少し怖い気もする。楽しい夜だから。いつまでもこのままであればいいのに。」

蒔野は、それには何も言わずに、ただ表情で同意してみせた。話が通じ合うということの純粋な喜びが、胸の奥底に恍惚となって広がっていった。彼の人生では、それは必ずしも多くはない経験だった。

……中略……

彼らの関係の中でも、この出会いの長い夜は、特別なものとして、この後、何度となく階層されることとなったからだった。

最後に名残惜しくかわした眼差しが、殊に「繊細で、感じやすい」記憶として残った。それは、絶え間なく過去の下流へと向かう時の早瀬のただ中で、静かに孤独な光を放っていた。彼方には、海のように広がる忘却!その手前で、二人は未来に傷つく度に、繰り返し、この夜の闇に抱かれながら、見つめ合うことになる。

私はここ2,3年で過去の意味付けを変えるということについて考える機会が何度がありました。生命保険の仕事をして人の生と死について考える機会が多かったのもあると思いますし、個人事業主として経営について或いは社会や身の回りの人との関係の仕方について真剣に考えたところに拠るところが大きいと思います。もっと過去に遡ると、大学の頃に取り組んでいた歴史学という学問は、事実を明らかにする学問ではなくて、過去のある時点の過去に対する解釈を明らかにする学問だったように思います。過去に残された文書は、更に過去のことを記録するものでありますが、その記録された時点の解釈や思考の枠組みを明らかにする、或いはその記録者の解釈を濾過して除外し事実のみを取り出す、そんな作業を必要とする学問だったように思います。そんな学問に向き合い過去の意味付けを取り出すトレーニングを経て、私自身が働いたり、恋したり、色々やっていくなかで、自分自身の意味付けを変えることができるようになったのだと思います。

最近、書きたい恋に関する題材を一年くらい寝かしているのですが、ちょっと暇になったり、『失われた時を求めて』を読破して、書きたい気持ちになってきました。「毎日マドレーヌを食べたら、彼も何も感じなくなるわ」みたいなセリフが本書でも出てくるのですが、あのマドレーヌ的な感動は、きっといつかまた体験するんだろうけど、いまのうちに書き残したいなという想いがあります。一方であの無意識的な感性で捉えた感動を、理性を以て捉え直した瞬間に、もうそれはあのときの感動でなくなるのではないか、陳腐化してしまうのではないかという恐れもあります。

でも昨日久しぶりに車を運転して旅行に出かけて死にかけて、死ぬ前に残したいなという想いになりました。18で出会った友人達も、皆いい歳になってて、変わらないけどなんか違って、いつかはあんまり会わなくなるんだろうなというスタンド・バイ・ミー的な感情を得ました。同じ大学などの同質な水に満たされた桶に飼われていた大学時代から、違う道を歩むいま、この懸隔は大きくなり続けるという確信。その違いを刺激や遊びとして楽しめるのか、或いは大学という同族で群れてた感性から抜け出せず会わなくなったり、昔の思い出をしがむための同窓会だけになるのか。わからないですが、今を楽しみ積み重ね、過去の意味付けを問いかけ続けていこうと思います。未来はわからないですが、親よりは長生きして、誰か忘れずに想い良い影響を与え続けていこうかなと思うのです。

蒔野は、自分の中にある、洋子に愛されたいという感情を、今はもう疑わなかった。胸の奥に、白昼のように耿々(コウコウ)と光が灯っていて、その眩しさをうまくやり過ごすことが出来なかった。

洋子も、自分を愛しているかもしれない。――彼女の言動に、そうした徴を見出す度に彼は苦しくなり、そうではないのではと思い直す時にも、結局、苦しくなった。そして自分がそもそも、彼女の愛に値する人間かどうか、むしろ冷静であるために考えようとして、却って逆効果になった。

なるほど、恋の効能は、人を謙虚にさせることだった。年齢とともに人が恋愛から遠ざかってしまうのは、愛したいという情熱の枯渇より、愛されるために自分に何が欠けているのかという十代の頃ならば誰もが知っているあの澄んだ自意識の煩悶を鈍化させてしまうからである。

美しくないから、快活でないから、自分は愛されないのだという孤独を、仕事や趣味といった取柄は、そんなことはないと簡単に慰めてしまう。そうして人は、ただ、あの人に愛されるために美しくありたい、快活でありたいと切々と夢見ることを忘れてしまう。しかし、あの人に値する存在でありたいと願わないとするなら、恋とは一体、何だろうか?

蒔野は恐らく、最初に会った時から、洋子を愛し始めていた。あの夜は、もうそのようにしか振り返り得なかった。そして、その時に抱いた彼女へのあこがれは、今では乗り越えるべき彼女までの距離となっていた。

久しぶりに蕎麦殻の枕から頭を起こすと、窓から見える松戸の入道雲は旅先で見るより小さい気がする。雨の降りそうな気配も排気ガスと土埃のむせ返る臭いによって知らされる。そう現実に引き戻されると、箱根はやはり遠い場所だと思われて、少し悲しくなる。芝と森の匂いの残る衣服を洗濯機に入れたら、何もない日曜日であることを思い出す。とりあえずカーテンを締め、松戸の空を締め出し、眠ることにした。

 

『逆境こそ光輝く機会なり―今から始まるAPAの世界戦略―』(元谷外志雄、2016)

お盆は青春18きっぷの旅に出てまして、とても有意義でハッピーでエキサイティングで最高の5日間でした。そこでの出来事や感じたことも記憶が消えないうちに書き記したいなという想いもあります。

その前に全国各地のアパホテルに泊まり元谷さんの本を購入してしまいました。YouTubeでインタビュー動画を観てからファンで、本読んでみたいなと思っていたので、ついに読めて良かったです。 電車で書いてるのでちょっと雑な読書メモ風ブログにしました。

f:id:saminasu:20230819101256j:image

※書店等では市販されてませんが、アパホテルのフロントで800円で買えました。部屋にも置いてあるので、泊まった際に読むこともできます。

なぜ不動産を買うか?

私は不動産の仕事をしていて、最近はよくアパホテルのことは耳にします。競合他社や近隣の取引事例に対して尋常じゃないほどの高値で買うケースがあり、そこから気になっていました。YouTubeの対談動画でも少しその意図するところは知れましたが、本を読んでその戦略の根本を理解できました。

アパの投資基準は以下の通りとのことです。

・都心or大都市(会長が現地見て管理できる)とにかく東京が一番

・駅近(3分以内)

・旗竿でも買う(採光不要、エントランスの光が大通りから見えれば良い)

・東京の宿泊単価は安いと思っているし、まだまだ上がる(倍くらいまでいくのでは)

・もっと会社を大きくしたい、世界で戦う

・リーマン前の姉歯耐震補強問題で不動産売り抜いて自己資本比率が上がっている。

・税金目線でも、減価償却取るためにたくさん建てたい。

GOPが平均70%らしいです。通常は3-40%あればいいホテル、20%でも黒字ホテルらしいですが驚異的な水準ですね。ビジネスとしても驚異的な粗利率ですね。徹底した現場目線のものづくりが、新たなマーケットを作るんですね。

 

ホテルの設計について〜新都市型ホテル〜

とても勉強になりました。あえて狭く作っているとは聞いていましたが、その詳細を知ることができました。

・時間をどう抑えるか

・どう環境に対して負荷を減らすか

という点が徹底されていました。

時間については、頻繁に出張に出る上位5%のビジネスマンをターゲットにしているからで、「時は命なり」を緻密に貫いている理念に感銘を受けました。

「スペースを売っているのではない、満足を売るのだ」

ということで、時間を大事にするビジネスマンが、短い導線ですべて完結できるように配置していました。

例えば、アパの客室はベット・化粧台・テレビが大きいことが特徴です。

そのメリットは、実際に3日間泊まってみて実感できました。

例えば化粧台もベットから直接使えるので、財布おいたり・着替えたり・お湯沸かしてお茶入れたり、全部ベットから動かずできました。

あとはテレビは、Wi-Fiのパスワードとか天気・大浴場の混み具合・チェックアウト時間が全部映ってて、ベットに寝転んでも目に入ります。なのでよくあるホテルの取扱説明書・ルールブックのような冊子みたいなのも見ないで済みましたし、そもそもなかったです。

環境配慮については、部屋が狭いことにより空調効率がそもそも高いです。加えて3点ユニットの湯船が独自仕様で卵型(体側のほうが広く、足のほうが狭い)でした。それにより湯量を20%抑えつつ、比較的快適に使うことが可能となります。

どうせベロベロorヘロヘロで一人で寝るだけなので、そんな人には最高ですね。今回の旅も毎日死ぬほど飲んで寝てました。

 

時間の有限性と覚悟について

着々と闘志燃やしてカッコいいんですよね。各場面で最速最短でキーマンを抑える政治力もすごい。私も仕事頑張ろ。

人生は短い

未来と闘う過程を楽しみ

時間に負けるな

人生は有限であり、これまで二百年生きた人はいない。人は自分にないものを数えて思い悩みがちであるが、私は自分の強みを数えて、その限られた人生を前向きに生きていくべきだと考え、実践してきた。つまり、父親がいないことを肯定的に受け止め、それを強みとしてきた。つまり、父親がいない他人より早く自立でき、家族を守るという使命感を持つことができたのだ。人は逆境のなかでこそ必死に考え努力し、自分を成長させることができる。「ピンチをチャンスに変える」は、その後の人生におけるキーワードだ。