だいぶご無沙汰しております。GWで電車移動が長く、暇ななかで、Kindleセールで買って積んでいたのをダウンロードしておいて読みました。
エヴァは正直ストーリーを全然知らないまま過ごしてきました。
私が中学生のときに新劇場版をやっていて、序と破はエヴァ好きの友達と一緒に観に行ったのですが、話が難しくてよくわからないなと思った記憶があります。
あと別の思い出としては、数年前に東急歌舞伎町タワーのこけら落とし公演が、「エヴァンゲリオン ビヨンド」という公園で、演出家が好きな方だったので観にはいきました。めちゃくちゃ良い舞台でしたが、エヴァンゲリオンファンの先輩と観に行きましたが、ストーリーは結構オリジナルだったみたいで、いつかちゃんと観たいなとおもっていたところでした。
『舞台・エヴァンゲリオン ビヨンド』 | KUNIO official website
そしてこの度、15年の時を経て、改めてちゃんと向き合う機会になりました。
結果、めちゃくちゃ面白かったです。今更いう人も少ないかもしれないですが…
戦闘がかっこいいとかももちろんあるんですけれど、人間ドラマだなと思う作品でした。
未熟だけれどもパイロットとして生きなければいけない少年少女が、自分のトラウマを乗り越えたり、欠けている部分を見つめなおして大人になったり、そんなところがベタですが面白い作品です。高校生のときに観たときは、私自身が少年の渦中だったから、いまほど引いて観られてなかったなと思います。彼らほどトラウマだったり死線を潜り抜けてはないですが、みんなそうやって大人になるなといまだと思います。
一方で、本作は結構大人たちがきついなと思う作品です。メンヘラの大人しかいない作品で、碇ゲンドウとそれを伴う大人たちが、メンヘラすぎて厳しいです。ただし、ちょっと寄り添って解釈すると、地球が一回滅びかかって、重たいトラウマをそれぞれ抱えるなかで、この世界全体が精神疾患に近い病気になっているとも思えます。アメリカの産業の衰退する州で、働かずに安価なドラッグに手を出す大人が多かったり、稼いでいる人たちもハードワークでおかしくなっていいたり…エヴァの世界にもそんな背景を加味すると、「たしかに彼らも大変だしな」と思いはします。まあその要因を加味しても、目に余るメンヘラさで厳しいところです。人を恨むのは自由ですが、自責の心というか、変えられる自分自身に目を向けて成長してほしいものです。シンジくんもアスカもレイもそれぞれ成長しているのに、碇ゲンドウや赤木リツコは結構しんどい感じです。
あともう少し概念的な話というか人類補完計画などの観点で観ると、このメンヘラさも必要なピースというか、人類補完計画を成り立たせるためにメンヘラなキャラをいれられてしまったのかなとおもいます。読む前は人類補完計画も、人口を減らしたり増やしたりする話かと勘違いしてましたが、自己と他者という概念の話で、ATフィールドも攻撃をバリアする概念であると同時に、他者との心の壁を表す関係する概念だと知れて驚きでした。
これはサルトルの「出口なし」の「地獄とは他人のことである」をまさに表したような話であるなと思います。自由な意志は、関係する他者によって規定され制限される。エヴァの人間ドラマもまさに出口なき地獄を天国にする話であるなと思うのです。
ジャン・ポール・サルトル 実存の文学 4/4 『出口なし』 地獄とは他者 – LA BOHEME GALANTE ボエム・ギャラント
サルトルにとって、人間とは「自由であることを常に余儀なくされている」存在である。
その一方で、社会の中で常に他者と関係しながら生きざるをえないことも否定できない。
その両面性を考えると、人間は自由であるが、同時に、他者の視線を感じ、他者に裁かれる存在でもある。
思うに、こんな形而上の話は、まあ形而上の話として大事ですし、素晴らしい切り口です。サルトルはこの概念を伝える戯曲として「出口なし」という思考実験的な3人芝居を作ったような気がします。(あんまり経緯を知らないので違うかもしれないですが)
ただし、形而下というか普通に生きるうえでは、他人を他人として切り離すことが赤ちゃんから少年・大人の階段ですし、皆そのうえで制限された自由を楽しんでいる訳です。それをエヴァのなかで、自他が溶け合った状態に戻すという人類補完計画を目指すのは、なんか赤ちゃん概念すぎるというか、親離れできない母親の愚痴を聞いているみたいできついものです。それを良い歳した碇ゲンドウとか赤木リツコという大人が、過去のトラウマを根拠に目指しているのは、本当に気持ちが悪いなと思うものです。
まあともかく面白い話で、ちゃんと向き合って読んでよかったなと思う読書体験でした。
新劇場版も最後のQは観てないですし、序破も覚えてないので、どこかでゆっくり観てみようと思います。