失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『斜陽』(太宰治、1947)

太宰治の代表作の一つで、戦後の華族の没落を描いた作品です。当主を失った文京区西片町の一家、戦地から帰らない生死不明の長男、姉である長女、母。戦後で生活資金がなく、伊豆に越す。叔父からの支援もアテにできないなかで、生きていた弟が家に戻る。稼いで生活を切り盛りするような力は低く、華族としてのプライドは高い、或いは戦後の華族というペルソナから生じる疎外感によって、生き辛さ。姉と弟と、手紙や独白によってそれぞれの内面が吐露されるところが多く、細かい心理描写をまとめると、本編より長くなるので控えます。

青空文庫で無料で読めて、長さもそこまで長くないので是非。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card1565.html

 

本作との出会いは大学生の頃で、当時好きな女性にもらった本です。『金色夜叉』のアンサーだったのかもしれないです。

proust-masayuki.hatenablog.jp

 

 

私は当時この本が好きでなくて、あまりちゃんと読めていなかったというか、当時思った感情と今読んだ感情は全く異なると感じます。当時の思想としては、太宰治的な生き様が本当に嫌いで、

「お前本当に必死でやったのか?悲劇を回避するあらゆる手段を尽くしたのか?」

「それは人事を尽くして天命を待った結果の悲劇なのか?」

自分にも他者にも求めていたように感じます。

 

https://proust-masayuki.hatenablog.jp/entry/2022/05/14/070000

「自分だけが人生に躓きながら、繊細さによって苦しんでる。そんな他人の様が私は本当に嫌いでした。悲劇とは、悲劇を回避しうるあらゆる手を打って、なお悲劇となってしまうのが美しいのであって、自分から火に飛び込むような真似はみっともないと思っていたのです。」

 

かず子、かず子の母、直治。全員が世間から爪弾きにされている感覚を持つものの、そもそも世間に適合する気はハナからなく、緩やかな自死というか破滅を待つのみに見える。自分で選んだ破滅の道なのに、泰然と構えるわけでもなく、あたかも追い込まれ死んでいくように思える。死にたいと言いながら、死なないようにパンを食う。そんな人間に見えたのです。

 

いま読み返すと、もっとこの小説に通底する"生き辛さ"に寄り添って理解できたように思います。

火垂るの墓』に対する感情の変化に近いと思っていまして、を子供の頃に観ると、清太とおばさんが対立し、世間から疎外されていくことに純粋に同情する、涙すると思います。ただちょっと大人びた子供になると、もっと清太は上手く立ち回れただろうという責める感情が出てきます。正常性バイアスというのが正しいかわかりませんが、最適な合理的な行動を取っているように見えなくて、名誉やプライドといった"無意味"なものに影響されて生理的な充足を自ら放棄しているように見えたのです。

 

そして20代後半を迎えたいま、『斜陽』を読み返したのと、この前『火垂るの墓』を観たときと近い感情をいだいたように思います。

あんまり上手く言えないですが、人間は感情の生き物だし、承認されないと生存できないんだろうなと最近思います。当時の私の功利主義的な損得勘定の認知が、上記のような解釈を引き起こしたのだなと思いました。

『斜陽』でいうと、戦後を迎え華族という立場を奪われ、収入も絶たれ、生活していく力もない。頼っていた叔父からの援助も絶え、精神的な支えの母も重い病気である。そんななかで、かず子は売れない病気の小説家を頼って子を残し、直治はドラッグと観念的な世界に閉じこもり死を選ぶ。ただこの小説でもお母さんだけは違って、華族としての洗練された気品を最期まで持ち続け、振る舞いや言動は貧乏する前と一つも変わらず、変わらずかず子と直治を愛し続ける存在です。本作のお母さんのように自分で完結して自分を認めることって難しくて、他者が居ないと自分であることはかなり困難なのかなと思います。

 

私は全ての人が生きやすい世の中にであってほしいなと、ずっと思っていますが、生きにくいまま尖って生きていくのも生き様で、私はそんな生き辛い人たちの助けになる存在になりたいなと思ってて、彼らが気を緩めて馬鹿できる場所を作りたいなと思います。

 

 

『渋谷ではたらく社長の告白』(藤田晋、2005)

サイバーエージェントの藤田社長の自伝です。保険営業時代に上司に進められて読んだ記憶です。藤田社長のことはもちろん存じ上げていて、インターネット広告大手のサイバーエージェントの創業社長ですが、創業から今に至るまでの紆余曲折、苦しみを乗り越えたときの心境などを赤裸々に綴っています。個人事業主として駆け出しにしてもう死にかけていたとき、藤田社長がこんな大変な時期を乗り越えているんだから、自分の悩みなんて大したことないし、もっと激しく頑張ろうと誓った記憶があります。

 

改めて読むと、いまの自分は何をやっているんだろうなと思います。

藤田社長は大学生の頃からインテリジェンスで人材営業に明け暮れ、ITバブルとその崩壊のなかで様々な苦難を乗り越え、いまのサイバーエージェントを作り上げています。サイバーエージェントの上場は26歳で、ITバブルの崩壊は28歳です。

 

私ももう気付けば26歳になってしまいました。渇きも野心も減退している気がして、「丸くなったね」と言われることもあれば、「つまらない男になったな」と言われることもあります。

雨で何もしないで過ごしてしまった日曜日、燃えないとなぁ。

 

 

 

『コーヒーが冷めないうちに』(川口俊和、2015)

就職活動をしているくらいの時期、電車の中吊り広告で見かけた帰りに、彼女の家に置いてあったのを借りて読んだ気がします。この前BOOKOFFで見かけ、ちょっと表紙がささくれ立っている本が並んで100円で売っているおり、時の流れの残酷さを感じました。

 

不思議な喫茶店で、コーヒーが冷めないうちに過去の一時点に戻れる。過去はやり直せないが、伝えたかったことや後悔して心につかえている。どうしても過去に戻りたい人が喫茶店に集まり、ストーリーが展開していきます。

 

これを読むと、新卒の頃初めて父と新橋で飲んだ日を思い出します。

私はあまり父と仲良くないというと語弊がありますが、父と仲の良い男はいないと私は考えているので、一般的な関係性だったのかなという気がしています。父は寡黙なというかそんなにoutgoingなタイプではないのですが、酒を飲むとよくしゃべるというか、絡み酒のタイプでした。子供の頃はそんな父が苦手というか、夜に酔っ払って帰ってくると面倒で、蜘蛛の子を散らすように兄弟そろって寝室に戻っていき、寝室にいる場合も寝たフリをするような子供でした。寝てる自分たちに向かって、ひとりひとり顔を見に来て、話しかけている父が印象的でした。

大学に行って一人暮らしを始め、酒の味を覚えるようになってから、自分の酒癖の悪さを知りました。お酒ってこんなに楽しいものなんだと思いましたし、居酒屋で夜中までバイトをし、そのお金で朝まで飲む。そんな退廃的な生活を送っていました。当然、年末年始もバイトをしていましたし、大学の近くに住む友達と飲み会をしたいので、私は大学4年間ほとんど実家に帰りませんでした。もともとあんまり実家が好きでないので、地方の国立大学に行ったというのもありましたし、反抗期が薄れたものの、帰りたくはなかったのです。

そんな私も社会人になり、田舎から市川の実家に帰りました。社会人一年目は、社会の厳しさや面白さを感じるとともに、親のすごさというか、働いて子供を養うことへの感動を覚える時期でした。両親に何かプレゼントしたことのない私が、初めてのプレゼントとして帝国ホテルのペアランチを両親を贈ったのもこの頃です。私の心の変化があるなかで、一度ちゃんと父と飲みたいなと思い、仕事終わりの新橋で、父を誘って飲むことにしました。子供の頃は毎日終電か朝方にタクシーで帰ってくる父が好きではなかったですが、自分で働くようになってその姿に感動を覚えたのもあって、話を聞いてみたかったのです。父は誘ってくれたのがよっぽど嬉しかったようで、行きつけの店3つをピックアップしてくれました。父はアル中なので、一晩で焼酎でもワインでも日本酒でも四合瓶を空けるような人です。そのペース飲むもんですから、付き合っていたらやたら酔っぱらってしまいました。ふらふらの状態で3軒目の立ち飲みバーに行きました。そこはコーヒー割という、焼酎をコーヒーで割ったお酒を出しておりました。コーヒー割はすごい飲み物で、アルコールの味が全くしなく、体感はおいしいアイスコーヒーです。酔っぱらった私にとって、水気はとにかく欲しているもので、3杯くらい軽く飲んだ記憶です。しかしコーヒーとアルコールというのは、どちらも利尿作用のある飲み物で、酔っぱらった身体には良いものではありません。本能はアルコールに汚染された身体に水気を欲して入れたがるのですが、身体のなかで肝臓や脳は悲鳴を上げていたようです。新橋から市川に向かうタクシーで、何度も途中で降りて吐きながら、もう父と二度と飲みにいかないと思いましたし、言った気もします。

 

コーヒーが冷めないうちに』を読むと、あの日の夜を思い出します。結局3年後くらいに、父の地元でまた二人で飲むのですが、結局飲みすぎて帰れず、知らない駅の知らないホテルで寝ている結果となりました。

 

「男は寡黙であるべきだ」と思っているがおしゃべりな男、寂しがり屋だが口下手な男、それが父であり恐らく私もその類です。そんな男が2人で膝を突き合わせると、話すのが下手だから飲む以外に話すことがないし、話したいなら飲んでスイッチを入れるしかないのです。私はもうしばらく父と飲みに行きたくないですが、父ももうそろそろ飲めない年齢になってしまう気もします。次に実家に帰るときには、飲みに誘ってみようと思います。アルコールの抜けないうちに、生きているうちに伝えたいことは話しておこうと思います。

 

 

 

『幸福な王子』(オスカー・ワイルド、1888)

昔から好きな小説で、確か小学校が幼稚園の頃に童話聞いた気もします。中高生になって文学少年的な気質が増すなかで読み返すと、また違った感覚を覚えました。そして大人になって読むとまた違った思考に至る。そんな不思議な小説です。

 

本作は童話で、"幸福な王子"とつばめの彫像との物語です。

生前の王子は、宮廷から出ることなく、何不自由せず"幸福"に生きて亡くなり、"幸福な王子"として国の象徴となります。しかし彫像となった王子は、貧困に喘ぐ市民の様子を初めて知ることとなりました。そんな市民に対して心を痛め、涙を流します。

つばめは冬を越しにエジプトに旅へ出ます。その旅路のなかで夜を過ごすべく、ある街を訪れ、ある彫像の下で眠りに就こうとします。そこで王子の涙のしずくに起こされ、二人は出会います。

王子は市民の不幸を和らげたいと願い、動けない自分に代わり、つばめに市民を助けてもらうよう、依頼をします。自分を装飾するサファイアの瞳や身体を覆う金箔を、市民に届けてほしいとつばめを遣わし、市民を助ける。そのようなことを続けるうちに、つばめは寒空の下で、市民を助けることに幸福を感じ、目を失った王子にずっと付き従うことを決意します。そうするうちに、あたりはもうすっかり冬で、つばめは冬を越せず亡くなります。すっかり装飾はなくなりていますみすぼらしくなってしまった王子の彫像も、後を追うように鉛でできた心臓が真っ二つに割れ絶命します。

 

改めてこの本を読み返すと、ただひたすらに尖っていた18-20歳くらいの頃を思い出します。演劇は好きだけど演劇人にもならずに、ただバイトをして得たお金を酒に変え、授業にはいかずに本を読むか寝ていたあの頃です。

幼いころにこの話を聞いたときは、なんて悲しい話なんだと思った記憶があります。自己犠牲を伴う愛で、二人とも絶命してしまう。救われた街の人々はみなを救った彼らのことを知る間もなく、忘れて幸せな生活を送る。救いのない話というか、とにかくつばめが寒い中飛ぶ姿が悲しかった記憶でした。一般的なやさしさを持ち合わせた少年でした。ただ中高生でスレてきて大学で尖りのピークを迎えた私がこの話を読み返すと、また違った感覚を持ちました。両者の献身さというより、誰からも理解されないことに対する美しさのようなものを感じた記憶があります。王子とつばめで閉じられた世界、人に物を与えるという”良いこと”をするものの、誰からも認識されずついにはゴミ捨て場に打ち捨てられる。

「誰からも理解され愛されないが、限られたその人には理解され愛される。」

自分は世間の馬鹿な連中に理解はされないし関わる必要はなく、今の社会から取り残され躓いているような状況は、無限の未来の”可能性”に向けてしゃがんでいるのである。そしていつかは誰かに理解され愛される。そんな現実逃避や都合の良い願望に支配された私には、王子とつばめだけの世界で完結する美しい話に見えたのです。

 

世間に対して愛を持って向き合うものの、理解されずに石を投げられ、最後は人類の罪を背負って死ぬ。そんな彼にも、ただ一人マグダラのマリアだけは最後まで付き添ってくれる。そんな世界に恋焦がれていたのです。

 

王子もつばめも愛されることも理解されることも望んでいないな。いま読むと、そんなところに目がいきました。それが愛なんだなと、薄味でありきたりな感想だと思うんですが、そんなことを思いました。

 

心が丸くなると同時に、目つきも身体つきも丸くなってしまいましたが、今日より明日が良い日になるように、ちゃんと社会に参画し世間に働きかけていこうと思います。

 

 

 

『運転者』(喜多川泰、2019)

KindleUnlimitedの海から出会った本。保険募集人を主人公にした小説とのことで、思わず手を取ってしまいました。

 

主人公は売れない保険募集人で、大型保険の解約で"戻入(レイニュウ)"にあい給与として貰った手数料を会社に払い戻さねばならない、新規契約もない。家庭のことでも悩みはましている。そんな状況で、とあるタクシーに乗車し、"運転者"から運を転じるための様々な教訓を学び、人生が好転していくというストーリーです。

「上機嫌でいなさい」

「どんなことに相対してもプラス思考で」

「人に与え、運を貯めよ」

自己啓発系の文脈を小説に載せたようなストーリーで、ベストセラー『夢をかなえるゾウ』に近い本です。説教臭い本ではありますが、こういった当たり前の根底の考え方・思考のクセを、正した上で行動に落とし込んで実践し続けるのは難しいことで、そんな本でした。

 

タクシーでのドライバーさんとの関わり方を迷うなと、常々私は感じております。黙々と自分のやりたいことに集中するか、盛り上げるべきか、常に迷います。タクシーに乗るときというのは2パターンで、急いでいるときです。

急いでいるときは、黙々とというか溜まったメールや折返し電話など、作業したいときが多いです。そんなときに会話を挟んでくるような方は、「ちょっと勘弁してよ」って思います。私もおしゃべりではあるし、話したいのはやまやまなんですが、時間がない中で作業場としてタクシーを借りているという感覚もあるので、板挟みで悩みます。地方で目的地にただ向かうだけのときは、現地の文化や変遷を知れるので、面白いし助かるのですが。

もう一つのパターンである終電を逃しているときは、暇そうに見えて悩みます。本当に眠かったり、吐気をなんとか押しこらえているときは、話したくない気持ちではあります。ただ打算的なところだと、自宅であると目印がないため、眠っていると到着できるか一抹の不安はありますし、吐気をこらえているときは、いつでも降りていけるよう、円滑な人間関係を築きたいものです。そんな終電逃しパターンで、暇なときはおしゃべりしたいものです。家まで長いですし、おしゃべり好きなドライバーさんだと嬉しいものです。

 

そんな私なんですが、最近、終電逃しパターンで、九死に一生を得る出来事がありまして、おしゃべり好きなドライバーさんも困ったものだなと思う出来事がありました。その日は終電逃しパターンではあるものの、飲みすぎたというより話し込み過ぎた日で、常磐線の事故による運休で、11時台にして終電を逃した日でした。銀座から松戸までタクシーで帰るか、悩みましたが家から取ってこなければならないものがあったので、泣く泣くタクシーで帰りました。この泣く泣くの思いというか、「聞いてくれよ」っていうところもありましたし、身体は元気そのものでしたので、話すモードでタクシーに乗り込みました。幸いタクシーのドライバーさんも、おしゃべりで楽しい家路でした。飲みで失敗した話や、家計のお小遣い制の話と、ドライバーさんも溜まっていたようで、キャッキャしながら走っていました。

しかし高速道路に乗ったあたりから不穏な空気が流れます。

「私あんまり首都高使わないからわからないんですよね…どっちでしたっけ?」

私もほろ酔いなうえに、夜目が全く効かないのでわかりません。

「わかりません」

はしごを外すようで悪いんですが、本当にわからないんです。みるみる近づく分岐、テンパるドライバーさん。そして何を思ったか、急ブレーキで中央分離帯のど真ん中で停車することとなりました。私は死んだなと覚悟を決めたのですが、間一髪でセーフ。平謝りしながら、何故かナビを入れ直すドライバー。高速道路で停車するなんて危険ですので、まずはテンパっているのを落ち着けないといけません。

「遠回りで大丈夫なので、次で降りて、下道で帰りましょう」

そんな提案をして、なんとか中央分離帯を脱出し、命からがらの再び帰路についたのでした。

私も気疲れしましたし、ドライバーさんは尚更ビビって気まずくなっていたので、無言のドライブとなりました。恐らく話すのを盛り上げすぎてしまって、運転のところに割く集中力が失われてしまったのだと思います。

 

雄弁は銀、沈黙は金。おしゃべりは程々に。そんな教訓を得た日でした。

 

 

 

『美しい星』(三島由紀夫、1962)

高校生の頃、私は三島由紀夫ヘッズであり、学校の図書館の旧書庫から旧字体三島由紀夫全集を借りて読み漁り、終いには地元の古本屋で同じ全集を見つけて買ってしまった人間です。読めない旧字体を電子辞書を使って必死に調べ、読み進めたのが懐かしいです。私を文学部史学科東洋史専攻に進めることになったきっかけでもあり、ややこしい性格をした人間に仕立てあげるのにも一役買っているかと思います。

そんななかで久しぶりに手をとったのは『美しい星』という小説で、異色のSF小説です。宇宙人の自覚を持った人間たちが、人間を守らねば、あるいは滅ぼさねばという論争を繰り広げる小説です。特に見ごたえがあるのは、両陣営が対峙し話会うシーンで、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官のシーンのオマージュと呼ばれるやり取りです。ここでとても印象に残るのは、人間の3つの欠点と5つの美点の記述です。

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3つの欠点

「事物に対する関心(ゾルゲ)」
「人間に対する関心(ゾルゲ)」
「神に対する関心(ゾルゲ)」

 

5つの美点

「地球なる一惑星に住める
  人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきっぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾った。
彼らはよく小鳥を飼った。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑った。
  ねがわくはとこしえなえなる眠りの安らかならんことを」

5つの美点を翻訳すると、以下になる。

「彼らはなかなか芸術家であった。
彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用いた。
彼らは他の自由を剥奪して、それによって辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
彼らは時間を征服しえず、その代わりにせめて時間に不忠実であろうと試みた。
そして時には、彼らは虚無をしばらく自分の息で吹き飛ばす術(すべ)を知っていた。」

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やっぱりこのシーンは良いななんて思い返していました。しかもこの小説の冒頭は埼玉県飯能市天覧山から始まります。何せ私のおばあちゃんの家は、埼玉県飯能市天覧山の隣の山のすぐふもとで、天覧山は幼いころからの散歩コースで、リアリティを持って風景も思い浮かぶのです。いまやムーミンパークもあるような土地を舞台に、こんなやり取りがなされていたと思うと、より感慨深く思います。

 

この小説を読んで思い出すのは、飯能での思い出でというか、話をしたい飯能でのエピソードです。

私は個人事業主の保険屋を経て、貯金はとっくに底をつき、借金で首が回らなくなり、実家に帰っていた頃です。父はコロナ禍で役職定年になり、リモート出勤になったこともあり、地元飯能に戻っていました。つまり私の実家というか生家はもうなく、父の田舎の飯能に転がり込んだのでした。もう保険の仕事は辞めて、サラリーマンに戻ろうと画策している頃でした。そんななかで寂しかったと言いますか、田舎で暇だったので、保険屋になる前に勤めていた会社の同僚、あるいは私と同じく個人事業主で保険をやっていて同様にギブアップした人たちと連絡を取り、電話をしたり、オンラインで話したりしていました。そんななかで再会したのは元同僚でした。私より少し先輩で30代半ばの女性です。彼女は私より先に保険会社を退職しておりました。顔で言うと柏木由紀に似ていますが、もう少し親しみやすい風貌をしています。私は彼女のことがあんまり得意ではないというか、「ややこしい人だな」と思っていたので、同僚であった頃は、適度に距離を取っていました。しかし、いまの私は仕事を辞めようと思っているネタがあるし、なにより暇なので連絡を取ろうと思ったのです。

連絡を取るとやっぱりややこしいなというか、メッセージの返し刀に急に電話があり、「連絡くれて嬉しい」という挨拶もそぞろに、

「自由を勝ちとるために、あえて派遣社員という道を選んだ」

「そろそろ結婚したいから、辞めてプライベートが充実した今は幸せだ」

「良い仲間に出会って、人生が好転している」

などと、小一時間ずっと話していました。連絡をとったことを悔いました。矢継ぎ早に話すなかに、マルチ・宗教勧誘センサーといいますか、自信がないから話し過ぎてしまうが、本当は話をしたい本質について濁しており、私から質問してほしいというオーラを感じました。私は何せ暇だったので、流れに乗ってもういっちょ行こうと決めました。

「〇〇さん、なんか変わりましたよね。何かこれ以外に良いことあったんじゃないですか」

それがきっかけで、待ってましたと言わんばかりに、マルチ系の自己啓発セミナーに参加することになりました。私は自分が人に物を売る仕事をしていることもあって、素直に聞いて必要なものであれば買いますし、その営業パーソンのことが好きだったら買いますし、恩を受けて返さないとなと思うときに頼まれたら買います。財布の余力を確認しつつ、まあ初回は導入だけだろうし、気軽に行こうと思い、参加しました。時節柄オンラインでしたが。説明会に参加すると、要はよくある自己啓発で、言ってる内容は至極真っ当なんですが、料金体系や勧誘が厳ついというものでした。新興宗教自己啓発もマルチも、小さなyesを積み重ねて、否定させずに、最後は大きな料金を払うことに同意させるというのが定石ですので。そんなこんなで説明会のあと、交流会という体で6万円くらいのオリエンテーションセミナーのクロージングが始まります。そこで会ったのが勧誘した彼女と一緒にセミナーを受講している男性で、そいつが飯能市在住でした。木梨憲武のような猿顔で、スキンヘッド。探りを入れつつ距離を詰めてきますが、

「これも運命ですね」

みたいなことを言います。私が考えるに、これはお客さん側とか口説かれてる相手から言わせないと意味のない言葉で、好感度が高くなってないと逆効果で、基本言わないほうが良い場面が多いと思ってます。そんなこんなで説明会1時間に加えて、2時間近くクロージングタイムがありました。

「ここで運命変えようよ」

柏木由紀木梨憲武と揃って、熱を込めます。ただ私はというと、それの購入に踏み切るほど購買意欲が高まっていないし、お願いされて買うほど好感度は上がっていないし、頼まれて買うほど恩義を感じていません。そんなに熱量あるなら、もっと保険売れたんじゃないのかと思いましたし、言いましたが、最後は先方の終電でタイムアウトで躱しきりました。

 

やっぱり飯能市という街では、自分が宇宙人だという自覚に目覚めたり、運命が変わったと自覚したり、何か大いなる力の働く街なのかもしれないです。

 

飯能の”ランドマーク”であった丸広、跡地はりそな銀行と低層のスーパーとなりました。旧プリンスホテル飯能がいまやどこかのホテルに買収されたそうで、宮沢湖遊園地はムーミンパークに姿を変えています。遊びに行った祖母の家も今やもうないです。そんな飯能で、父は暮らしています。少しでもあの街が、長く元気に栄えてほしいなと思います。

 

 

 

『夢十夜』(夏目漱石、1908)

最近、Kindle Unlimitedの存在を知りまして、懐かしの本を読んだり、雑誌を読んだり、便利さを享受しております。高校生の頃に読んで、久しぶりに再会したのがこの『夢十夜』です。結局、著作権が切れているので青空文庫でも読めるのですが、kindleはマーカーでメモが書けたり、アプリを切り替えずに辞書で意味を引いたりできるので、とても便利でした。

 

夏目漱石の10の短編から成る小説で、全て夢の光景を描いております。昔読んだときは、第一夜の女の会話がとても印象的でときめいた記憶があります。夢は女の枕元で腕組みをして座っているところから始まります。少し長いのですが、このときめく世界感は私の言葉では表せないので、引用させていただきます。

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 こんな夢を見た。

 腕組みをして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔(うりざねがお)をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然(はっきり)云った。自分も確かにこれは死ぬなと思った。

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 女がまたこう云った。

「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」
 自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
 自分は黙って首肯うなずいた。女は静かな調子を一段張り上げて、
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。
「百年、私の墓の傍そばに坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」

 自分はただ待っていると答えた。

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こんな世界感で、高校生当時の私は「なんて素敵な話なんだ」とえらく感動したのを覚えています。当時三島由紀夫の『豊饒の海』シリーズに熱中しており、あるいは世間では『魔法少女まどかマギカ』が流行していたのもあって、死後の世界、輪廻転生や生まれ変わりについて、とても感度が高まっていたのも影響していると思います。

 

そんな懐かしさを覚えながら読んでいて、思い出したのは、幼い頃に見た夢でした。

私はあまり夢を見ないというか、小学生の頃以降は夢を見た記憶がありません。正確に言うと夢を見ても、朝の微睡のなかで忘れていただけなのかもしれないですが、とにかくほとんど記憶がありません。そんななかで強烈に覚えている夢というか、小学生の頃、短い夢ですがよく見ていた夢がありました。

目を醒ますと、私は仰向けに落ちています。暗くてよくわからないまま、落ちている感覚だけはある。無重力感といいますか、地に足がついておらず、身体を全く制御できない。そんな感覚に恐怖を覚え、あたふた周りを見渡し、状況を理解しようとします。すると見渡すと星が広がり、月が遠くにあり、夜空を落ちていることを理解します。目がなれてくると、落ちていく感覚は心地よく感じ、景色に心惹かれ「これは夢だな」という推測と言いますか、夢でなければ楽しんでいる暇はないし、何か助かる方法を考えなければいけないなという現実世界の思考法が頭に浮かんできます。そうすると夢であったとしても、仰向けでいつ地面が来るかわからない、起きなければ嫌な感覚を味わうという恐怖を、論理の側面から理解します。「醒めろ醒めろ醒めろ」と心に念じるが、なかなか起きない。

すると背中に地を感じ、見慣れた寝室の天井を目にし、夢から醒める。

そんな夢を小学生の低学年の頃はよく見ていたことを思い出しました。夢の光景を思い出すと、YOASOBIの「夜に駆ける」のMVの風景に似ている気がします。どんな潜在意識でみていたのか、思い出せませんが、あるときから夢を見ない体質になって、そんな恐怖を覚えないで済むようになって、日々心安らかに眠っています。

 

26歳になったいま、偶には夢を見たいと思う日もあります。特に鈴木雅之銀杏BOYZのの「夢で逢えたら」を聞くと、もう会うことはできない人たちに夢で良いから会ってみたいなと思うこともあります。しかし今の世の中は、意外と狭いと言いますか、もう二度と会うことはないと思った人でも、「会いたいな」と思ったら偶然が重なって会える経験が多いですし、ネット社会ですので会える手段も多くあります。その人が亡くなっている人であったとしても、墓参りに行って思いに耽ったり、皆で思い出を話したり、会えないけれど、リアリティを持って感じることはできます。

私はずっと考えているというか夢想癖があるので、夜くらい脳が休ませてくれているのかもしれないです。