失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『図解 コンサル一年目が学ぶこと』(大石哲之、2021)

同世代の友人や知り合いにコンサル会社・コンサルティングファームと呼ばれる組織に属している人はよくいますが、私が属する会社にコンサルと呼ばれる人が口を出し始めたのは最近のことです。会社でいろんな施策が講じられている点については、私は環境に不満も何もないです、いつも「から騒いでいるな」と斜に構えてみています。ただコンサルと呼ばれる人達に共通するなんとも言えない気持ち悪さをずっと持っていて、それをわかりたいなとおもっていた際に、Kindle様がレコメンドしてくれたので、手に取りました。

内容はすごくわかりやすく、コンサルというよりはビジネスマンとして一年生だったらこんな体系的の知り得たら役立つと思う内容ばかりです。私が何度も営業先や先輩に怒られて何となく体得した世の中の生き方を、簡潔にまとめてくれていますので、ぜひ社会人一年生であれば、読みたい本なのかなと思います。

ふと思い出したのは、中学1年生の頃にベストセラーの『思考の整理学』を読んだら感動しましたし、いまの私の考え方を形成する一部になっているように思いますが、大学生で改めて手に取ると私の心に響かなかったエピソードです。今回の『学ぶこと』も、もっと早く出会っていたら違った気もしますし、一方で就活生の頃に読んでも響かなかった気もします。

冒頭のコンサルに対する得も言われぬ気持ち悪さ論に話に戻すと、普遍化される論というよりも、私自身が論理派ではなく感覚派・感情派であるため相容れにくいという、個人的な感覚の話になってくる気もします。

この本を読んで思ったのは、コンサルという生き物はすべてに正解があり、そこに向かっていく方法にも正解があると思っているように思うのです。確かに間違っていないし、俯瞰で観ながら根本に話を戻していけばたどり着くべき答えはあり、皆を啓蒙したり変えてがそこを目指していくように仕向けるのは、仕事として大切な役割であるとは思います。ただ私は感情派というか、既成の枠組みのなかで人を説得したり、その人毎の役割りをそのまま演じ続けてもらいつつ、もっと関係するすべての感情を改善し幸福度を上げたいと思うタイプです。

例えば下記のバッテリーの男女差を表すネットで有名な話があると思うのですが、私はどちらかというと女性派で、コンサルは男性派だと思うのです。

男女差会話学 解説「車のエンジンがかからない」(バッテリー女)コピペ - 高田机上の男女差恋愛学

あんまり具体的に書くと、あまりにもインサイダーな感じなので止めますが、コンサルに発注する経緯として、発注元は誰がどんな思惑あって発注することとなり、コンサルを入れた結果どうなれば成果であるかというのは明確です。例えば結果として売り上げを上げることを求められたとして、そのためにはどうするとか、そこで人を説得するにはどうするかとか、ビジネスの世界では基本的にバッテリーコピペの男性的なヒヤリングや対処が正解であるように思います。しかし私はもっとその発注者というか、その依頼をした人の本音を知りたいというか、その本音ベースで役に立ちたいのです。

ちょっと飽きてきてわかりやすく話を整理する力が尽きてきたので、わかる人にだけわかればいいと思って書きますが、バッテリーコピペ女性を理解できるフリをするコンサルというか男性は多いように思います。それはモテたいとか、お金を生む商売につながるとか、何かしらの便益を求めていることが多いように思います。ただ私は本当に純粋にその人の気持ちをわかりたくて、「なんで困るんだろう、何を私に求めているんだろう、どう私が振舞ったら喜ぶかな」的な思考回路です。見ている箇所が違うというか、おそらく私は人の感情を重視しすぎるのかもしれないです。

私は営業の仕事で本当によかったなと思うのですが、そんな振る舞いをしているだけで仕事が生まれるので助かってはいますし、コンサル的に全体像を描く人も必要だとは思うのですが、何が言いたいかというと知った風に私に野暮に口を出さないでほしいと思うのです。お前と同じ思考回路ではないぞ、勝手に決めつけるなよとなってしまうから嫌いなんだとおもいます。どうやって営業しているかとか、なんでその人に会ってそんな話が生まれるのか教えてくれと頼まれることも増えてきたのですが、そのたびに「街録チャンネルのインタビュアーの気持ちになって相手と話せば仲良くなれるし、仕事になるし紹介も出るよ」と伝えるのですが、いまのところ誰にも共感をしてもらえてはいませんし、冷静に考えたら再現性もないように思います。自分で書いておいてあれですが、私はコンサルとか講師とか、人に教える仕事は向かなそうですね。会社のことはコンサル脳の人の任せて、私はいつか長嶋監督のような天才と評価されることを願って、今日も頑張ってまいります。

 

『世界は「関係」でできている』(カルロ・ロヴェッリ、2021)

最近、集中力がないし、感動することが少なくなってきてしまった気がします。いや、感動するシーンも多いし、語りたいな・共有したいなと思うことも少なくはないのですが、言語化することの無意味さというか、感情を言葉にする際に理性を通すことで、ちょっと陳腐化するというか…「マシュー・ボーンロミオとジュリエット」を観に行ったり、絵画の展覧会に行く機会あったり、ちょっと違うけどラグビーを久しぶりにやったり…五感を使って吸収し感じた当時の自分の感情はぐじゃぐじゃにあるのだけれど、言葉に整理して出す際にノッてこないし、そもそも言葉が出てこないのです。ちょっと前にヴィトゲンシュタインにいのちを救われたという哲学科の先輩と話したときにもちょっと思ったんですが、語り得ないものを無理に言葉にすることは意味がないのかもしれないです。

そんなこんなで最近読んだ本です。私は世の中の真理を知りたくて、大学に行ったみたいなところがあるので、ホーキング博士の一般向けの量子力学の本が大好きで、どうしてこの世界がこうなっているのかみたいなことに強く関心を寄せてました。カルロ・ロヴェッリの『時間は存在しない』も好きで、大学の頃に読んだと記憶していますが、当時は衝撃的で、なんで衝撃的だったかはあいまいですが、自身の世の中に対する見方というか固定観念を打破してくれるものを渇望していたのだとおもいます。

いま『世界は「関係」でできている』を読むと、量子論にもいろいろな派閥があって、量子力学科学史を紐解いているみたいで知識としてはとても面白かったです。ただエモーションな箇所にひっかかる箇所は下記のところでした。

思春期には、脳のニューロンのネットワークが急に再編成される。何でもかでも強烈に感じられて、あらゆるものに心を奪われ、すべてにまごつく。思春期を終えたばかりのわたしはすっかり混乱しており、疑問だらけだった。物事の本性を知りたい、とわたしは思った。この自然を、自分たちの思索によってどう理解できるのかが知りたい。現実とは何なのか。考えるとはどういうことなのか。物事を考えているこの「自分」とはいったい何なのか。

冒頭の集中力がない・感動しない話に戻りますが、もっとシンプルな話で、最近の私は良く言うと成長したし、悪くいうと「あらゆるものに心奪われ」る好奇心・感性が老いて鈍くなってきたのかもしれないです。

このブログは令和の『人間失格』のような自伝を目指してきましたが、いまや私自身が太宰修的な若者の自己愛と矛盾を脱し共感できなくなってきたように思います。もっと老練なブログを、さくらももこのように日常を斜に観たエッセイ的な色彩の話に寄せていくのもいいのかもしれないです。色々ネタ的な話もたまってはいるので、徒然なるままに筆を走らせていこうと思うのです。

 

『未必のマクベス』(早瀬耕、2017)

水曜日にブリッジ的な休暇があったおかげで、睡眠習慣が改善され、体調がよくなりつつあります。運動をしたことも影響している気がして、睡眠と運動の大切さを実感しています。木曜日は皇居ランをして、昨日は松戸で10kmランニングし、今日も今日でラグビーを久しぶりにやる予定です。毎日健康生活、頑張っていこうかなと思います。

『未必のマクベス』は、普段はあまり読まないジャンルの小説ですが、友達が「めちゃ面白いから」と貸してくれまして、読む機会をいただいた次第です。

VIVANTとか半沢直樹的な雰囲気のある小説で、日本企業の香港法人で、主人公が社内権力闘争的なものに巻き込まれていく話です。”未必”とは、”未必”の故意でしか聞かない言葉ですが、ほぼ故意というか、自分の行為からそのような事実が発生するかもしれないと思いながら、あえて実行する場合の心理状態を指します。そして”マクベス”はかの有名なシェイクスピアの戯曲を指し、登場人物たちがマクベスと同様の悲劇の運命に巻き込まれていきます。劇中でもマクベスを観に行くシーンがあり、主人公等も自身がマクベスのような運命に巻き込まれているという自覚を持って行動しています。

日本人が好きな「課長島耕作的なろう小説」要素があり、ミステリー要素があり、マクベスオマージュ風なおしゃれさがあり、人気になるだろうし、筋書としては面白いなと思う小説でした。

ただここまで言っておいて、こんな話をするのは野暮なのですが、私は昔からミステリー小説的な要素のある作品が苦手で、あんまり興味が持てないです。どこからをミステリー小説と呼ぶのかわからないですが、東野圭吾とか宮部みゆきとか湊かなえとか、解決すべき謎がずっと臭わされており、それの解決に向かって収斂していく感じが、あまり好きでないです。謎を作り謎を解決するために、人の行動が配置されている感じが冷めるというか、興味をどんどん減退させていく感じがします。「ほんまにその状況で、そんな感情になって、そんな行動をとるか?」という野暮な突っ込みが常に入り、没入できないのです。結論は私の個人の問題というか、ミステリー小説の提示する謎に興味がなく、その謎に相対する人間の感情にしか興味がないという性格に起因しています。内面の葛藤とか心理的な描写やエモさを小説に求めているのと、ミステリー小説は対極にあるのかなと思うのです。

加えて「課長島耕作的なろう小説」も全然好きじゃなくて、ちょっと上の世代向けというか、私世代はあんまり共感できないと思っています。出世したいとか組織で立場をよくしたい・人から良く見られたいという思いや欲は、SNS社会の到来によって、もっと細分化・ニッチ化されたと考えています。世界の王になるより、小集団の王になりたい。もっというと王にすらなる必要はなくて、特定のコミュニティで役割が持てて、誰かに認められさえすれば良いという世界になっている気がします。加えて、出世以外でも稼ぐルートや商売の人が増えてきて、それがSNSで可視化され、「大企業で頑張って出世するより、ベンチャー企業を一緒に大きくしていくのもいいよね」「独立して稼ぐ方がいいよね」「稼ぎは少なくてもやりたいことやりたいよね」という色々な価値観が生まれているように思います。そうするとかつては皆が目指すべきであった会社での出世というのは、些事というか各々の目標に過ぎなくなってきます。「島耕作」的な世界はたぶん20代以下にはウケないのです。

散々言っている感じがしますが、話は流行りそうですし面白かったです。映画とかドラマになったら流行る気がしますし、もうなっているかもしれないです。

 

『喧嘩独学』(原作:T.Jun、作画:金正賢、2019)

ここ2か月くらいはは激務of激務の影響か、平日はバキバキに働いて、しこたま飲んで、土日は溶けるように寝るだけという超不健康生活を送っていました。土曜日…昼まで寝て夜は飲む、日曜日…昼に起きて、ごはんを食べてゆっくりお風呂に入りまた寝て起きたら夜という最悪の生活を送っていました。そうすると日曜日の夜に寝られないという現象が起きます。そんな夜を有意義に過ごせれば良いのですが、なんか何もする気が起きなくて、LINE漫画やマンガワンをずっと読んでいました。保険屋時代はずっと漫画アプリで漫画を読む生活をしていましたが、2年近く絶っていたなかで、久しぶりに開くなかでハマってしまいました。

そんななかで3週間かけて全話読んでしまったのが『喧嘩独学』です。あと何日かはアニメ化記念で無料で読める話数が多いので是非

 

LINE漫画『喧嘩独学』https://lin.ee/1hWx0ud

kenkadokugaku.com

 

韓国の縦スクロールのウェブトゥーンは面白いものが多いですよね。少し前に流行った飲食業の半沢直樹+ラブコメ的な『梨泰院クラス(六本木クラス)』も久しぶりに読むと面白いですし、『外見至上主義』にもハマってまして、いじめられっ子の不細工が起きたらイケメンになってたという話です。人間は下剋上的な話が好きなのと、スマホでガンガン読めるのでどんどん先が気になって読んでしまうのです。

『喧嘩独学』は、がりがりいじめられっ子の主人公志村が、ひょんなことからYouTuberになり、めちゃくちゃ強くなる話です。いじめてきた不良を倒したり、巨悪と戦ったり、恋をしたり…そんな話です。

めちゃくちゃ面白くて続きが気になりすぎたのと、毎週日曜日は夕方まで寝ているのも相まって、毎週日曜日は徹夜となりの睡眠習慣が破壊されています。そこから月曜日を迎えて、毎日夜中まで働いて、夜中or朝まで飲んで、それはおかしくなりますよね。ずっとうっすら体調が悪いし、ずっとかっこ悪い浮腫み眠い顔だし、頭も回らなずキレがないし、ほんと最悪です。睡眠不足のやばさはこんな動画を観て知ってはいましたが、自身の身体をもってして実証されていっています。

【前編】次期ノーベル賞候補×成田悠輔 「寝不足だと嫌な奴になる?」「ほとんどの日本人の脳は低パフォーマンス状態?」数々の睡眠の落とし穴に成田絶句!世界的権威柳沢正史教授が語る快眠術とは? - YouTube

 

まずは日曜日を取り戻すべく、平日を健康に過ごしたいものです。いっぱい寝て、健康的な朝を迎え、人と関係して、夜はちょっと運動してゆっくり風呂に使って、面白いアイデアを形にして、そんな日々を送りたいものです。

4月を乗り越えたら、年間の仕事の半分は片付くので、GWとかはゆっくりしようかなと思います。そして7月までに残りの数字をやり切って、夏休みのあとの半年ゆっくりしよう、眠られぬ水曜祝日にそんなことを思い描くのです。

 

『LOVE理論』(水野敬也、2019)

私は最近エグいモテる…気がします。私はずっとナルシストで、「お前ほどめでたいやつはいない」と良く言われる人間ではあったのだけど、最近は人生七度目くらいのモテ期が来ているように感じます。

そのことをブログに書きたいなと思った際に、適した本が思い当たりませんでした。そこでKindleUnlimitedで久しぶりに名前をみて、適したタイトルを見つけたので、目を通しました。

LOVE理論

LOVE理論

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「恋愛工学」という言葉が流行ったのはいつかと調べたら2015年でした。私が大学に入った頃の言葉だったんですね。本作もそんな文脈を受け継いだ内容て、結構キツくて、どうやったらモテる・ヤレるかかみたいな話になっています。

私は「恋愛工学」的な文脈とか、弱者論みたいなのが本当に嫌いです。そしてそういう言説は、Twitterとかはてな匿名ブログに多く存在するので、そんな論客ぶった連中を視界に入れないために辞めました。

なんで嫌いかというと、二つの視点があって、ひとつは純粋にダサいという視点、もうひとつは同属嫌悪という視点です。

ひとつ目の純粋なダサさとは何かというと、「モテたい」というのを口に出すダサさ、その教えを乞う人と教える人がいる環境のダサさです。ちょっと前に『「いき」の構造』という本を読んだときに納得したのですが、モテたいという媚態は、口に出せずにやるからかっこいいのです。私は江戸っ子のおじいちゃんに憧れてたので、口が悪いし素っ気がないけど、芯で優しくて努力してる様に憧れるのです。武士道なんです。「他者はコントロールできないから自分を変える」。営業の現場で教わることですが、武士道とか江戸っ子的な生き方もそれに通ずるのだと思います。「恋愛工学」学ぶ前に、いっぱい現場出て、恥かいて、勉強しやがれデコ助野郎。お家でずっとシミュレーションとロープレしてるんじゃねぇ。そう思うのです。

もうひとつの視点は、同属嫌悪の視点です。そもそも私も根っからのダサ坊だし、ダサ坊でなければ文学少年にならないし、こんなダサい生き様を送らないのです。だから「恋愛工学」とやらを宣うダサ坊を見ると、同属嫌悪に陥るのです。

こんなことを書いてたら、もう飽きてきて、私が最近モテる話をする元気はなくなってきました。根っからのダサ坊ですが、虚勢を張って今日も生きていきます。