GWは青森に行ってきまして、大鰐温泉ヤマニ仙遊館に宿泊しました。明治5年創業の温泉旅館で、太宰治が高校生の頃に宿泊したり、文豪も通う宿だったそうです。

お風呂が運よく貸し切りだったので、写真を撮らせていただきましたが、マジョリカタイルという日本製の手作りタイルが本当におしゃれで、素敵な宿でした。
調べると台湾にマジョリカタイルの博物館があるそうで、いつか行こうとおもいます。
だいぶ前置きが長くなりましたが、『桜の園』の話をしようと思います。奇しくも太宰の『斜陽』のモデルというかオマージュ元でもあるみたいです。
どんな話かを簡単に書くと、下記の通りです。(本当は群像劇ですが、地主と商人の点に絞って書きます。)
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爵位を持つ地主・ラネーフスカヤが、娘の付き添いで5年ぶりに自分のお屋敷に戻る。そこは桜の園と呼ばれるほど見事に桜の咲く土地である。地主はかつてのように裕福な暮らしはもはや望めず、金に困っている。桜の園は借金返済のため売りに出されているが、商人・ロパーヒンは土地の一部を別荘用地として貸し出せば、難局は避けられると助言する。しかし地主は散財する癖が抜けず、破産の危機も真剣に受け止めようとしない。
その後、ロパーヒンは桜の園の競売に出かける。ラネーフスカヤは不安に駆られているが、不安の原因は別れたパリの恋人とよりを戻すことであり、他の家族もそれぞれの恋や何かの悩みでてんやわんやである。その後ロパーヒンが現れ、自分が桜の園を買ったと宣言する。ロパーヒンは、貧しい農夫の身分から桜の園の地
主にまで出世したことに感動する。
ラネーフスカヤをはじめ元の地主一家は、桜の園を離れて出発する。ロパーヒンは別荘建設のため桜の樹の伐採を命じ、出立する。
そしてお屋敷には、病院に行ったと思われていた老僕が、実はひとり屋敷に取り残されていた。老僕は横たわったまま身動きひとつしなくなる。外では桜の幹に斧を打ち込む音が聞こえる。
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私が昔に戯曲として本で読んだ際には、悲しい話だなと思ってました。現にいまでも悲劇として舞台で上演されることも多いです。栄枯盛衰。大事にしていた土地や景色がなくなっていく様、身分から転落する様、そんな様子を悲観的に見ていました。
しかし、最近読み直して違和感があって、色んな人の解説や見解を調べてみると、チェーホフは本作を喜劇として創作したということを知りました。確かに、本作を引いた視点でみると、それぞれの悩みはある種どうでもいいことというか、結果みんな幸せではあるというか、おめでたい連中だという感覚になってきます。お金の悩みや身分の悩み、或いは恋の悩み、当人にとっては深刻な事象ではあることは事実です。一方で、その事象が幸福度に直接作用するかというと否で、その事象を受け取る人の受け取り方次第で、悲劇にもなるし、喜劇にもなるということです。
人は歳をとって病気にもなるし、考え方も変わるし、人間関係も変わっていきます。そしてインフレの世の中で、ただ生きるのにもお金が要るし、大変な感じもします。ただすべて受け取り方の問題で、何とかなるというか、何ともならないというか、固執しない以外の方法はないのかなと思い至ったのです。
世の中が“不条理”であるというのが道理であって、その道理を “不条理”と感じる人間が居るだけなのかなとも思うのです。ただその重たく残酷で”不条理”な道理を一人で受け止めるのは辛いものです。だからこそ、周りの誰かがそれに共感してやわらげたり、一緒に乗り越えていく手助けをしたり、そうすることで世の中の幸福度は上がるのではないかなと思います。
人はお金からも生活からも人間関係からも逃れられないという“不条理”を不動産業界の仕事の現場では多く目にします。
そんな“不条理” な不動産の世界で働くからには、少しでもその“不条理”をやわらげていけるようにお手伝いしたいものだなと思うGW中日の夜でした。







