失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『ダーウィンズゲーム』(FLIPFLOPs、2013~2023)

変な時間に寝てしまって22時とかに起きてしまって、暇すぎて漫画アプリの無料漫画を夜通し延々と読んでいました。日曜日はゴルフのレッスンにパーソナルジムと健康的な生活をしすぎたせいで、夜に徹夜で漫画を読むという不健康であまり褒められたものではない要素を追加摂取してバランスをとった次第です。

昔ハマってて、そういえば結末をしらなかった『ダーウィンズゲーム』がLINE漫画で半額セールだし完結しているのもあって、一気に大人買いして読んでしまいました。

スマホゲームから異能力をつかったデスゲームに巻き込まれる主人公、その後本当に色々なことがおこる話です。本当に続きが気になる話で、夜通し読んでしまいました。

私は小学校はサンデー読者だったんですが、中高はチャンピオン読者で、月刊誌も各社色々読んでたのでかなり漫画大好き少年・オタクだったように思います。いまみたいに、スマホで漫画が読めて、雑誌の力に関係なく評価されたり流行ったりする世の中はいいですよね。チャンピオンの月刊誌はグロイ漫画とか多かったですが、なんか読みたくなってしまう漫画も多くて、単行本で読んだり、お金もなかったしBOOKOFFで立ち読みしたり、漫画喫茶で読んでた気がします。今になってちゃんとお金を払えてよかったです。

2013年…私は高校一年生の頃ですが、本作で出てくるような当時流行ってたガラケーのゲームとかも遠い過去で、10年以上経っていることを実感しますね。当時の友達もまだ会う人もいなくはないですが、ずっと会ってない人の方が多いです。本作の最後も人と人とのつながりが大きなテーマになっていますが、他者と関係を続けるというのは思ったより難しくて、結局血縁とか地縁みたいな、生物学的あるいは物理的な距離を超えて関係を維持し続けるのは結構難しいなと最近思います。学校という毎日利害関係のない同い年と顔を合わす空間というのは、大人になって思うとかなり異質な空間だし、いまになって思うとかけがえのない時間だったなと思います。

私は昔は学校でなじめなかったから、インターネットで得たつながりというか、「周りにも同じように悩んでいる人もいるんだ」という感覚が、10年前の高校生までの世界では好きでした。ただ時代が変わったのか、私が変わったのかわからないですが、インターネットというかSNSで得る刺激も減ったし、結局ただ速やかに知り合いに連絡する手段としか感じられなくなくなったように思います。

そういう意味でいうとブログというツールは化石みたいな手段だけどなんか好きで、まだ刺激をもらえる気もします。自分が現実世界のしがらみで悩んだ際に、「こんな人もいるんだ」「これでいいんだ」というような感覚に戻してくれる役割が、自分にとってはあるように感じます。

読書もブログも自分をある種正常に戻してくれるというか、日々仕事の世界・現実の世界で利害関係やしがらみを計算しながら処理していって、つまらない合理性・浅い社交に自分が振れて歪んでいるように感じるときに、「本当はこんなことしたかったよな」

「こんなこと言いたいよな」という感覚を思い出させてくれる大切な時間です。

無駄に遅くまで起きてしまって、明日からも毎日忘年会と仕事だし辛いなとは思うけれども、きっと無駄な時間ではなかったと思います。ともかくも面白い漫画でしたし、大人になって完結まで読めてよかったです。

 

『沢田マンション物語』(古庄弘枝、2002)

去年旅行で高知に行きまして、念願の沢田マンションに行きました。この前沢田マンションの話を思い出したので、旅行前に読んだ本書を読み替えそうかなと思った次第です。

凄まじい実話で、高知県高知市に存在する奇妙な素晴らしい物件である沢田マンションがいかにしてできたか、そしてその一大プロジェクトを動かした沢田嘉農さん・裕江さん夫婦の生い立ちや哲学に迫る物語です。

嘉農さんは幼少期にJAの家庭誌『家の光』を読んでから、大家になることを決意し、大工をしたり、お金を出資してくれる人を集めたり、凄まじいエネルギーとスピード感で青春時代を過ごします。結婚のエピソードも器というか勢いというか、本当に凄いです。

そしてアパートを建てて売る不動産業を個人でしながら資金を貯めたのち、沢田マンションの土地に至り、夫婦での建築を開始します。

資材から建築機材まで自前で、鉄筋も自ら組んでいたそうです。コンセプトも面白く、一つとして同じ間取りの部屋はなく、車でも乗り入れられるスロープで屋上まで上がれ、全面に家庭菜園可能な花壇があり、屋上には大きな池もあります。建築基準法という枠には収まらない自由な発想で、人も自然の一部として調和して生きる、独特の空気の漂うマンションです。

そして何より嘉農さんや亡父の丑馬さんの教えというか哲学が素晴らしいです。雑にまとめるとお金や常識といった既成概念にとらわれず、自分の信じるもっと根本の本質だけを追い求める姿です。

嘉農さん
「わしはカネには全く興味はない、ただ人として生まれた以上、どこまでのことが自分でできるか試してみたい」
嘉農さんの父、丑馬の言葉
「お金は使ったらおしまい。ちょっとでも貯まったら、豆腐の切れ端でもかまわんけん、財産にしちょかないけん」
「困ったとき、言い争いになったとき、人の心は直せなくても、自分の心は直せる」

私も真の意味でのコミュニスト的な理想がずっとあって、雑に言うと「みんな思いやって助け合えば幸せに良く生きられるんでないか?」という思想で生きています。嘉農さんたちの言葉や暮らしはまさに私の理想で、インターネットや本で沢田マンションを知ってから、ずっと現地に行ってみたいという気持ちがありました。

そして昨年、念願の沢田マンションに訪れました。

現地は建築的にも本で見たとおりに面白くて感動したのですが、1番はそこに生きる人たちのに感動しました。裕江さんやご子息の夫妻やお孫さんと彼氏さんもいらっしゃって、昔話や思い出話を生で聞かせてもらいました。本でみた沢田嘉農哲学が一子相伝で受け継がれているというか、本当にいい人ばかりでした。花壇や池、そして動物たちも可愛いし、長い地球の歴史の中で自分が生きているんだなと実感できる場所です。人間と自然が調和したコミュニティ、こんな場所で生きられたら幸せだろうし、私もこんな暮らしをしようと決めました。f:id:saminasu:20241110084957j:image

本当に是非一度は訪れてほしい場所です。現地に行かれる場合、私は事前にホームページからアポイントというか了承をいただいて伺いましたが、内部を見学される場合は事前にご連絡いただいた方がいいかもしれません。

沢田マンション ホームページ

https://sawadamansion.net/

 

 

 

 

『利己的な遺伝子』(リチャード・ドーキンス、1976)

古典的な名著として読むべきという意識はありつつも、ずっと読まずにいました。

私は、自分の私生活とか身の周りの出来事とか最近だと選挙の話とか、なんか少し嫌なことに直面すると、どうも人間の愚かさというものをどこか他人事として俯瞰してみることで、愛らしいという感情や「しかたないじゃない、人間だもの」的な投げやりな感情に変換する癖があるように思います。最近はそんな投げやりモードが長く続いていたのですが、いつかのKindleセールで買ったまま積んでいた本書が目につき、読むことになった次第です。

当の行為が結果として利他行為者と見られる者の生存の見込みを低め、同時に受益者と見られるものの生存の見込みを高めさえするならば、私はそれを利他行為と定義する。

生き物を遺伝子の乗り物と考え、進化論における自然選択を遺伝子単位で読み解く書であり、一般向けの解説書でもあると理解しました。議論も面白いですし、個別の動物のエピソードも面白いですが、ちょっとバタ臭いというか英語圏の議論特有のさして意味のないエピソードも深堀りするし、とにかく長い本だなというので結構辛いところもありました。

私個人の話というか、冒頭の「人間だもの」投げやり慈愛論法について、ちょっと考えたいなと最近思います。

私は幼少期からなんか寝る前に「人は死んだらどうなるのだろう」とか無意味に深く考えて寝られなくなってしまうタイプの子供でした。いつも色々考えるんですが、大体最後は宇宙の話になります。「宇宙は46億年前にできたらしいがいつか宇宙は冷え固まって終わるらしい、そもそも数億年したら太陽が膨張して地球も飲みこまれて人間は絶滅するみたいだ」そんな大きな物語を考えると、自分の悩みというものは大した悩みでないと自分で納得して寝るのです。

最近は仕事でも悩んでいます。まあまあ楽しいのですが、楽しいだけでない仕事も当然多い訳です。不動産の仕事で、楽しい人とだけ接する訳にもいかないし、楽しくないこともしないといけないシーンも多い訳です。まあ大人ですから、楽しくなくてもやるような習慣や心の持ち方、或いは鍛錬や我慢を通して何とか日々生きています。でも私はやっぱり我慢のできない人なので、楽しくやるように持っていく工夫をするタイプかもしれないです。

楽しくなったきっかけは、ちょっと自分なりの勝ちパターンというか、居場所が作れてからだと思います。猜疑心のうずめくBtoBの不動産営業、その猜疑心を超えていかに騙すかとか出し抜かれないようにするかという文化が嫌で、私は猜疑心なくコミュニケーションができる人とだけ付き合って仕事がしたいと思いました。しかし大体できる人やえらい人・資産を持つ人というのは、猜疑心が強い傾向にあるので、その人たちの猜疑心を解く必要がある訳です。そんななかで「安心してください。私は本当のことしか言わないし、騙す金銭的・心理的メリットがないよ」というスタンスとポジション・行動をとり続けてきました。色々試して失敗もありながらでしたが、いまは仲間も集まり猜疑心の生まれないやり取りだけをしていて、本当に幸せだし仕事もしやすく不快なことがないです。

ただそれでなんで悩むのかという話ですが、あんまりたぶん会社に不動産を収めるということに興味がないことに気付きました。要は地面師の石洋ハウス的な仕事をしている訳ですが、そこでやりがいを感じえないというか、どうしても面白くないんです。石洋ハウス的な規模の会社は、もう儲かる仕組みのできた大きな機械みたいなもので、営業マンも企画もある種その儲かる仕組みのベルトコンベアに乗っけて運ぶだけです。私の仕入れ営業の仕事は、そのベルトコンベアから抜き出て、勝手なことをしても、儲かる種が持ってこれさえすればいいので、自由度はあります。ただこの種の加工の仕方が気に食わないというか、たぶん興味が持てないのです。東京の土地にバキバキに”洒落た”何かを作って浮かれた経営者や外国人に高値で貸し付けたり、僕らのような貧乏人でも買えるくらい細かく切り刻んだ猫の額みたいなマンションを作って売ったり、大体行きつく先はこの2パターンとその亜種で面白くないのです。まあ会社がすでにある儲かる仕組みがこれで、儲かるかもわからんことをする訳もないし、私もそんなにアイデアがないので、指をくわえてみている訳です。そこで最近思うのは、儲かる儲からない抜きにちょっとイカれた面白いことをしてくれそうな人に物件を収めさせてもらって、何か面白い企画や世の中が変わることをしてほしいなと思うのです。”不動産屋”という職業はどうしてもお金にしか目が向かないケースが多いですが、その収益性と面白さを両方とれる人に物件を買ってもらって、世の中がちょっとでもよくなってくれたらいいなと思うのです。

人は幸せになって満たされても、また不満というかもっとこうしたいという欲が出てくるものですね。太陽が膨張したり気候変動で生物が死に絶えて世界が終わるまでは、私の周りの人が生きやすい世の中であってほしいし、戦争とかもなくなってほしいものです。

※そういえば、沢田マンションにいったとき、本当に衝撃を受けました。

その話もまたブログに書きたいし、こんな不動産というか生き物と人が交流する場を作りたいものですね。

sawadamansion.net

 

youtu.be

 

 

 

 

『どうぶつの国』(雷句誠、2009〜2013年)

これも今日までのKindleセールで全巻で5000円くらいで買えたので大人買いしてしまいました。中学生の頃に途中まで読んでて最後まで追えてなかったので、一気見して最後まで熱く楽しく読めて最高でした。

どうぶつの生きる世界、唯一全てのどうぶつの言葉がわかりコミュニケーションができる人間のタロウザが世界を変えていく物語です。

タロウザは全てのどうぶつの言葉がわかってしまうが故に、殺されたり食べられてしまうものたちの苦しみの声を聞いてしまい、深く悩んでいきます。そして全てのどうぶつが仲良く暮らせる世界を目指して、日々格闘していくのです。

一個前に『ガッシュ』の記事を書きましたが、私はガッシュから優しさとか道徳を学んだ男です。そしてタロウザの悩みに似た内容も、真剣に考えてしまう子供だったので、世界から争いを無くして皆が幸せに生きる方法を探すために、哲学者になるべく大学に行こうと思ったし、カール・マルクスになろうと思っていました。私たちは便利さを享受して、その便利さのために犠牲になっていることを、外部化して見えないようにしています。ファストファッションや電気自動車やスマホをはじめとしたリチウムイオン電池の便利さからは抜け出せず、こういうときだけバングラデシュコンゴの人たちを一瞬思い出すけれど、何もアクションを起こさず、なかったものとして処理しています。毛皮や象牙の問題もそうですね。『どうぶつの国』を読んでいた小中学生の頃は、アル・ゴアの『不都合な真実』もちょうど流行っていた頃で、毎日「なんで人間はこんなに邪悪で愚かなんだ」と常に悩んでいました。大人になるにつれその"邪悪さ"や"愚かさ"含めて「人間も愛らしいところもあるな」とは思えるようにはなったものの、やっぱり選挙に伴う政治家からの発信や戦争のニュース・しょうもない企業のIRの発表とかを聞いてると、"邪悪さ"と"愚かさ"を煮詰めて外面にコーティングして綺麗にした言葉を摂取してるようで、心が荒んできます。

無責任に綺麗な景色とか美しい言葉とか良い人だけを摂取して生きていきたいですが、便利さを享受する自分もやっぱり何かしないといけないと思うし、不幸や理不尽にさらされる人や"不都合な真実"に対して向き合って行動しないといけないと思うのです。

結局社会的な役割としてはゴミの分別やリサイクル、買うものを選ぶといった、本当に些細なことしかできていない自分が情けないですが、せめて身の回りの接する人たちが、不幸や理不尽にさらされるとしたら、助けてあげられる自分でありたいなと思うのです。

ガッシュやタロウザから学んだ優しさの道徳は、私の考え方の大事なところの多くを意外と占めているのだと感じ嬉しくなる読書体験でした。ガッシュKindleセールで一気読みしてしまい、そこでガッシュ2の存在も知り合わせて読破しました。漫画漬けの週末で最高でした。

 

『金色のガッシュ!!』(雷句誠、2001~2008年)

Kindleのセールで1巻300円・全巻で5000円で購入できるとのことでつい購入してしまいました。

忘れもしない私が小学1年生の頃、ケンジ君の家で読んだ初めての漫画で、夢中になって読んでいました。久しぶりに読んでもやっぱり最高で、一気に読んでしまいました。

コルルとの戦いから「優しい王様になる」と決意したシーンや、ナゾナゾ博士とキッドの別れの戦い、千年前の魔物編のレイラやビクトリーム、ウォンレイの最後の戦い、小さいときに熱中してた漫画なので何度も繰り返し読み、今でも全部思い出せるくらいの記憶でした。完全版なのでカラーもかっこよくて最高でした。

当時はジャンプよりサンデーが流行っていた気がして、『メジャー』や『うえきの法則』『焼きたてジャパン』『結界師』『犬夜叉』『コナン』『からくりサーカス』『月光条例』などなど、めちゃくちゃ鮮明に記憶がよみがえってきました。

その中でもガッシュはやっぱり一番思い出深いし好きな漫画で、仲間に優しくかつ強くあり守る力を持つという道徳とか熱い気持ちみたいなものは、ガッシュから教えてもらった気がします。「優しい王様になる」というガッシュと一緒に成長して、子供から少年になったと感じます。

昔の懐かしい気持ちになったし、成長したところと変わらないところと、そんなことを感じられる最高の週末になりました。

 

『金色のガッシュ!!2』というのも出ているんですね。読みたいですね。