失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『日本三國』(松本いっか、2022〜)

暑すぎて何もする気が起きない日々が続いております。

大学の頃にベトナムや沖縄旅行した際に、日本では働き盛りの青年たちが、昼間から軒先や町中でコーヒーを飲んだりお酒を飲んで談笑し、働いている気配がないのをみて、当時は「こんなんでいいのかな、良くないよな」みたいな気持ちになりました。ただ今思うとこんなに暑ければ働けないですね。

いま私は溶けるように寝てます。関東の冬みたいに"乗り越える"べく季節がなく、常に暖かくて草も枯れないのであれば、働く必要もないのだとおもいます。冷静に考えて、現代社会では怠惰でも餓死はしないし生き残れる時代で、そんなに深刻に捉えないでもいいのかもしれないです。日々を大切に生きなければ、冬を乗り越えられない過酷な地域や時代では、宮沢賢治ユダヤ教のような自制と忍耐の哲学が生まれるのでしよう。もっというと幸福追求的なエピクロス派的な発想で、この怠惰でも死なない世の中で、勤勉にストイックであり続けることこそ愚かで、自らが楽しくハッピーで、それが他の人に伝播するような姿こそ、令和の現代には求められているのではないのかなと思うのです。せせこましいビジネスの時間感覚は日本をより病ませる。ウチナータイムこそが日本を救うでしょう。

ただゴロゴロしていると、多少深刻な雰囲気な内容のないことを考えますが、最近はこのマンガにハマってます。

近い未来で日本という国が崩壊し、3つの国に分かれ、"前時代"的な政治や文化の世に生きています。そんな乱世を生きる主人公の三角(みすみ)や阿佐馬たちの姿を描きます。

昔ほどマンガを読まなくなってしまったけれど、こうやって暇をしてマンガを読むと面白いし、「私も頑張らないとな」と思うのです。

そういえばちょっと前に飲み屋で、「カネコさんは政治家になるべきです」なんて言われました。それはたぶん飲むと冒頭に書いたような多少深刻な雰囲気のある中身のない話をすることか、或いは飽きっぽくて少し前に言ったことも忘れて責任を持たないことへの皮肉なのかもしれないです。

ともかく涼しくなったら頑張ろうと思います。

 

 

『本心』(平野啓一郎、2021)

最近は小説を読めない気持ちだったんですが、暇になったのと、気分がBADに入っている関係で、今日はずーっと本を読んでいました。本当にヒマな大学生みたいな暮らしで、井の頭公園で暑くなりすぎなくなる時間まで本を読んで、コンビニで買ったおにぎりを食べて、なんだか吉祥寺に引っ越したくなって部屋の内覧に行って、そのまま申込書を書いて、昼寝をして、夕方に一件だけWeb会議をして、定時に電車に乗ってまた本を読んで、本当に退屈で幸せな一日でした。

そんな今日考えたことは追って書くにせよ、良い小説との出会いでした。

本心

本心

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舞台は、「自由死」が合法化された近未来の日本。最新技術を使い、生前そっくりの母を再生させた息子は、「自由死」を望んだ母の、<本心>を探ろうとする。
母の友人だった女性、かつて交際関係にあった老作家…。それらの人たちから語られる、まったく知らなかった母のもう一つの顔。
さらには、母が自分に隠していた衝撃の事実を知る――

こんな話ですが、やはりミステリー要素であるストーリーが気になるという魅力以上に、日々一瞬感じては忘却してしまうような刹那に抱いた感情や頭の中で繰り広げられる深く抽象的な議論を明確に言葉にしてくれて思い出させてくれることに魅力があるように思うのです。

実際、母は僕に、よく「優しい」と言った。優しさとは、しばしば奇妙な、理解を絶した何かなのだった。損得勘定からも、理知的な判断からも逸脱した不合理な何か。

彼女の生きている物語が、鮮烈に感じられました。だから、惹かれたんです。――(中略)――そして僕は、あなたのお母さんに、現実を変えるために、もっと努力しなさいとは言えませんでした。これが人が人と向かい合った時の、決して抽象的でない感情です。――(中略)――僕は、あなたのお母さんとの関係を通じて、自分は優しくなるべきだと、本心から思ったんです。

こんな言葉を反芻しながら、自分がよく”優しい”と言われることと、そこに対する欺瞞を見出すような感情が、少し整理がついたように思えました。

そもそも最近の自分の感情を思い返すと、BADに入ってた経緯は仕事が原因で、営業という仕事でちょっと嫌なことが多かった気がします。なんか今月は重たい交渉事が多くて、”優しい”顔をして人の心の中に踏み入り、決断を迫るシーンが多かったです。世の中では”優しさ”を以てして信頼関係を築くと言うのかもしれないですし、築かれた信頼関係からなされる決断というのは、未来から振り替えるとその人自身にとっても良い決断になったというケースも多いですが、なんかやっぱり商談の場にいると、決断するその人と同程度に私自身も心を削られてしまう感覚があります。決断をするような空気になる商談の場というのは、良く表現すると情の空間に入れるというか、落語の芝浜みたいな空間になるんですが、悪い点では自分自身の心も全部持っていかれるというか、自分の気持ちが落語家もとい落語家の憑依する”魚屋の勝”と同じような感情に入りこんでしまう感覚があります。店を廃業するとか、代々受け継いできた土地について売買の意思決定をするとか、そんなシーンを短期間で多量に摂取したことによって、非常に心が疲れました。これが全営業マンや全人類に共通するのかはわからないですが、私は影響されやすいというか、普段はある種冷たいというか俯瞰して場がどうなるみたいなことを考えながら会話するタイプではありますが、スーパー情の空間モード・芝浜モードになると、影響されやすいというか、彼我の区別がなくなってしまうから疲れるのかもしれないです。自分自身の感情の変化をこうやって冷静に見つめると、商談のはじめの段階は”優しさ”というのは嘘っぱちで、決断を迫るクロージングの材料を集めたいという気持ちと、純粋に気になるから聞いていることが多いんですが、そういった決断のシーンになるとその共感能力の高さというのは、きれいな言葉でいうと”優しさ”というのかもしれないです。言い換えると、ただ影響されやすいだけという”不合理な何か”であると思うのです。

ともあれそんなBADは、井の頭公園での読書を通して寛解され、「決断を迫る人間は、決断が早くないといけないな」という謎のスイッチが入り、引っ越しを決めました。商売人として運気のいい町である吉祥寺に居ることは良いなという感覚で決めました。

本当に良い小説で、ネタバレがあるのもよくないかなと思って書かないですが、最後の日比谷公園脇の商業施設3階のレストラン(おそらくミッドタウン日比谷かな)での回想シーンは素晴らしく、『金色夜叉』の列車のシーンや『失われた時を求めて』の馬車のシーンのようで、通常であったら知覚しないような自然の微細な変動をとらえ、そこから過去の回想と未来への予測が無限に広がっていく様が素晴らしいです。私の上記推し2作品と共に是非読んでほしい作品です。

それにしても、現在を生きながら、同時に過去を生きることはこれほど甘美なのだろうか。

現在を生きながら、同時に未来を生きることもまた、甘美であってくれるならば、と僕は思った

proust-masayuki.hatenablog.jp

proust-masayuki.hatenablog.jp

『本心』を読んでいるうちは、私の母親の話とかも思い出して暗い気持ちになりましたし、そのことを書きたいなという感情でした。しかし最後のシーンを見て心が浄化されて、今日の話になりました。読書の最中はずっと過去の文学少年カネコというか、芝浜でいうと勝として憑依されてたのですが、最後のシーンを摂取した瞬間に、2024年現在のカネコに戻れて、勝から談志に戻れたみたいな感じです。

僕たちが、何でもない日々の生活に耐えられるのは、それを語って聞かせる相手がいるからだった。 もし言葉にされることがなければ、この世界は、一瞬毎に失われるに任せて、あまりにも儚い。それを経験した僕たち自身も。──

ブログという機能は、私がなんでもない日々の生活に耐える手段なのかもしれないです。BADから救ってくれるのは、読書とブログ或いは酒と友人ですね。明日からも楽しくやっていこうと思う一日でした。

 

 

『ある男』(平野啓一郎、2021)

最近は感性のスイッチが摩耗しているのか、営業という人の気持ちを動かすことを日常で繰り返しているからか、はたまた単に暑くて疲れているのか、わかりませんが小説を読む気にはならずにいます。ただ読んだ本で感性に刻まれた本は積まれており、数々の付箋やメモ、いつかブログで書くかもしれないなという記録はあるので、たまには読み返して感性の方の脳みそを動かしてブログを書こうと思うのです。

『マチネの終わりに』を読んだときにも感じましたが、このなんとも言葉に表せない感情を言葉にして、共有してくれる機能というのは小説においてかけがえがない役割だと思うし、とても好きな小説家だなと思うのです。

本作はミステリー的な要素もあり、亡くなった夫「大祐」の家族と連絡を取った際に、戸籍上は実は全くの別人であるということが判明し、弁護士の城戸が「大祐」の正体を突き止めていくというのが話のストーリーです。内容としても気になるので結論を知りたい欲は刺激されていくのですが、一番の見どころは、本来は”アンニュイ”な感情が、言葉として整理され、読者の目の前に提示される心地よさと、それを自分に置き換えたり共感していくなかで、過去に整理がつかないで放置された感情が蘇っていくのが本当に楽しいです。すべての登場人物の、あらゆる描写が素敵です。恋に落ちる際の人間の心情の変化、夫婦の不安、差別に対する反骨精神や自己の存在に対する不安、親の死のあとに生きる子供心とその子を見る母、恋によってある人に対する印象が美化される様と過去の美化された恋に対する嫉妬、そして”ある男”の人生。すべてが魅力的で本当に素晴らしい小説でした。

本ブログは読書に始まる自伝ブログではあるんですが、この読後の感情から自分の経験を掘り起こして書いていくのはなんか嫌で、とりあえず読んでよかったし、読んだ人と語りたいなという素晴らしい読書体験でした。

「大祐」の描いた絵を見て、何故か里枝が泣いてしまうシーンがあります。当然小説なので、絵は私たちの目には見えないのですが、私もそのときなぜか涙が込み上げてきました。私の自宅には絵が飾ってあるのですが、その絵の景色は見たことのない景色でしたが、何故かわからないですが私を魅了して、なんとも言えない感情になりました。

結論、人間の感情とは突き詰めると言葉にはできないし、思い通りにコントロールすることはできないし、それが人間の面白さだし魅力なんだな。そんな気持ちを抱けたので、良い週末を過ごせそうです。

 

 

『ルポ路上生活』(國友公司、2021)

さらば青春の光YouTubeチャンネルで、本の作者のインタビューをするという企画があり、そこで興味を持って手に取りました。

著者が実際に3ヶ月間路上生活をしてみるという企画で、全く知らなかった実態が見えてきて、大変面白い本でした。

ホームレスは炊き出しや福祉団体の支援で生きるのには困らないこと、炊き出しは実は生活保護受給者のほうが多いこと、缶拾いなんかせずとも"手配師"の話や路上生活者の年金や医療の話、また何よりホームレス生活の一番の辛さは、やることがなくて暇なことみたいです。知る由のないことをたくさん知れました。

最近、三点ユニットのワンルームマンション投資をはじめまして、入居希望者さんやテナントさんと話す機会も増えてきました。あと警備会社の経営者とも話す機会があり、従業員さんの話を聞く機会もありました。いろんな人がいて、みんな必死だったり、だましだましだったり、楽しくもあり、辛くもあり、ともあれなんとか生きています。

日本は衰退しているようにも感じますが、どんな人でも生きやすい世の中の制度はあるように思います。生活保護+タイミーや警備会社的な雇用でも生きられますし、炊き出しがこんなにもあったり、起業しようと思えば金融公庫がめちゃ緩い審査で低金利で貸してくれますし、結構いい世の中だなと思うのです。

また日本では"世間"と呼ばれる同調圧力が強いと言われますが、アメリカとかのパリピ擬態文化や隠しきれない差別の歴史をみると、そんなこともないというか、気にしないで生きようと自分が決めさえすれば、生きやすい国であるように思います。

昔は色々不満も感じていましたが、ニュースで悲観的な誇張された物語を摂取しすぎて、それを真に受けすぎていたのかもしれないです。その悲観的な物語に自分を重ね、辛さを文学や哲学でやり過ごす青春で、あの時期はあの時期でいまの自分の糧ではあるけれども、もっと楽しくアグレッシブに在れたらもっと良かったよなと思います。

世の中のほとんどは感情の問題で、きっと孤独すぎなければ人はハッピーなんだと思います。そして孤独とは100%主観の心理現象で、解消の仕方ややり過ごし方は無数にあると、個人的には結論付けています。

みんなが生きやすい世の中であってほしいものです。

『数値化の鬼 』(安藤広大、2022)

だいぶご無沙汰してしまいましたが、なんとか生存しております。かつて天才だと思っていたカネコという男は、天才が故に夭逝する運命にあり、遅くとも27歳には死ぬと思っていましたが、28歳を迎えてしまいました。自己評価が高いが故の世間からの逃避や肥大化した自己認識もしぼみ、いわゆる中二病もやっと寛解をしてきたところです。

中二病が治ると、自己表現したい、自己の精神を吐露したいという思いも失せてきて、この令和の人間失格を目指す読書自伝ブログに対する熱量も全然なくなってしまいました。

それなりに仕事もできる感じになってきたし、それなりに安定もしたし、渇きもなくなりつまらない男になったなと思ったときに、同業界で尊敬できるような同世代の仕事仲間と飲む機会が重なりました。かたや独立、かたや社内の新規部署立ち上げ、かたや新規事業への参入、聞いていると小さな井戸のなかでゆでガエルになっていた自分に気づくのです。そんな飲み会では、馬鹿なぶりして溶けるまで飲むこともできず、冴える頭のまま帰りの電車で「今日から頑張ろう」と思ったのです。

28歳、新しく生まれ変わった私は、仕事では色々な手を打っていこうと思うのですが、これからはブログを日記的に一週間を振り返るツールとしてつけていこうかなと思うのです。近い日で読んだ本を題材に、考えたこと・思ったことを記録していく、整理の習慣をつけていこうかなと思った次第です。

 

前置きも長くなりましたが、新生1号記事はこの本にしました。税理士のスガワラさんがYoutubeで取り上げていたのを見て、『リーダーの仮面』と共に手にとりました。

正直なところ、Youtubeと同じというか、私は摂取しないでもよいかなと思った内容でしたが、新卒の頃とかに出会ってたら面白かった気がします。メモもあんま取ってないですが、章立ては最後にまとめておきます。

私は仕事をするなかで、色々な人から学び、自分なりにモチベーションがなくても行動できて一定の成果が上がるシステムを構築できたように思います。習慣の力というのは偉大で、習慣に基づいた行動と、その振り返りから次なる施策を考えていく循環を回すだけで、頑張っても頑張らなくてもなんとかなるので、自分の体感としては楽ですが、傍からみると「なんであんなに頑張れるんだろう」と思われることもあるようです。私自身は全く頑張ってないし、頑張らないで楽をするために、或いは10年後に楽になるために行動を置いているだけですが、確かにこの行動量を意志だけの力でやるのは大変だと思いますし、私もいまの状態になるまで3年くらいはつらかった気がします。数値で目標を設定し、その行動を習慣化することの効力は本当に偉大であるなと感じます。

ただ確かにこの本にあるように、個人で数値化と習慣の力を利用するのは誰でもできそうですが、これを組織に通底させるのはかなり大変なような気がしますし、「社員が頑張らない」というよく聞く経営者の悩みが生まれるのかなと思います。そこで勘違いして、社員同士の飲み会をやったり、社長の尊敬する経営者の言葉を音読させて感想文を提出させたり、より離職率の上がる施策を打ってしまうのでしょう。人間は結局動物で、頑張れといっても気合で頑張れないし、頑張らないで済む方法を作るか、頑張ればそれ以上の報酬(金銭や或いは脳内の報酬)を設定するしかないと、私は思います。社訓唱和で一体感を感じテンションが上がるのは勝手ですが、それが他の人にも同様の効果があると感じる馬鹿を雇用すると、長期的には人が定着しない組織になるし、損でしかないように思います。ただ創業社長は、特に大企業になればなるほど、熱い情熱を持った人が多いのは事実で、自分自身が社訓唱和などの精神論で自分を鼓舞できるタイプだから、頑張れない人や情熱が欠けている人を本心から理解できないんだと思います。しかも頑張れる人や情熱のある人は、同様に野心もあるからいつかは辞めますしね。社内飲み会を増やし、社員の精神教育を増やす施策を打つのは勝手ですが、某光戦士のように「社員を洗脳して辞めにくくしつつ、いつかはどうせ辞める」と捉えるなら賢いように思うのですが、「なんで人が辞めるんだろう」と嘆くのはちゃんちゃらおかしいというか愚かだと思うのです。

ともあれ世の中いろんな人や組織がありますが、過労で病んで自殺とかする人が出ないような世の中ではあってほしいなと思う今日この頃です。

 

【メモ】

<序章 「数値化の鬼」とは何か>
数値化の鬼とは→数値化された評価を受け入れる、自分の不足を数字として受け入れる。これさえ理解できれば主体的な数値化のノウハウで自分の仕事に取り組むことができる
仕事ができる人になる5つのステップ
①行動量を増やす
②確率のワナに気を付ける
③変数を見つける
④真の変数に絞る
⑤長い期間から逆算する
<第1章 数を打つところから始まる―「行動量」の話>
PDCAのDに拘る
Dの拘れるためのKPI設定
<第2章 あなたの動きを止めるもの―「確率」の話>
評論家になるな、行動量に拘れ
評価にゼロとマイナスとプラスを取り入れる
働かないおじさんを生まない
<第3章 やるべきこと、やらなくてもいいこと―「変数」の話>
行動量の工程をわける、さらにその工程を行動できる要素に定義する
やったことに意味付けをするのではなく、Planを達成するのに必要なDoであったか検証する。CheckしActionを起こす。
人の成功はすべて仮説である
<第4章 過去の成功を捨て続ける―「真の変数」の話>
変数を増やしすぎない…それは変数かという視点
<第5章 遠くの自分から逆算する―「長い期間」の話>
<終章 数値化の限界>