失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『LOVE理論』(水野敬也、2019)

私は最近エグいモテる…気がします。私はずっとナルシストで、「お前ほどめでたいやつはいない」と良く言われる人間ではあったのだけど、最近は人生七度目くらいのモテ期が来ているように感じます。

そのことをブログに書きたいなと思った際に、適した本が思い当たりませんでした。そこでKindleUnlimitedで久しぶりに名前をみて、適したタイトルを見つけたので、目を通しました。

LOVE理論

LOVE理論

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「恋愛工学」という言葉が流行ったのはいつかと調べたら2015年でした。私が大学に入った頃の言葉だったんですね。本作もそんな文脈を受け継いだ内容て、結構キツくて、どうやったらモテる・ヤレるかかみたいな話になっています。

私は「恋愛工学」的な文脈とか、弱者論みたいなのが本当に嫌いです。そしてそういう言説は、Twitterとかはてな匿名ブログに多く存在するので、そんな論客ぶった連中を視界に入れないために辞めました。

なんで嫌いかというと、二つの視点があって、ひとつは純粋にダサいという視点、もうひとつは同属嫌悪という視点です。

ひとつ目の純粋なダサさとは何かというと、「モテたい」というのを口に出すダサさ、その教えを乞う人と教える人がいる環境のダサさです。ちょっと前に『「いき」の構造』という本を読んだときに納得したのですが、モテたいという媚態は、口に出せずにやるからかっこいいのです。私は江戸っ子のおじいちゃんに憧れてたので、口が悪いし素っ気がないけど、芯で優しくて努力してる様に憧れるのです。武士道なんです。「他者はコントロールできないから自分を変える」。営業の現場で教わることですが、武士道とか江戸っ子的な生き方もそれに通ずるのだと思います。「恋愛工学」学ぶ前に、いっぱい現場出て、恥かいて、勉強しやがれデコ助野郎。お家でずっとシミュレーションとロープレしてるんじゃねぇ。そう思うのです。

もうひとつの視点は、同属嫌悪の視点です。そもそも私も根っからのダサ坊だし、ダサ坊でなければ文学少年にならないし、こんなダサい生き様を送らないのです。だから「恋愛工学」とやらを宣うダサ坊を見ると、同属嫌悪に陥るのです。

こんなことを書いてたら、もう飽きてきて、私が最近モテる話をする元気はなくなってきました。根っからのダサ坊ですが、虚勢を張って今日も生きていきます。