失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『三島由紀夫レター教室』(三島由紀夫、1991)

家にモノが増えて来て整理をしていました。本は特に溜まりがちで、山積みにされているものを人に譲ったり、追加したカラーボックスに入れたり、そんな週末です。昔、カズレーザーが「一度読んだ本は処分する。また読む時は買えばいいし、読み返す本は少ない」と言っていたのに影響を受け、私もそこまで極端ではないですが、ミニマリスト的な本棚を目指し、読んだ時の気持ちはブログやEvernoteにメモして減らすようにしています。

そんななかで中学校の頃からずっとたまに読む本があって、それが『三島由紀夫レター教室』です。

 

5人の登場人物が、それぞれが書く手紙から書き方を学ぶというような体裁で、「古風なラブ・レター」「有名人へのファン・レター」というようにそれぞれの手紙がテーマを持って例文として登場します。一方で書簡体小説のような内容でもあって、各人の喧嘩や恋などが手紙の内容から浮き上がってくるので、その面白さもあります。本棚にずっとあるので、たまに手を取って読むと、三島由紀夫の人間分析の鋭さに感動するし、人の気持ちを動かす際に言うべきこと・言うべきでないこと・伝え方を反省する機会になります。最後は、三島由紀夫から読者たる私たちに向けての手紙で終わるのですが、手紙の結びは下記の言葉で締めくくられます。

世の中の人間は、みんな自分勝手の目的へ向かって邁進しており、他人に関心を持つのはよほど例外的だ、とわかったときに、はじめてあなたの書く手紙にはいきいきとした力がそなわり、人の心をゆすぶる手紙が書けるようになるのです。

これは本当に人生の教訓として大事にしています。前段では人を動かすのは利害(大金・名誉・性欲)か感情であり、感情を動かすにあたっては、相手は自分に興味がなく、相手は相手自身の興味で動いているということを腹の底から理解しなければ、人の心を動かすことはできないという話が出てきます。恋愛にせよ、人間関係にせよ、仕事にせよ、うまくいかないときは、この言葉を思い出します。そのうえで振り返ると、自分が自分の話したいことを話し、相手のことをきちんと知っていない・話してもらっていないことに気付き、反省するのです。人は自分の伝えたいことを伝えてしまうし、私もおしゃべりなので、ついつい話したいことを話してしまうのですが、「相手の話したいことを話してもらう」という人間関係の基本をそれぞれの手紙の教訓や内容から学んで反省するのです。いまは営業の現場で働いていますし、利害で人を動かすのは簡単だなと日々思う一方で、やっぱり面白くないし、何も得るものがないのです。「カネコに会ってもよい、会いたい」「カネコに自分のことを話してもよい、話したい」「カネコの話を聴いてやってもよい、聴きたい」という感情のスイッチを押すことに、喜びを覚えるし楽しいのです。

そんな教訓と感情を胸に『レター教室』を本棚に戻します。また何年後かにきっと手に取る気がします。