失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『金魚王国の崩壊』(模造クリスタル、2013~)

『堕天作戦』の記事を書いているときに、「そういえば、『金魚王国の崩壊』ってまだ更新されているのかな」と気になって、久しぶりにみにいきました。小学生の話だという記憶でしたが、主人公のみかぜちゃんは進学して、まだ悩み生きていました。

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子供の残酷さとか、「ああいう悩みって子供の頃あったな」ということを思い出させてくれます。

ブログでは再三そのことを書いてはいますが、私も高校性の頃はカールマルクスになりたかったし、世の中の争いをなくしたり、その原因となるものを取り除くような仕事を世で成したかったなと考えていました。世の理不尽のようなものを「そういうものだよね、仕方ないよ」で飲み込めるほど大人ではなかったし、いまの私も根っこでは変わっていないので、頑固さというか納得できないものは納得できるまで理解したいという点は、当時と全く変わっていない気がします。みかぜちゃんは「生き物の命を奪って食べること」、この皆が当たり前に処理している”理不尽”に苦しみ、ときに世になじめず、ときに世に受け入れられ、”理不尽”と折り合いをつけていきます。どんな人もきっと多かれ少なかれ自身のなかで納得できないこと”理不尽”があって、それとなんとか折り合いをつけて生きていくと思うのですが、気づかぬうちに自分で自分に蓋して封印している人もいれば、真正面から向き合いつづけて苦しみ続けている人や、向き合うなかで自分なりの答えを見つけた人もいるはずです。自分のなかの矜持ではないけど、譲れないこと、みんなが当たり前に受け入れているように思えるけど納得できないこと、”理不尽”。そういったものの存在を思い出させてくれる読書体験でした。

夏目漱石の『草枕』を思い出します。

山路を登りながら、こう考えた。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟さとった時、詩が生れて、画が出来る。

芸術や宗教は、人が”理不尽”と折り合いをつけていった歴史であると思います。人があっけなく死んだり、人が人を騙したり、良い人が損をしたり、人の世には”理不尽”が満ちています。この出来事を”理不尽”と感じ怒り悲しむことは、ある個人が納得できないことに直面した際に生じる感情にすぎず、公正世界仮説的な認知のバイアスと言ってしまえばそれまでなのかもしれないです。ただ私は人間という生き物が”理不尽”と折り合いをつけていく様が美しいと思うし、人が人に共感し手を差し伸べたり、芸術や宗教の形で共感を生み出す物語を作り出すことに、心を動かされます。

【触れた本など】

草枕

青空文庫kindle

 

道徳感情論 (講談社学術文庫)