失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『ヒキコモリ漂流記』(山田ルイ53世、2015)

私は髭男爵山田ルイ53世ルネサンスラジオをPodcastに出会った中学校の頃から断続的に聞いていて、発売した大学生のころに読んだ本です。最近、男爵がYouTubeの街録チャンネルに出ているのを見て、パラパラと読み返した次第です。

自分のことを特別だと思っていたけど、特別でないことに気付いて心が折れるような体験は、たぶん少なくない人が体験していることだし、本人以外は大した記憶や印象には残っていないことがほとんどだと思います。でも体験した本人にとっては、くびきのように感じて、過去のトラウマとも言えないそんな体験が、人生の足を引っ張ったり、幸福度を下げたりするわけです。私も散々ブログで自分の話ばかりをしているので、同類の人間であることは自覚したし乗り越えてなんとか生きている訳ですが、中高生の氾濫する感情に溺れるなかで、灯台のようにたどり着く場所を示してくれたのが、いろんな小説や哲学者の話だったりしましたし、爆笑問題さんや髭男爵のラジオでありました。山田ルイ53世の人生の話は、この本や街録チャンネルに書いてある通りで、ここで再度まとめるのも野暮なので、そちらをご覧ください。過去のいま思うと大したことない感情の氾濫によって、人生を生きにくいなと感じる人には、救いと元気を与えてくれるような本だと思います。

youtu.be

私自身がとがっていた中高生時代の話や、そのトガリが丸くなっていった大学から社会人のはじめのころなど、いろんなことを思い出しますが、昨日思ったことを書こうと思います。

昨日は夜に予定が空いてしまって、友達のやっているシーシャバーに行くことにしました。ありがたいことに2人の友人が来てくれて、CHILLしてました。私はさみしがり屋であまのじゃくなので、たまに無性に人に会いたいときがあるし、家に籠って内省したいなという日もあります。昨日はさみしい日だったんですが、さみしい日に会いたい人は大体決まっていて、自分が好きな人なんですよね。それがノリがいいとか、家が近いとか、性格が合うとか、場面場面で色々な要素があるとは思うのですが、総合して共通するのは好きで会いたいという感情なのかなと思うのです。昨日来てくれた子は、月に2-3回会いたくなってlineするのですが、ほとんどハンドオフされるか無視されるんですが、昨日は一年ぶりくらいに来てくれました。飲みながら、CHILLしながら、馬鹿なことを話しながら、なんでこの子に会いたいのかなということを考えたときに、気づきをえました。それは、「つまらないときは本当につまらなそうな顔をするし、嫌なときは本当に嫌そうな顔をするし、反対に面白いときは喜んでくれる」ことなのかなと気づいたのです。そのうえで「どうやったら喜んでくれるかな、盛り上がるかな」ということに対してすごくモチベーションが沸くし、それが楽しいんだなということに気付いたのです。その日の最後のほうにそのことに気付いて、その話をしたら「私でやりがいを感じるのはやめてくれ、馬鹿じゃないの」という旨のことを言われたのですが、それがまた楽しいので、たぶん私は根がドMなのかもしれないです。営業が好きなのも、冷たくあしらわれることを前提に、どうしたら笑ってくれて、どうやったら関係性を築けるかが、好きだからやれているのだと思います。それでもあんまりキャバクラやガールズバーが好きではないのは、良い店であればあるほど、向こうがスイッチを入れて盛り上げてこようとしてくれることで、逆にテンションが下がるのです。

そんなこんなで今日は反動で一人で居たいモードですが、明日からまた楽しく生きていこうと思います。