『蹴りたい背中』を読み返してから、綿矢りさに虜だ。読み漁っています。
嫌なところに気づくなというか、言語化できていない感情を教えてくれる。会話のリズムも私と同世代の平成の文体で、読んでいて同じ速度で感情や思考が動く感じもして心地よいです。
この本は雑にまとめると、モテない拗らせた嫌な女性が主人公で、恋心とその他こんがらがった感情のフィルターを通して見る世界を楽しむ小説です。
「江藤さんもなにか話して。どんな人なのかおれに教えて」
「江藤良香、26歳、日本人、B型、株式会社マルエイに勤めていて、顔にはたけができやすい。髪の毛は染めたことなし、アトピー体質でもあり首は年中色素沈着してる。彼氏なし、貯金なし、一ヶ月の家賃は七万五千円。嫌いなのはひま人で、好きなのはシチュー、最近はまっているのはインターネットのウィキペディアで絶滅した動物について調べることです」
「ねえさらっと言ったけど、本当に彼氏いないの」
「いまのところは」
「へぇ。いつから」
「かなり前から」
「ふうん。おれは一年前からいない。大学から七年間付き合ってきた年上の彼女と別れてさ」
彼はまた自分について話し始めたけれど、私は昨日ウィキペディアで調べたばかりの絶滅した動物について語りたかった。いっぱい話したかったから自己紹介の最後に持ってきたのにぜんぜん食いついてこないなんてさびしい。
読んでて思い出すのが、彼女といった初めてのちゃんとしたデートのことです。
2022年10月1日、台風の接近を許さず、ホコリ一つ俟っていない気持ちのいい秋晴れ。そういえば、きょうは彼女と上野で会う約束をしていた日だったななんてことを思い出して、嬉しさが半分、一方でやや気負うような重たさもあって。
前回会ったときには、とてもぎこちない儀式がかった宣誓を経て二人の関係性に名前を付けたのだけれど(つまり世間でいう付き合うという状態になったんだけれど)、誰も友達になろうといって友達になる人はいないのと同じで、その宣誓をひとつを重要事ととらえて二人の関係性が決定的に変わった訳でもない気もして。
この日に約束をしたのは、特段何か大きな理由がある訳でもなく、ただ会いたいからで、上野にしたのも特に理由はなく。私は不動産屋ということもあって、駅さえ決めれば行って盛り上がる場所をその日の相手や自分の気分や温度感を察知して選ぶ方が好きでなので、そんな雑な段取りをした訳です。
約束をしたは良いものの、案の定落ち着きのなさから早く家を出過ぎて、1時間前に着く羽目になりました。早く着いたので現地で調べていると、その日が都民の日ということを知り、上野動物園が無料なのでここに行くことにしました。動物が嫌いだった場合も考慮して、サブプランで美術館に行く選択肢も準備する一方で、アメ横も下見して、そんな落ち着きのない準備をしておりました。
会って一目見るとそんな焦りや不安は杞憂だったことに気付き、動物園を楽しく過ごすことになりました。具体的に何が楽しかったかはあんまりないんですが、ミーアキャットをみたときのことが印象的です。私はミーアキャットがなぜ上を向いているか知らなかったのですが、看板の説明によると上空のタカなどの外敵を交代で監視して仲間を守るために空を見上げているらしいです。私が感心していると、彼女はとても詳しくミーアキャットやハシビロコウの生態を教えてくれました。その横顔の頼もしさに感心しながら、「敵わないな」と思ったものです。そのうえでちょうど昨日読んでた『勝手にふるえてろ』のやり取りみたいだなってそのとき思ったのを思い出しました。
私は文学少年ですしカールマルクスになりたくて大学に行っているくらいなので、非常に内向的というか
「人がなぜ人に関心を持つのか?」
「なぜ人を好きになるのか?」
「愛とは何か?」
みたいなことを考えすぎるし、現実世界の人間関係にもそれを持ち込もうとするクセがあります。
ただふとミーアキャットみたいなやり取りから自分が感じる感情だけを整理して取り上げると、論理的・説明的な感情や愛というものの無意味さというか味気なさに気付いて反省するのです。人がなぜ人を好きになるのかなんて理由はないし、ふとした一瞬にその感情を論理が知覚していくら考えたとて、「敵わないな」というただ一つの解を導き出すだけなのです。
そして最終的に導き出す答えは、そんなに飲んでないけど酔ったフリをして近づいて、まだ暖かいけど寒いフリして手をこすり合わせて、手をつなぎにいくだけなのです。