失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『それでも日々は続くから』(燃え殻、2022)

今年の春に書店で出会ったエッセイ本で、読まずに置いてあったのを見つけて読みました。

色々疲れてくると余裕がなくなってきて、自分が悲劇の主人公になったような気持ちになったり、そこまでいかなくても自分ほど繊細だったり苦労している人はいないんじゃないかなという思い込みが強まるんだけれど、こういうエッセイとか人のブログを読むと、ダウナーな流れを断ち切り「もっとがんばろ」と雑にアッパー系スイッチを入れられるのです。

タイトルがまず良い本で、そのうえ壇蜜さんの帯があったので、思わず買ってしまいました。ただこう言った連載やブログをまとめた本は、個人的になかなか読みたいスイッチが入らないというか、割けるチーズを食べるみたいに一日一記事をゆっくり摂取する向けな気がして。こうやってコロナ療養で暇なときにだらだらしてしまったときに読むと、ダウナー系な感情をやや上向きに向けてくれる気がするのです。お酒やドラッグ(やったことないですが)のような即効性はないですが、カフェインというよりジャスミン茶を飲んで気持ちが落ち着いてやる気を出すのに一役買ってくれたときのような。そんな読後感がありました。

 

今年の春に転職してから、私は家賃松戸・家賃三万円・和室・3点ユニット(所謂ユニットバス)に住んでいるのですが、大学生の頃につくばで2万円台の部屋に住んでいたときと環境がとても似ているなと薄々感じておりました。そんななかでコロナ療養という暇すぎる時間を過ごすと、すごく大学生の頃の思い出を思い出すのです。

 

カールマルクスになって世界を変えようと大学にいったものの、レベルの低い(と認識していた)同級生ともノリは合わず、お金がなさすぎて冷蔵庫もコンロもない状態の家を思い出すのです。親に頼りたくないなという尖りもあったので、買ってもらった携帯を速攻で解約して自分でキャリアを払うようにして、常温で日持ちのして栄養のありそうな鯖缶と食パンで暮らしていました。

バイトが決まる6月くらいまでは本当に地獄で、そんな食生活でなにかにあたったことに加え、ストレスで一回おなかを壊して家から出られず、「死ぬかもしれないな」と思った3日間を思いだします。ずっと天井を見ていて、寝れるモードに入ったら寝る。気持ち悪さで起きては、水と薬を飲んで、やっと小康状態になったら何故か風来のシレンをやって。寝れそうなら寝る。そんな状況でした。

 

今回のコロナもまさにそんな感じで、風来のシレンどうぶつの森ポケットキャンプに変わっただけです。激烈に体調が悪く死ぬかと思いましたがなんとか耐えて、そしたら今度は暇にも耐えかねて。

元気でも辛くても、やる気があってもなくても、それでも日々は続くのです。