失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『読書という荒野』(見城徹、2018)

保険の仕事をしているときに、先輩から進めてもらった本で、2年ぶりに手に取りました。

「負の感情を溜め込め」

「世界の矛盾や不正や差別に怒れ」

「苦しい方に身をよじり、自己検証能力を磨け」

世界の矛盾を許せずカール・マルクスになりたかった自分、絶対に負けたくないという自分、最近そういう渇きがなくなって面白くなくなったなと、常々思うのです。「私って幸せだな」と思う一方で、なんか満ち足りない感覚が常について回る感覚があります。おそらく前に読んだ暇と退屈の違いかもしれないと思うのですが、常に退屈なのです。追われていない、やりたいことをやりたいままにする一方で、何か駆り立てて追ってくれる何かを求める気持ちが内奥にあるのかもしれないです。

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2年前、私は京橋の屋上の小屋に住んでいました。家賃は5万円、すきま風が常に吹き込み、首都高によって汚染された空気が充満する空間。踏み抜けてしまうような床、コロナで食べるものがないから屋上まで上がってきてしまったネズミたち。そんな空間で本当に売れない保険屋で、マックス借金200万円まで行った時代です。これからどうしようかなと思って、普段はタバコを吸わないのにピースを買って、排気ガスをより汚染された空気に換えて、肺に送り込んで。死のうかなとも思うけど、死なないためにとりあえず近所のおばあちゃんがくれたリンゴを食べる。そんな日々を送っていました。

そんな生活を経て、いまは松戸の家賃3万円の家で暮らしています。いまも営業の仕事をしていますが、年に1‐2件取引を成立させれば、他の時間はなにをしてもいいので、出会う人の仕事を手伝ったり、飲みに行ったり、面白い企画をしたり、ある種会社のヒモをやらせてもらっている生活をしています。借金も完済したし、週に5回朝だけ会社に行けば、自動的に口座に生活費が振り込まれて、時間も自由。好きな時に、好きな人に会って、好きなことをする。何も不満はないです。ただ何か渇いている感じはするのです。ひりつく感覚がない。そんな感覚があります。

それは言ってしまえば、どんどん自分が薄い人間になっているなという不安感なのかもしれないです。現在の延長に将来の自分があるとすると、将来の自分は大した人間になっていないだろうという不安。保険屋時代まではその不安を解消する処方箋として、「自分が嫌だと思う選択をする」ということを繰り返してきた人生だった気がします。やりたいことを仕事にしようというのが今の流行りだと思うのですが、真逆の生き方をしてきました。結果、やりたくなかったことが、やりたいことになったし、どんなところにも意味を見出したり、耐える力がついてしまったのかもしれないです。

そんな不安感を求める本質、そして不安への耐性が、退屈の本質なのかもしれないです。

そんなこんなで不安を求める私の2023年、27歳になったタイミングでとりあえず不動産を購入しました。自身が不動産の仕事をしており、正社員で借りれるうちに借りたいなという気持ちもあいまって、とりあえず借金800万円の男になりました。返せるかなという不安も多少ありつつ、200万円も半年で返したし、今回は収益物件を担保にしているので気持ち的な余裕はあります。

思うことをつらつら書いただけでしたが、「関係する全ての人が生きやすい世の中にする」という人生のテーマを全うするために、もっと私自身がチャレンジして苦しみたいなと決意させてくれる、刺激をいただいた読書体験でした。

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