失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『「がんになって良かった」と言いたい』(山口雄也+木内岳志、2020)

昨年の東洋経済の記事で知って衝撃をうけました。

toyokeizai.net

 

「生きるからには、誰もが生きやすい世の中になるように、日々誰かに良い影響を与えるために時間使っていきたい」という私の人生テーマは、山口雅也さんのブログやこの本をきっかけに明瞭化したというか自分のなかでことばになったと感じております。

 

山口雅也さんのブログ

fight.hatenablog.jp

yoshinashigoto.hatenablog.jp

 

 

 

記事をたまたま見つけたのは2022年の10月末頃だと当時は結構病んでいて、保険が売れなすぎて収入もなくて、借金を重ねて「こんだけ借りたらいくら借りても構わんでしょ」的な自暴自棄思考に陥ってました。そしてもう1段階マイナス方向に落ち込む原因として、健康診断きっかけで縦隔に腫瘍があることが見つかりました。

 

このときの感情を整理するには前段として私の思想というか、過去から続く考え方の枠を語らねばなと思います。

自分のなかで「私は若いうちに亡くなるだろうな」という確信というか思い込みというか、そんな感覚がありました。

これを説明するのは難しいんですが、中井貴一さんのエピソードを聞いて、全く同じだなと思いました。中井貴一さんのお父さんは佐田啓二さんで、当時のトップスターだったわけですが、37歳のときに交通事故で亡くなりました。当時の中井貴一さんは3歳だったそうです。その後、中井貴一さんも俳優の道に進み、輝かしいスター街道を同じく進んでいくわけですが、心の奥底で「父の年齢を超えて生きることはないだろう」という感覚がずっとあったそうです。周囲の人は当然に「そんなことないよ」というのですが、自身が37歳を超えるまでその不安・確信は消えなかったそうです。

このエピソードは神田伯山のラジオで聴いた話なので、合っているかは定かではないですが、ともかく私も同じ感覚だなと思ったのです。私も小学生の頃に36歳の母を亡くしていて似たような感覚があったのです。

私はその感覚に加えて自分のことを天才で人とは違う人間だと思っていたので、いわゆる27クラブ思想というか、カート・ゴバーンたちのように27歳くらいで死ぬだろうなという確信がありました。

 

そんな考えがあったなかで、25歳にして縦隔に腫瘍が見つかったのです。心臓の上あたりのスペースに腫瘍があったのです。

「ついに来たか」と思う一方で、精密検査の結果を待つ合間にめちゃ怖いなと思って調べていくなかでこの山口さんのブログに出会ったのです。結果として私の恐怖心はピークに達し、死ぬ前に会っておきたい人には会っておこうと思い、色々な人に会って謝るべきことや伝えるべき感謝を口に出してきました。

 

結論として私の主要は先天性嚢胞というもので、恐らく良性腫瘍だろうという判断になりました。CTのデータで中に水しか入っておらず、肉が詰まっていないことが根拠だそうです。だだし最終的には切って出してみないとわからないそうで、切り出すためには肋骨を1‐2本切らないと出せないそうで、経過観察に落ち着きました。

 

私は保険営業の経験とこのガン疑惑に本当に感謝していて、そこから自分のなかの毒気というか歪みが矯正されたなと感じるのです。嘘つきでなくなったというか、人に好かれるためには価値ある自分でなければいけないという焦りがなくなったというか。

 

山口さんのブログはそんな人生の過渡期に出会ったもので、その前後で過去に人生で出会った人たちに本音で向き合うなかで教えてもらったなと感じるのです。