最近、どんどんドラマや映画を見られなくなっているように感じます。村上春樹の名言と認識している言葉で、「時のふるいにかけられていないものに目を通す暇はない」みたいな言葉があった気がしたのですが、そんな感覚で「出来の悪い造り物を摂取しても、何も心が動かないな」とすごい感じるのです。もっというとゲームはよりできなくなってしまっていて、けがで入院しているときにあんなにハマって好きだった『サクラ大戦』の新作がPS4で出た時も2話くらいでできなくなってしまたし、メンヘラ期に癒されていた『どうぶつの森』も、大学に行けなかった1年生の一年間ずっと引きこもってやっていた『風来のシレン』もできなくなってしまったのです。ドラマも映画もみられなくて、でも話を合わせるために概要だけ情報として摂取して、俳優の名前もなんとなく認識して、世に出て会話しています。私は高校生から田舎の大学で引きこもっていたので、綾瀬はるかと長澤まさみ以降の女優の顔が浮かばないので、広瀬すずとか有村架純も顔は浮かばないけど、タイプの女優を聴かれた時の候補として持っています。本当は安室奈美恵さんとか大竹しのぶさんとかは歌手や女優として好きだけど、合コンでは盛り上がらないので。
話がだいぶ思いつくままに逸れたのですが、最近”創りもの”過ぎるフィクションを食べられなくなってしまいました。特にストーリー性のあるものかつ出来の悪い、小説・映画・ドラマが観られません。だって現実で相対する人や現実で起こること、そして現実の自分に起こることの方が、何十倍も何百倍も面白いからです。やっぱり営業の現場で本音の悩みを聞いて解決する方が、変数も無数だし、想像がつかないし、取返しもつかないし、でもなんとかなるし、そして成果も現実として受け取れるし、面白いのです。現実に相対する人間を知ることの面白さ、人間を説得する面白さ、人間と共に何かを成す面白さ、創り物は全部がその面白さを超えてこないのです。フィクションは、想定の範囲内に収まるし、想定の感情の振れ幅以上の何かを生まないのです。
そんな不感症的な症状が最近続いており、「これは単に感性の老いなのでは?まずいのでは?」という危機感が芽生え、難読書かつ名著と呼ばれる『ユリシーズ』を読もうと決めました。その前段としていま『オデュッセイア』を読んでいます。
『オデュッセイア』は”時のふるい”理論でいうと、最も長く伝わってきているストーリーであって、もとは吟遊詩人たちが口伝で伝えてきた経緯があるため、ストーリーの余分な部分がそがれていき、音もきれいになっていっていると思われます。結果、翻訳版の日本語で読んでも美しい情景描写に感動するし、登場人物たちの生々しさが素晴らしいです。”生々しさ”というと曖昧な言葉なんですが、登場人物に対して、いまここで本を手に取る読者である私たちと、全く同じ感覚・情報量で話が進んでいくのがすごいです。読者が勝手に補って理解をする中で、その人物に対する没入感を深めていくのです。オデュッセウスという英雄の消息を現在進行形で追うのではないのです。失踪後の時間を時間軸に据え、オデュッセウスの息子であるテレマコスが、過去を知る人たちのもとを訪れ、話を聴くなかで、父の過去を知っていく。オデュッセウスの物語であると同時にテレマコスの物語でもあり、故郷に置いてきた母、そこに群がる求婚者たち、登場するすべての人物の群像劇であるのです。個の感情を、登場人物の言葉でしか書かず、著者や第三者的な視点で詳しく解説しない。鮮やかな情景描写で、読者の視点を俯瞰に持っていって、スムーズに場面転換をさせつつ、読者自身にいったん感情移入させて考えさせる。現代を生きる私たちと古代ギリシアの彼らは全く異なる文化や考え方の枠組みを持つはずですが、いまでも語り継がれるのは、読者の根源の素朴な言明しがたい感情にアクセスし、感情移入というか自分で自分の心を動かさせる仕組みにあるのだなと気づかされました。ストーリーが読者に語りすぎず、語らなすぎず、読者自身にゆだねる。どうしても話し過ぎてしまうのですが、「大切なことは自分に言わせる」という営業の基本を思い出しました。
読み進めながら、日本の似た話でいうと『平家物語』を思い出していました。平家物語も吟遊詩人に語られながら、余分な箇所をそぎ落とし、表現が際立っていった作品です。
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
良いフィクション・創り物は、語りすぎず読者にゆだねるのですね。
最近のフィクションに対する不感症かと心配していましたが、意外とまだ心はピュアなようで安心しました。
そういえば思い返すと、『失われた時を求めて』を読んだ時も感動したし、このブログで書いたようなものたちに最近でも心動かされてきました。小学校で『夏草の賦』や『幕末新選組』を読んだときの感動、中学校で『豊穣の海』・『金色夜叉』を読んだ感動、高校で『死に至る病』を読んだ感動、大学で観た芝居の感動……『子午線の祀り』『フリック』『椿姫』……。過去の当時の感動をたまに引き出しから取り出して大事に撫でながら、新しい感動も宝物として大切にとっておきたいものです。
後記(上記で触れたものの備忘録や最近気になっているもの)
【小説】
…長宗我部家の物語。変わった人だけど感情移入できる男だったな。また死後の子の描写があっけなくて、それもまた良い。
…永倉新八視点の物語。なんか小学生から見て、人間味あるしかっこよかったな。周りの人たちも色々抱えててなやんでて
…私を文学少年に突き落とした小説。話も良いけど、冒頭の三が日の閑散とした街角の描写や、続金色夜叉のラストの血の花の描写や、続続金色夜叉の電車の感情描写や、ほんと好き。
…これも私をゆがめたものの一つかもしれない。カートコバーンも重なって、27歳で死ぬと思って生き急いでしまったけど、もうすぐ28歳になってしまう。しっかりしないと。
…闇カネコを救ってくれたのはこの本でした。絶望のなかで人は生きるのだと、絶望を乗り越えるのは信仰であると。世界の原理を知りたくて、自然科学や哲学に向け、変な方向に行ったけど、お陰で大学にもいけた高校時代でした。
失われた時を求めて 1~第一篇「スワン家のほうへI」~ (光文社古典新訳文庫)
…最高。長くて辛いけど読んでよかった。
【舞台】
…最後、なんかずっと劇場に居たいなと思った。『平家物語』をもとにした舞台ですが、演出もシンプルでずっと眠くはなります。でも身体を貫く子午線が、時空を飛ばして、つまらない歴史を全部みせ、最後のナレーションで現実に戻すような。「これが人間だぞ」と教えてもらったような気がします。
…これのMET・ソニアヨンチェヴァ版を東銀座の松竹の映画館でライブビューイングで観ました。オペラ好きになったきっかけです。
…これもほんとうによかったな。つまらない日常、ちょっとした事件。「こういうことってあるよね」といういたたまれなさを、執拗に追いかけていくような。ソニンのこと好きになったな。
【ゲーム】
不思議のダンジョン 風来のシレン5 plus フォーチュンタワーと運命のダイス - PSVita
…まじで大学つまらなすぎて、好きな講義だけ出て、他はずっとこれをやって、夜中はずっとバイトみたいな生活をしていました。大学2年生くらいから、勉強が面白くなって、やらなくなったな。
サクラ大戦 紐育星組ショウ2014 ~お楽しみはこれからだ~
…高校でけがして入院しているときにずっとゲームにハマってて、これきっかけで舞台にも興味を持ちました。楽しかったな。私はニューヨークが好きで、舞台も全部観ました。いまはたぶん配信とかでも観られるだろうし、久しぶりに観ようかな。
…風来のシレンと同時期にずっとやってました。あんな自然と良い友達のいる街に住みたいものです。
【最近、気になっているもの】
ユリシーズ 文庫版 全4巻完結セット (集英社文庫ヘリテージ)
…頑張って読みます。めちゃ楽しみ。
『稲村ジェーン』
…永野さんの動画(【天才桑田佳祐】30年ぶりに観た稲村ジェーンは青春映画の傑作!早すぎた奇跡の名作だった! - YouTube)を観てから