失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『テレフォン人生相談――心の仮面をはずそう――』(加藤諦三、2022)

いま家賃三万円の我が家は足場を組んで外壁修繕工事をしており、タダでさえ日光の供給の少ない梅雨時により一層陰鬱の影を落とし、週末に布団が干せない苛立ちが身を焦がします。立ち上がってネットワークビジネスのごつい浄水器から出てくる水を飲み、金曜日の記憶をたどると、通称海老蔵ビルにて初めてラウンジと呼ばれるところに連れていってもらった際の、反省の念・後悔の念が蘇ってきました。根の暗さから多めに酒を煽り、営業マンのペルソナスイッチをなんとか入れるものの、緊張からあまり面白い軽いトークもできませんでした。顔の好みと話しやすい真面目そうな人を指名でつけて、チェンジの度に発生するアイスブレイクとラポール形成の負担を軽減しつつ、人生相談したりされたり、保険屋時代の言葉でいうと「Fact Finding」をして深い話をする気持ちの悪い飲み方をしていました。そんな後悔や苛立ちに苛まれる気持ちを解消するべく、ちょっと前に読んだ本を思い出し、記事を書くことにしました。

『マルチの子』(西尾潤、2021) - 失われた時を求めて

社会学者であり、ニッポン放送の人気ラジオ番組である『テレフォン人生相談』のパーソナリティでもある加藤諦三が、ラジオ内の相談を書籍の形でまとめたものです。テーマは「心の仮面」で、寄せられる相談は「心の仮面」を被った相談であることが多く、その本質にある自分自身の無意識の課題に向き合うことの大切さや方法論をまとめたものです。

例えば、下記のような相談と分析・回答があります。

不安で悩んでいる40代の女性から10代の長男について相談がありました。

長男は性格が真面目で、成績が良くて明るいそう。家では物静かでたまに落ち込んでいる様子。自室で時々めそめそしている、という相談でした。

「長男は、よく悔んだりしています」と母である相談者は言います。クラスの役員をしていて「みんなが協力してくれない」と悩んでいると言うのです。しかしそれを、クラスの友人の母親に言うと、彼は社交的で「彼が落ち込むなんて考えられない」と言っているそうです。

実は相談者が息子について言っていることは、相談者自身のことなのです。

……中略……

相談者はさらに言います。「主人には何も言いません。諦めています」と。

実は問題は、「相談者がご主人に不満」があることが源流なのでした。その不満を息子に置き換えているわけです。

私がそれを指摘すると「やっぱりそうなのですか?」と認めました。

夫への不満が、息子の話に変装していることに気付いてくれました。夫への不満を認めることで、この相談者は不安から立ち直ることができるのです。

「人の感情は変装して表れる。本質は仮面をかぶって表れる。」

これをテーマに様々な事例を扱っております。その処方箋としての対処の方法は「打ち明ける能力を持つこと」であり、その方法の一つとして、日記などで自分の気持ちを書き、本当の自分の気持ちを知ることだとおっしゃっていました。

読み終えて「なるほど」と腑に落ちることが多く、自分の過去を振り返って考えていました。

何度もブログには書いている気がしますが、私はカールマルクスになりたくて学者を目指して世界を変えたいと思っていましたが、身の回りの人に影響したいなと思い営業マンになりました。なぜカールマルクスになりたかったのかというと、「生きにくい世の中」を変えたいと思っていたからでしたが、歳を重ねた自分だと気づくのは「生きにくい自分」を変えたいからだなということです。そうすると「なんで自分は生きにくいのだろう?」という話になってくるのですが、この本のテーマでもある「心の仮面」が原因なのだとあるとき気づきました。その「心の仮面」は、色々な要素があるとは思うのですが、あえてシンプルに言語化すると「長男だからしっかりしなくては、甘えてはならない」というものなのかなと自己分析しています。小3で母が亡くなり、多少無理して生きていく中で、生きやすい仮面として無意識に形成されていったのかなと思います。

そんな「心の仮面」を剝いでいく作業は、保険の営業マンをやっていたときに行われていった気がします。個人事業主として完全歩合で保険の仕事をするなかで、本当に売れないしどうしようと考えていくなかで、「人間はなぜものを買うのか?何を求めるのか?」を突き詰めていくなかで、「そもそも自分は何を考え、何を思うのか?」ということを、仮面なしの噓偽りない言葉で見つめていくことができたのだと思います。新卒のときに「営業マンなら、自分がどんなときに何を思うかを知らないと、人にモノを売ることはできないよ」という指導を受けたことを思い出しますが、まさにその通りで、自分が一番わかっているはずの自分の気持ちというものについて、何もわかっていないのが人間であり、それを乗り越えるなかで成長していくのかなと思います。

読書あるいはブログやモノを書く行為というものは、突き詰めると自分との対話であるのかもしれないです。梅雨の苛立ちやラウンジでの反省を浄化し、また新たな週を生きていこうと思います。