失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『熔ける』(井川意高、2017)

暑さで溶けそうになりながらやYou Tubeを見て、週末の昼間の時間を無為に溶かす。やっと外に出ても良いかなと思える夜、溶かした色々を取り返そうと思って盛り場に繰り出す。お金と記憶を溶かして、また月曜日を迎えるわけです。

You Tubeを見ているときに、街録チャンネルでみてファンになって書籍も購入しました。

"熔ける"

ギャンブルによって身の破滅を招いた元大王製紙会長の井川さんの自伝エッセイです。ギャンブル狂いというイメージは、愚かさと直結するイメージです。しかし井川さんに対しては真反対のインテリジェンスを感じます。東大法学部、ビジネスに対する徹底的に理知的なストイックさ、深く鋭い自己認識、全ての要素が愚かさと対極に位置するように思われます。

仕事のストイックさは文書のいたるところに現れており、数字に対する論理的分析への徹底的な拘り・緻密さは、数々のエピソードに現れているように思えます。製紙業というビジネスは、何百億円の設備投資を伴い回収までに何十年かかるビジネスです。そのために現場や流通網を徹底的に洗い出し一円でもコストをカットする。その一方で利益は数円の世界ですので、一円でも高く売る・一つでも多くの数を売るために、徹底的に考え抜くのです。ただの創業家の息子というだけでなく。連結決算で売上6000億円、利益300億円の企業群を束ねを舵取りしていく、生き様を垣間見た気がします。

その一方での病的なギャンブル狂いですが、強迫気質によるものであると述べています。

企業の経営者として常に強いプレッシャーにさらされながら、物事を突き詰めて考える。絶対に失敗してはならないという強迫観念にとらわれ、いつも緊張にさらされている。仕事が終われば毎晩のように六本木や西麻布の街で酒を飲み、カジノでは身を滅ぼすところまでギャンブルにのめりこんでしまう。

カジノのテーブルについた瞬間、私の脳内には、アドレナリンとドーパミンが噴出する。勝ったときの高揚感もさることながら、負けたときのくやしさと、次の瞬間に湧きたってくる「次は勝ってやる」という闘争心がまた妙な快楽を生む。だから、勝っても負けてもやめられないのだ。地獄の釜が開いた瀬戸際で味わう、ジリジリと焼け焦げるような感覚がたまらない。このヒリヒリ感がギャンブルの本当の恐ろしさなのだと思う。

とても他人事とは思えない内容でした。特にお酒に関する記載は、アルコール依存症気味の私にとってすれば、まさにその通りでいつも「寝るまで飲みたい」と思っています。セーブはできていると自認していますが、普通はその感情しか起きないのかもしれないです。ギャンブルは全く興味がないのですが、それは無責任な雇われの営業マンという仕事で解消されている気がします。ギャンブルとは不確実性に対する人間の根源的な欲求だと思っています。これは『サピエンス全史』や『スマホ脳』・『ドーパミン中毒』などの数年前の話題の図書からの知識で納得した考え方です。

「あっちにいったら新しい食べ物があるのではないか」

「あの茂みがガサガサしていて怖いけど、エサとなる動物が出るのではないか」

そんな多動的・集中力散漫的な本能が連続強化されて、またエサが出るのではないかというパチンコ実験のサルのように、出るか出ないかという依存につながっていくのかなと思います。ともあれ本源的には”不確実性への焦がれ”が、人間にはあるのではないかなと思うのです。そう考えたときに営業というのは不確実性の集合体で、電話を掛けたら罵倒されるかもしれないしアポが入るかもしれない、アポが入ったけど何か面白い案件が出るかもしれないし仕事にならないかもしれない、こういった不確実性への根源的な楽しさに対して、仮説を立てて実行して上手くいったりいかなかったりするのが、何より楽しいのです。恋愛も一緒ですが、ギャンブル狂い的な”不確実性への焦がれ”に加えて、何より”人の感情”というものに興味があるし、好きなんだと思います。お金を増やすより、人の満足度や感謝・好意といったものにアプローチしコントロールするのが好きなのかなと思います。昔は「趣味は営業」と半分ネタで話していましたが、最近思うのは「趣味はラポール形成」なんじゃないかなと思います。書いてて気持ちの悪い人間だなと思うのですが、この趣味おかげでギャンブルで身を破滅することなく居られているので良しとしましょう。

【関連記事など】

『スマホ脳』(アンデシュ・ハクセン、2019) - 失われた時を求めて

『ドーパミン中毒』(アンナ・レンブケ、2022) - 失われた時を求めて

パブロフの犬・サルを完全に破壊する実験 | パチンコ依存症解決センター

本の話に戻ると、井川さんは大王製紙の会長解任・逮捕ののち、友情の大切さを学んだと語っていたのが印象的でした。

大王製紙創業者の祖父・伊勢吉は、一度会社を倒産させて苦労した。かつて祖父がよく語っていた言葉がある。

「10人の味方をつくるよりも1人の敵をつくるな」
それはそのとおりだろう。味方は困ったときには助けてくれる。自分のもとへ駆けつけてくれる。自分のもとへ駆けつけてくれる。敵は四六時中足を引っ張ろうとする。 1人の敵をつくらないことが重要なのだ。 そして、敵をつくらないようにする努力は味方を増やすことにもなるのだ。私のまわりには、これまでの人生でつながりを深めた人々がいる。そうした人たちと一緒に、第二の人生を歩めばいい。
そして何より、最後に助けてくれるのはやはり友人だ。 そのことを私は今回の事件でしみじみと感じた。

確かに私も保険屋での経験を経て同じようなことを思いました。人の信用がすべてだ。そんな素朴な気づきではありますが、何か大きな失敗をしたり大きなものを失った人は、シンプルで大切なことに目が行くのかもしれないです。

関係する全ての人が生きやすい世の中にする

そんな2023年のテーマをもとに、頑張って生きて「いこうと思います。

『堕落論』(坂口安吾、1946) - 失われた時を求めて