失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『桜の樹の下には』(梶井基次郎、1972)

2022年11月、母方の祖父の葬儀がありました。今生の別れというものはいくら経験しても慣れませんが、葬儀自体はとても良い葬儀でした。そのことは日を改めて書き記そうとは思うのですが、様々な感情の起伏があり陰のモードというか闇のモードというか、文学少年カネコが表にしゃしゃり出てくる一週間でした。

 

この短い小説を読むと思いだすというより、人の生き死にを考えて行き詰まると、産みの母の親族が眠る駒込の染井霊園に行きたくなるし、反対に桜の名所である墓地として有名である染井霊園に来ると、『桜の樹の下には』を思い出すといったほうが正しいのかもしれないです。

今回は葬儀の裏で父と母がケンカをしてて、葬儀の晩は母が寝静まるまで田舎のスナックで飲み過ぎました。

ケンカの原因は父が完全に悪くて「仕事が忙しかったら葬式は来なくてもいいからな」といったことを私や弟に言ったことがきっかけです。私の家庭はやや複雑で、母とは生物学上の血は繋がってないので、そのあたりに間違った気をつかったのだと思います。私は母も祖父も好きだから当然行きますよ。想像してほしいんですが、私の勤務先は親族の葬式すら休めないほど業務が属人化されたショボイ会社ではないですし、仮に行かないような冷たい人間だったら「ごめん!トラブル重なっちゃって土曜日の葬儀だけいくよ」くらいに私が悪者になる断り方をしますし、損得だけで考えても行きますよ。

 

何はともあれ、今回書きたいのは夫婦喧嘩で冷戦状態が続いている中で葬儀を終え、葬儀の終わった晩に父と飯能の居酒屋やガールズバーやスナックで母が寝静まる夜更けまで飲んだよということです。

祖父の人生は寅さんの人生のようで書き残したいという気持ちはあるんですが、今回は単に、私が歳をとったのと同様に父も歳をとったなということと、長生きしないとなと思ったという話で。飲みすぎるとBADに入るというか、色々沈んでた澱みが上に来てしまいますね。

 

かつて産みの母が亡くなってから、私も父も兄弟も、ある種強がってたというかなんとか立ち直った状態を世間に示して生きてきた訳です。悲壮感漂う人間は、世間に気を遣えとアピールしているようなもんで、良くないなという感覚があったのです。皆が皆、ちょっとだけ無理するというか、そんな家庭だったように思います。論理では3人兄弟で父も大変だし再婚する方がいいのもわかってたし、そんな難しい年頃の子供が3人もいる家庭に来てくれるいまの母にも感謝してるし、でも心の奥底の得も言われぬ嫌悪感もあって。産みの母が亡くなったのは2005年で十七回忌という一般の人がやるには珍しい法事も終わったし、2017年産みの母の両親である祖父母も亡くなり、一昨年は父の母である祖母も亡くなり、昨年は母の父である祖父が亡くなり、その間に私は中学から高校を経て、大学に入って成人して、仕事を始め、独立して失敗して、色々あったなと次々と浮かんできて。

 

私が言葉にしていないのと同様に、父もそんなことは話さない訳ですが

「みんな居なくなってしまったな」

「あとは一番下のチビだけだな」

「お前の母さんはあんなに早く亡くなって幸せだったのかな、なんかもっとやってあげられなかったのかなって思うんだよね」

なんて言い始めて。

父という存在は何か特別な存在であるという感覚が幼心にはあるわけで、やがてどこかのタイミングでそんな父も同じ人間なんだななんて改めて思います。今回ふと、父ははじめから父親だったわけではなくて、子ができて気付いたら父になって、色々大変なことを乗り越えて、来年には還暦を迎えるんだななんて、感情を追体験するように具体性を伴って迫ってきて。父は、母である祖母が亡くなる前後で、地元に家を買い直して引っ越したり、戸籍を取り寄せて家系図を作ったり、昔のドラマを観始めたり、歳をとったなと感じることが増えました。

 

なんか私含めみんな歳をとったなと思うし、絶対に父よりは長生きしないとなと決めた夜でした。