失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『街の幸福』(小川未明、1929)

不動産会社というのは10月から3月頃が忙しく、決算対策で不動産を売り買いしたいというニーズが高まり、"不動"産が動きに動き、てんてこ舞いとなる。そんな3月が終わると、会社決算を出す経理的な処理の部署は忙しなるが、営業部署はGW明けまでは閑古鳥が鳴き、春の陽気を楽しみながら挨拶回りを始める。そんなこんなでずっと暇だったのですが、最近俄に不動産が動き出し、とにかく忙しい。仕事が忙しいので、ブログもこってりした深みに沈んでいく記事より、あっさりした幸せな記事を書きたい。

 

そんなことを思いながら、青空文庫の短編を探していると、短く染みる一作を見つけました。

『街の幸福』、盲目の父と少年の物語です。

「やがて、街には、燈火が、花のように輝やいて、頭の上の空は、紫色に匂い、星の光があちら、こちらと、ちりばめた宝石の飾りのようにきらめきはじめる」

父はバイオリンを引き、少年は歌う。チップをくれる人も疎らのなか、皆は「幸福なすみか」に帰る。食い扶持を稼がねばならないが、うまくいかない日もある。そんななかで美しい娘がお金をくれました。いつも遠くのタバコ屋から見守っている娘で、観客がいないときでも必ずお金を渡しにやってきました。そんな日々を過ごしていると、あるとき二人に、新聞記者が目をつけ記事となり、みるみるうちにお金には困らないくらいの観客がつくようになりました。しかし、その娘と会うことは、二度とありませんでした。

20年経ち、父は亡くなり、少年も工場で事故にあい障害を負いました。再び歌いに街頭に立ち、「ここに立った日の幸福」を思い返す。

 

チャップリンの『街の灯』の最後のシーンを思い出します。真っ当に暮らし美しい女性、貧しく醜い自分。そんな二人を隔てる懸隔は埋まることはないのだけれど、特殊な磁場が気まぐれに引き寄せる。気まぐれがまた起きて、二人を結ぼつけてくれるような希望は脳裏に浮かぶ。しかしガラスが二人を隔てている現実世界の風景は、そんな希望を打ち砕く。ただ彼女の美しさを美しいと感じる自分の心だけで幸せだったはずが、彼女に一度向けられた慈しみが、もっと彼女に近づきたいと欲求させる。

 

世の中は競争社会で、もっと大きな幸せを勝ち取らないといけないような気になってきます。ただ思うに、日々のなかで出会う美しいものを、自分の心が素直に美しいと感じられるだけで幸福なんだと。すっかりビジネスマンに染まった私から、演劇青年の魂を呼び戻してくれる、そんな小説でした。

 

青空文庫

『街の幸福』(小川未明、1929)

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『餅』(岡本かの子、1933)

いくつかネタは温めているものの、重たくなってしまい貯めております。新たなネタ・気付きを得るために、青空文庫を漁っていると、目にとまったこの本に手を取りました。

 

正月、新婚の夫婦の会話をモチーフにした短い小説です。女中もおらず、新年の来客もないなかで、おかってで雑煮を作る妻、茶の間の七輪で餅を焼く旦那。そんな他愛もない会話の中で、旦那は妻に惚れた理由を述べる。短いながらも味わい深いそんな小説です。

 

「お前の生焼けの餅に妙に愛感を持たされてしまったんだ」

 

旦那は餅を焼きながら、初めて妻の実家で正月料理をご馳走担った際に、料理に馴れない妻に心惹かれたというエピソードをおもむろに語るのです。

 

自分しか気付けないその人の一面を、魅力として感じたとき、その人を愛するということであり、その人を愛せる自分を好きになる。

 

最近はいつも適当な軽口を叩いてばかりですが、この小説のように、鋭くエモいトークをしたいものです。

 

青空文庫『餅』

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『高瀬舟』(森鷗外、1916)

青空文庫を見ていると、非常に懐かしいタイトルをみつけ、思わず手にとってしまいました。それが森鷗外の『高瀬舟』で、小学生の頃に読んだことを思い出しました。中学受験や大学受験というのは、よく出る作家というのが決まっており、森鷗外は中学受験のよく出る作家であったと教わった記憶があります。そんななかで小学5-6年生の頃に読んだ記憶があります。

 

読み返すことはなかった本であったので、なんとなくのストーリーと"安楽死"をテーマにした作品であるとは覚えていましたが、それ以外にも幸福度の感じ方の違いについて、高瀬舟を漕ぐ役人と罪人との間で語る作品となっていました。

 

どちらかというとこの本を読んだ感想よりも、中学受験の勉強をしていたときのことを思い出します。Nのマークで有名な塾に通っていましたが、遊ぶ時間の許されず、カビ臭い校舎で貴重な放課後を潰される退屈な日々であったと記憶しています。しかしただ唯一、国語の授業だけは大好きでした。純粋に文章を読むのが好きで、これをしてるだけで評価される世界と思っていました。そんな国語のなかでも、ちょっと古風な文章が好きで、森鷗外夏目漱石遠藤周作など、純文学とカテゴライズされるようなものを好んでいました。

そんな私のもう一つの楽しみは、先生からシールをもらうことでした。ちゃんと真面目に授業を聞いて、鋭い視覚から質問をすると、先生は褒めてくれて、自作のキャラクターを印刷したシールをくれました。"イナセン"と呼ばれるその先生がくれるキャラクターはモグラがひげを生やし、仙人のような格好をしていた気がします。そのシールをどうしてたかは全く覚えていないのですが、森羅万象チョコのようなカラフルで光沢のあるシールで、とても嬉しかったのを思い出しました。そのシールをどうしていたかは、全く覚えてないのですが、ひとつしたの弟に自慢していたような気がします。

 

当時は文章を読んで考えるのが好きで、"イナセン"はシールをくれるだけの人だと思っていた気がします。ただ今から思い返すと、『高瀬舟』・『こころ』・『沈黙』といった難しい人間心理ぶつかって、訳分からないと思ってもいました。そんなときに、様々な角度から問いかけ、考えさせてくれたのは、"イナセン"だった気がします。

 

人生にずっと"イナセン"は並走してくれなません。自分自身が、難しい問いにぶつかった時には、問いかけてくれる人を持つことが、課題解決に繋がる可能性があると思います。"イナセン"はいまもげんきかなぁ…

 

『青天の霹靂』(劇団ひとり、2013)

劇団ひとりさんの小説。私はお笑いが好きで、劇団ひとりさんは昔からファンで『陰日向に咲く』も小学生のときに読んだ記憶があります。2作目が出てたことは全く知らなかったのですが、太田上田劇団ひとりさんがゲストに出ている放送回があり、そこで本作の話が上がり、2‐3年前に映画で観たのがはじめの出会いです。曰く「全く売れず、映画もコケた」とのことでしたが、映画も面白く、『陰日向に咲く』『浅草キッド』とともに楽しんで視聴しました。先日、書籍版を始めて手に取り、読み終えた次第です。

本作は『バックトゥザフューチャー』のような話で、売れないマジシャンの主人公が、親父の死に目に会えないなかで思いを馳せていると、雷に打たれ、父の生きた時代に戻ります。そんななかで浅草の劇場に拾われ、マジシャンとして活動するなかで、死ぬ前に聞けなかった親父の想いや、会ったことのない母のことを知るという話です。 とてもダサい主人公で「いつからかな、自分が特別だとおもわなくなったのは」という独白から始まり、売れないマジシャンの嫉妬、意気地のない失恋、そして親と和解できず孝行できずに父との死別、躓きに躓いた人生です。そんななかで過去へのトラベルから、父と向き合っていけるようになります。

 

私がいつも思うのは、「父や母と上手くいってない人は、仕事も恋愛も、人生上手くいかない」という説です。昔あるバーで、飲みつぶれていた30代後半くらいの女性と話していて、色々失恋した話とか仕事の愚痴とかを聞いておりました。「そうですうよね」「ヒドイですね」みたいに相槌を打ちつつ、彼女が帰ったあとマスターが「父親と上手くいってない女は、男と良い関係が築けないのよ」と言っていたのが、この説との出会いです。確かに考えてみるとそうだなと印象に残っていたのですが、何年か後に生命保険の営業をやっていた際に、この説に確信を覚えることとなりました。企業の経営者や上司の話でも似たようなエピソードを聞くことが多かったです。厳しい父に育てられたり、アル中親父で暴力を受けていた人も、親父の死に直面したり、起業して苦しい時期を経験すると、父について、或いは自分の父に対する向き合い方について、思考を巡らせます。結果、実際に和解したかは別として、心理的に父を受け入れるようになっていくのです。結局「親父も人間だよな」というところと「この人がいなかったらいまの自分ってないよな」という論理的なところから雪解けが始まり、自分が父親あるいは経営者になったり、自分で自分の人生を変えたい・コントロールしたいとなったときに、自分を縛る許せない"父"という幻影と向き合い、自分のルーツを考え、そして心理的に和解していくのです。過去は変えられないが、過去への意味付け変えることができる。

 

かくいう私も父親と上手くいってなかったというか、あんまり受け入れられてなかったのですが、保険の仕事で父や家族と向き合ったことで、長かった反抗期を終えて、今があると思ってます。父も幼い頃に父親を亡くしていたり、働き盛りで妻を亡くして朝まで働いて食わしてもらってたこと、そして最近母を亡くしたこと。そんなときの感情を聞くと、今までの私の向き合い方って何だったんだろうとまずは論理で氷解していきました。私の祖母にあたる母が亡くなった際、「ひとりになっちゃったな」と呟いた父、月10万円以上保険に付き合ってもらって辞める話をした際「お前が元気ならなんでもいいよ」と言った父。保険屋を辞める際に、やっと感情でも和解したというか許せた気がします。「過去は変えられないが、過去への意味付け変えることができる。」と保険屋時代の先輩から教わりましたが、この経験はまさにその教えを実践したものだと思っております。

 

高利貸になって"金色夜叉"になろうと思っていた私でしたが、まさに"青天の霹靂"、奇しくも仕事を通して父と相対した記憶が蘇ってきました。今年も母の日に、父が好きそうな食べものを贈ろうと思います。

 

 

『習慣超大全』(BJ・フォッグ、2021)

きょうも出張で鹿児島に来ております。連日の会食や面談・研修により、夜になっても営業マンスイッチが入ったままで、ブログを書くような文学部的な感情がなかなか起きないものです。そんななかで、仕事中に習慣の話になりまして、昔読んだビジネス本を思い出しました。
『習慣超大全』、この本との出会いは中央線の中吊り広告で、Kindleで購入して八王子に至る電車で読んでいた記憶です。この本を読んだときは、どちらかというと自分の考えとの答え合わせというか、なんとなく使っていたハウツーを体系だってインストールし直したといった感覚でした。よく仕事をしていると「習慣が大事だ」と教わりますし、ユダヤ人の教えを引用したご指導を賜ることも多いです。そんなこともあって、「上司も読んでそうだな」と思って購入しました。

習慣の力の前段として、私は私自身を"やる気"にさせる方法を研究してまして、2つのアプローチが有効だと考えています。一つは"志"の力で、もう一つが"習慣の力"です。"志"の力とは、未来軸で自分のやりたいこと、なりたい姿を想像し、念頭に置くことで、現在の"やる気"を底上げするアプローチです。要は「俺は将来こんなかっこいい姿になりたいから、現在の苦しみに耐えるし、むしろ将来の糧になるならワクワクするぜ」くらいの感情にさせるのです。このアプローチはすごい力が働くなと感じますし、一代で会社を大きくした社長さんの話を聞いていると、そんなエピソードも多いです。しかし一方で、凡夫である私にはその力だけで乗り切るのは難しいなとも思います。天国の救済ではなく今日生きるパンが欲しい、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官の話のように、やっぱり楽に生きたいなという本能が湧き出てくるので難しいものです。そこでもう一つのアプローチである"習慣の力"を利用するのが効果的だと感じます。それは"やる気"を感じるか否かに関わらず、感情的な苦なく、自分にやらせる方法です。"やる気"に左右されず、決められた通りに自分を動かすには、行動の要素を最小単位に分割し、行動の実行に伴う小さな感情の変化を受け入れることです。私は新卒で営業会社に入社したとき、本当にテレアポが嫌いでした。それを乗り切るために、毎週月曜日に2時間テレアポのアポイントを設定し、ビッグエコーに籠もって、細分化した作業を繰り返していました。ひたすらリストの上から番号を押す、作った台本をただただ話す、アポイントを取り、週15訪問で予定を埋める。テレアポの間は考える余地を挟まないことが肝要で、考えなしに5件くらいかけると、番号を小気味良く押せた音を聞くとテンションが上がってきます。どんどんかけて、気付いたら予定を埋め終わり、最後に一曲歌って帰る。そんな習慣です。そんな習慣を実行するために、頑張ってリストを作っていました。

自分の話だけでもあれなので、本から書き写していたメモには、下記のようにまとまっていました。
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タイニーハビット
これをしたらこれをする
Ex,目を覚ましたら、今日は素晴らしいという
1、アンカーの瞬間…既に習慣になっているトリガーとする行動
2、小さい行動…身に付けたいと思う新たな習慣
3、どんな小さな成功も祝福する
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つまらないビジネスブログになってしまいましたが、私は弱い人間というか、ガンダムのように自分を操縦して、カネコという怠惰な人間がどうやったら頑張れるか、常に試行錯誤しながらやってきたように思います。

出張などが続くと、習慣を壊さずにいることが大変ですが、今日も薩摩の地で頑張っていこうと思います。