高校生の頃、私は三島由紀夫ヘッズであり、学校の図書館の旧書庫から旧字体の三島由紀夫全集を借りて読み漁り、終いには地元の古本屋で同じ全集を見つけて買ってしまった人間です。読めない旧字体を電子辞書を使って必死に調べ、読み進めたのが懐かしいです。私を文学部史学科東洋史専攻に進めることになったきっかけでもあり、ややこしい性格をした人間に仕立てあげるのにも一役買っているかと思います。
そんななかで久しぶりに手をとったのは『美しい星』という小説で、異色のSF小説です。
宇宙人の自覚を持った人間たちが、人間を守らねば、あるいは滅ぼさねばという論争を繰り広げる小説です。特に見ごたえがあるのは、両陣営が対峙し話会うシーンで、『カラマーゾフの兄弟』の大審問官のシーンのオマージュと呼ばれるやり取りです。ここでとても印象に残るのは、人間の3つの欠点と5つの美点の記述です。
3つの欠点
「事物に対する関心(ゾルゲ)」
「人間に対する関心(ゾルゲ)」
「神に対する関心(ゾルゲ)」
5つの美点
「地球なる一惑星に住める
人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきっぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾った。
彼らはよく小鳥を飼った。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑った。
ねがわくはとこしえなえなる眠りの安らかならんことを」5つの美点を翻訳すると、以下になる。
「彼らはなかなか芸術家であった。
彼らは喜悦と悲嘆に同じ象徴を用いた。
彼らは他の自由を剥奪して、それによって辛うじて自分の自由を相対的に確認した。
彼らは時間を征服しえず、その代わりにせめて時間に不忠実であろうと試みた。そして時には、彼らは虚無をしばらく自分 の息で吹き飛ばす術(すべ)を知っていた。」
やっぱりこのシーンは良いななんて思い返していました。しかもこの小説の冒頭は埼玉県飯能市の天覧山から始まります。何せ私のおばあちゃんの家は、埼玉県飯能市、天覧山の隣の山のすぐふもとで、天覧山は幼いころからの散歩コースで、リアリティを持って風景も思い浮かぶのです。いまやムーミンパークもあるような土地を舞台に、こんなやり取りがなされていたと思うと、より感慨深く思います。
この小説を読んで思い出すのは、飯能での思い出でというか、話をしたい飯能でのエピソードです。
私は個人事業主の保険屋を経て、貯金はとっくに底をつき、借金で首が回らなくなり、実家に帰っていた頃です。父はコロナ禍で役職定年になり、リモート出勤になったこともあり、地元飯能に戻っていました。つまり私の実家というか生家はもうなく、父の田舎の飯能に転がり込んだのでした。もう保険の仕事は辞めて、サラリーマンに戻ろうと画策している頃でした。そんななかで寂しかったと言いますか、田舎で暇だったので、保険屋になる前に勤めていた会社の同僚、あるいは私と同じく個人事業主で保険をやっていて同様にギブアップした人たちと連絡を取り、電話をしたり、オンラインで話したりしていました。そんななかで再会したのは元同僚でした。私より少し先輩で30代半ばの女性です。彼女は私より先に保険会社を退職しておりました。顔で言うと柏木由紀に似ていますが、もう少し親しみやすい風貌をしています。私は彼女のことがあんまり得意ではないというか、「ややこしい人だな」と思っていたので、同僚であった頃は、適度に距離を取っていました。しかし、いまの私は仕事を辞めようと思っているネタがあるし、なにより暇なので連絡を取ろうと思ったのです。
連絡を取るとやっぱりややこしいなというか、メッセージの返し刀に急に電話があり、「連絡くれて嬉しい」という挨拶もそぞろに、
「自由を勝ちとるために、あえて派遣社員という道を選んだ」
「そろそろ結婚したいから、辞めてプライベートが充実した今は幸せだ」
「良い仲間に出会って、人生が好転している」
などと、小一時間ずっと話していました。連絡をとったことを悔いました。矢継ぎ早に話すなかに、マルチ・宗教勧誘センサーといいますか、自信がないから話し過ぎてしまうが、本当は話をしたい本質について濁しており、私から質問してほしいというオーラを感じました。私は何せ暇だったので、流れに乗ってもういっちょ行こうと決めました。
「〇〇さん、なんか変わりましたよね。何かこれ以外に良いことあったんじゃないですか」
それがきっかけで、待ってましたと言わんばかりに、マルチ系の自己啓発セミナーに参加することになりました。私は自分が人に物を売る仕事をしていることもあって、素直に聞いて必要なものであれば買いますし、その営業パーソンのことが好きだったら買いますし、恩を受けて返さないとなと思うときに頼まれたら買います。財布の余力を確認しつつ、まあ初回は導入だけだろうし、気軽に行こうと思い、参加しました。時節柄オンラインでしたが。説明会に参加すると、要はよくある自己啓発で、言ってる内容は至極真っ当なんですが、料金体系や勧誘が厳ついというものでした。新興宗教も自己啓発もマルチも、小さなyesを積み重ねて、否定させずに、最後は大きな料金を払うことに同意させるというのが定石ですので。そんなこんなで説明会のあと、交流会という体で6万円くらいのオリエンテーションセミナーのクロージングが始まります。そこで会ったのが勧誘した彼女と一緒にセミナーを受講している男性で、そいつが飯能市在住でした。木梨憲武のような猿顔で、スキンヘッド。探りを入れつつ距離を詰めてきますが、
「これも運命ですね」
みたいなことを言います。私が考えるに、これはお客さん側とか口説かれてる相手から言わせないと意味のない言葉で、好感度が高くなってないと逆効果で、基本言わないほうが良い場面が多いと思ってます。そんなこんなで説明会1時間に加えて、2時間近くクロージングタイムがありました。
「ここで運命変えようよ」
柏木由紀と木梨憲武と揃って、熱を込めます。ただ私はというと、それの購入に踏み切るほど購買意欲が高まっていないし、お願いされて買うほど好感度は上がっていないし、頼まれて買うほど恩義を感じていません。そんなに熱量あるなら、もっと保険売れたんじゃないのかと思いましたし、言いましたが、最後は先方の終電でタイムアウトで躱しきりました。
やっぱり飯能市という街では、自分が宇宙人だという自覚に目覚めたり、運命が変わったと自覚したり、何か大いなる力の働く街なのかもしれないです。
飯能の”ランドマーク”であった丸広、跡地はりそな銀行と低層のスーパーとなりました。旧プリンスホテル飯能がいまやどこかのホテルに買収されたそうで、宮沢湖遊園地はムーミンパークに姿を変えています。遊びに行った祖母の家も今やもうないです。そんな飯能で、父は暮らしています。少しでもあの街が、長く元気に栄えてほしいなと思います。