失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『二十歳の原点』(高野悦子、1971)

日経新聞でこんな記事がありました。

1969年前後、学生運動時代に生き、自殺した女性の日記を書籍化したものとのことです。

「二十歳の原点」孤独な闘い 読み継がれる全共闘の青春:日本経済新聞

 

普通の大学生。

社会の不条理を許せず観念の世界で闘ったり、或いは逃げたり、酒を飲んでやさぐれたり。一方で友達に愚痴を吐いたり、バイトをしたり、恋をしたり。

「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。

観念的な世界の中で孤独であることをアイデンティティとしつつも、感情として湧き出る寂しさを自覚し、芸術や酒がそれを紛らわせる術でしかないと知りつつも享受し、観念の世界でそれを自己否定し、自らを駆り立て孤独な闘争の世界に追いやる。

 

日記であり人に見せることを前提としていない文章であるものの、その赤裸々な心の様相が私や後世の人たちの心を揺らすのかなと思う本でした。

 

私も恐らく、著者と似た種類の人間です。

孤独さと未熟さ。

常に観念的な角度から物事を思考し、最高の自分を目指して闘い続けなければならないという自負。一方でそこに至れない弱さも自覚し、逃げ方を見つけつつも罪悪感を覚える。

 

色々経て私は、根本の観念的に完全な世界を目指すカール・マルクス的な思考を改め、不条理な世界を受け入れつつ、感情的なPEACEな世界を目指すようになり、だいぶ生きやすくなった気がします。

 

高校・大学くらいまでは、闘わずして不条理な世界を赦して生きるくらいなら、死んだほうがマシだと思っていた時期もありましたが、私も尖りがなくなり面白くなくなったものです。

考えが変わったのか、不条理を愛する器が育ったのか、不条理を受け流す術が上手くなったのか。わかりませんが、今日も楽しく運動して、働いて、酒を飲んで寝ようと思います。