失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『それをお金で買いますか――市場主義の限界――』(マイケル・サンデル、2014)

こんばんは、私も、今年から花粉症を発症しまして苦しんでおります。暖かく良い天気で気持ちがいいはずが、花粉で苦しみ集中力も上がらず、仕事もそぞろにだらだら過ごしております。

最近は卒業式シーズン・ホワイトデーで、卒業する後輩たちやホワイトデーのお返しにどんな贈りものをしようかなと選んでいるときに、思い出す話があり、この本を久しぶりに手を取りました。

マイケル・サンデルハーバード大学の政治哲学の大人気講義を書籍にしたベストセラー『これから「正義」の話をしよう――いまを生き延びるための哲学――』を高校の頃に読んで、その後多くの本が日本でも出版されまして、その中の一冊です。

話のテーマはサブタイトルにある通り市場主義と倫理の関係性についてです。市場主義、あらゆるものを値付けし、その値付けされた財の交換と消費によって得られる効用の最大化を目論むことについて、倫理的なぜひを問うものです。そこでは生命保険や二酸化炭素の排出権の売買など様々なテーマを扱いますが、私がそこで一番印象に残っているのは贈り物・プレゼントの効用についての話でした。

結論は、経済学的視点に立てば、プレゼントを買ってはならない、現金を渡すべきだというもので、以下のような市場の論理から導かれるものです。「人は一般に、自分の好みを最もよく知っている」という前提を認めるならば、他人がプレゼントを購入して渡した場合、支払った金額と同額のものを受取人自身が購入した場合よりも効用が必ず小さくなる。そして、そこに「プレゼントの目的は、その受取人を幸せにすること(受取人の効用を最大化すること)である」という前提を付け加えるならば、プレゼントを買って渡すのではなく、使うはずだった現金を渡すべきであるということになる。

 

この是非を問うような章ですが、私は高校で読んだときからこの話がずっと頭に残っていて、大学や社会人に入って贈り物をするようになったりして、贈り物についての私なりの持論を持つようになりました。

私は「人は一般に、自分の好みを最もよく知っている」というのが全くの間違いであるという持論を持つようになりました。保険の仕事をしているときにお客さんと話すなかで感じて考えて形成された持論ですが、人が「こういうことが好きだ」「こんなことをしたい」というのは、混沌として明確に整理されている訳ではないのです。「転職したい」とか「子供は留学させたい」色々な話が出てくるわけですが、奥底まで掘り下げていくと「給料はそこまで気にしないんだけど、私は実は誰と働くか、人間関係の良い職場で働くことが一番大事だと気づいたんだよね。」みたいな話が出てくる訳です。それではその「人間関係の悪さ」ってどういうことで、どこに原因があるのかとかを聴いていくと、「確かに古い会社でみんな噂話や悪口が好きで嫌だなと思っていたけど、自分もそこを黙認しているようなそぶりで、そんな自分が嫌になっていたんだよね。このまま辞めても将来変わらない気がするから、このプロジェクトが終わるまでは必死に頑張ってやってみて、いままではそんな噂話・悪口を適当に流していたけど、一言いやだと言ってみよう。それで会社も相手も変わらなければ、環境を変えよう。」みたいに整理されていって。そのときはじめて自分の知らない自分の気持ちに気づくのです。

私はプレゼントについても同様だと思っていて、相手のことを相手以上に思ってものを選ぶ時間と気持ちに価値があるし、その結果として相手の気づいていない一面を気づかせることにもなると思うのです。自分が似合わないと思っていた色のアイテムを身に着けてみたり、なかなか踏み出せなかった趣味や分野にチャレンジするきつかけになったり。貰うのも嬉しいし、渡して喜んで貰える自分も嬉しい。野口英世福沢諭吉の印字された紙切れを物品に交換し、自分自身以外の誰かに所有権を移すことで、こんなに大きな幸福が生まれるのです。

だから私は人の誕生日やクリスマスとか卒業などの、贈り物をする理由がある日が好きなのです。数を重ねるたびに、相手の期待を上回って、相手のことを相手以上に想い、その気持ちを伝えるのです。

最近は卒業シーズンで、ホワイトデーで、誕生日も重なり、そんな日が続きます。楽しんでいきましょう。

 

※最近良かったギフト

CANDY BOUQUET https://www.instagram.com/p/Cng2NpYJ4jC/?igshid=YmMyMTA2M2Y=