失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『死に至る病』(キルケゴール、1849)

今日も今日とてクソみたいな人生を送っております。お酒を飲みすぎて海馬が委縮しているのか、無理がたたって昨日は24時間のうち17時間を睡眠に費やしておりました。上を向いて、テキーラを口に注いでもらう遊びを思いついて楽しんでいたし、翌日も普通に仕事をしていたのですが、週末になって脳が休憩を要求していたようです。クソみたいな週末を送っていると、揺り戻しで”かしこさ”を高める方向に精神が向き、過去に脳のしわに刻んだ本と対話をする機会を求めるようになるのです。

学生当時の私は生きにくさが高じて哲学を人生のコンパスとすることを求め、必死に咀嚼し吸収しようとしておりました。そんな自分にとって一番の人生の指標となった書が『死に至る病』でした。

無限性の絶望⇔有限性の絶望

可能性の絶望⇔必然性の絶望

この相克のなかで、自身が引き裂かれ絶望していくのです。いままさに自身を引き裂いている絶望も、怠惰な必然性・有限性の絶望を俯瞰し、それを可能性や無限性の世界になげうっても見えてくるものがないなかで、絶望が深まっているのかもしれないです。

そしてキルケゴール先生は、絶望の救済には”神への信仰”が有効であると教えてくれています。ここで難しくなってくるのは、私のなかの神(=道徳や絶対的な法則)は「反省し節制しなさい」という言葉と、「まあ気にせんでええよ」という言葉と、両方を投げかけてくることです。

結局、絶望に常に相対せにゃならんのが人間という生き物なのかもしれないです。

テキーラを注いでもらう自分を律する力と許せる力。禁欲的な行動によって未来をよくしたい自分と刹那的な快楽を満喫できる自分。適度に使い分けて生きていこうと思うのです。

<追記>

mgramという心理分析のアプリを久しぶりにやったら自己愛サイコパスだと診断されました…たしかに自分語りをこれだけ継続してできるということは自分が大好きすぎるのかもしれないです。

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