失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『「いき」の構造』(1930、九鬼周造)

うちではクサガメを飼っていまして、最近の寒さに辛そうです。変温動物は季節の変化に敏感です。ベランダの広々としたビオトープ的な暮らしをいったんやめて、屋内の暖かい水槽を用意してあげなければいけません。

そんなこんなで今週の三連休はゆっくり掃除をしていました。大掃除に近いくらいしっかりやりまして、カメの生活環境準備に加え、コンロをどかして掃除したり、多くのものを捨てたり、色々やりました。掃除やアイロンがけだけの週末、六畳一間の和室から出ない生活、しみったがれてやります。世間では行楽シーズンらしいですが、なんのその、冷えた安ワインと雑な自家製ピクルス、丁寧な暮らしで対抗しております。私は昨月2件の不動産を購入決済したのに加え、勢いで夜の店でお金を使いすぎた関係で、手元資金がギリギリなのです。生命保険P社、私の前職でもありますが契約者貸付なる機能を活用し、なんとか生きながらえることができました。いつも一番の敵は昨日の自分です。そういう訳で、今月・来月は大人しく丁寧に暮らそうと思うのです。

そしてお金がないので、kindle青空文庫無料シリーズで心の渇きを癒すのです。

「いき」つまり”粋”と呼ばれる、日本人独自の概念について哲学的なアプローチで分析していく話です。内包的構造(=粋とは何か)・外延的構造(=粋を構成する要素や反対概念)を分析したのち、自然的表現(=日常生活における粋な表現)と芸術的表現(=芸術作品・表現における粋な表現)を分析していきます。「いき」には「媚態」「意気(=意気地)」「諦め」という3つの特徴があるとします。ブログにすると長いですが、本は短くてわかりやすいので、簡単にメモを残しておくと、「いき」とは下記のものです。

一言にしていえば、媚態のための媚態である

それを構成する3要素は下記のように関係しています。

媚態とは何であるか。媚態とは、一元的の自己が自己に対して異性を措定し、自己と異性との間に可能的関係を構成する二元的態度である。

第二の徴表たる「意気地」は理想主義のもたらした心の強みで、媚態の二元的可能性に一層の緊張と一層の持久力とを提供し、可能性を可能性として終始せしめようとする。(……中略……)媚態の二元的可能性を「意気地」によって限定することは、畢竟、自由の擁護を高唱するにほかならない。

第三の徴表たる「諦め」も決して媚態と相容れないものではない。媚態はその仮想的目的を達せざる点において、自己に忠実なるものである。(……中略……)媚態と「諦め」との結合は、自由への帰依が運命によって強要され、 可能性の措定が必然性によって規定されたことを意味している。

私は祖父が江戸っ子で”いき”な人でした。背も高いですし、土木の会社を切り盛りしていました。口が悪かったですが、いま思うと愛情表現の下手なキュートな一面もあったようにおもえます。私は自覚はないですが、口が悪いとよく言われるのですが、それは祖父の影響を色濃く受けているのかなと思うのです。

部屋を見渡すと、台風の雨で暗く窓も吹き飛んでしまいそうです。けち臭くしみったれた野暮ったい人生。”いき”な男になれるよう、今週も頑張っていこうと思います。

今週のお題「急に寒いやん」