失われた時を求めて

読書に始まる自伝的ブログ

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(マックス・ヴェーバー、1904)

通称『プロ倫』、私は文系の大学生だったで大学で読まされるというか読まないとなみたいなところで出会った本です。この前ブログを読んでくれている知り合いから、「『プロ倫』一緒に読もうよ」と言ってもらって、久しぶりに読み直し、読書会をやりました。

「文系の学問は必要か?」みたいな議論はよくあるけれど、長く読み継がれて議論されるこういった本を読むと、やっぱり必要なんだなと再確認します。大学に入ったとき、「大学で学んだことが社会で役に立つかは分からないけど、世間の情報に溺れて判断を迷うときに、知の巨人の肩に乗って少し高い視座から眺めることで、より良い選択ができるようになる」といった趣旨のことを訓示としていただいたことを思い出して、まさに『プロ倫』はそんな巨人の肩で、私が当たり前に生きている現代社会を相対化して、無意味に溺れて焦ることから助けてくれている一冊であるなと再認識した次第です。

近代資本主義の精神の、いやそれのみでなく、近代文化の本質的構成要素の一つというべき、天職理念を土台とした合理的生活態度は――この論考はこのことを証明しようとしてきたのだが、――キリスト教的禁欲の精神から生まれてきたのだった

大塚久雄訳、1989、岩波書店

 

私は今年の夏くらいから、フランクリンプランナーという手帳を使い始めたんですが、そこの創作エピソードというかそのあたりの話を思い出しました。

フランクリンプランナーは、ベンジャミン・フランクリンという人が考案してブラッシュアップされていっているそうですが、表紙裏に下記のような言葉が記されています。

人生を愛する者よ。時間を浪費してはならない。

人生は、時間でできているのだから。

――Benjamin Franklin

この手帳は『七つの習慣』を分析して作ったもので、オマージュ元の『七つの習慣』は古今東西の成功者と呼ばれる人の成功論・人生論のようなものを分析した本です。『七つの習慣』は成功論を消化した一般向けの本で、学術的な視点では書かれていないので、その成功論の引用元を詳しく記載してはいないですが、恐らくロックフェラーやカーネギーといった経営者のことを参照している気はして、ロックフェラーは敬虔なクリスチャンだし、カーネギーキリスト教的な宗教文化で育ち独自の思想を持った人です。そんな経緯で、『七つの習慣』もフランクリンプランナーもかなりキリスト教的な禁欲の規範や信仰日記のような体裁をもっているように思います。

そしてそもそも私が勤めていた会社も、アメリカの外資系の生命保険会社で、かなりキリスト教的な思想が底に流れていた気がします。個人事業主としての各人が、天職として熱意と情熱をもってその業務に邁進する。禁欲的に行動を自己管理し、より早くより大きく成功へ近づくことによって社会により良い影響を与えていく。体育会系宗教法人とか言われていた気もしますが、私はかなり好きなカルチャーでした。

 

「仕事がつまらない」という言葉を口に出す人は多いとは思うのですが、結局は”信仰の不足”にあるのかなと思います。”信仰の不足”というと少し危ない響きですが、私が言いたいのは、将来の自分が今より良い自分になっているという根拠のない確信と、そこに至る過程である現在の時間をより良く使おうという決意、これなのかなと思うのです。その目線で見ると、つまらない仕事をつまらないまま放置するという感覚は気持ちが悪いし、より面白くするために工夫したり、あるいはいまの時間を無駄にしないために環境や付き合う人を変えるために行動したり、そのために自分を変えたり見つめなおしたり、そんな感覚になる気がします。

 

一方で世の中私みたいに乾いたタイプばかりではないから、会社や仲間が好きでそのために役立ちたいというタイプの人もいるとは思うし、より低コストで給与を享受して余暇を楽しみたいという人、安定して辛い仕事でなければいいという人、色々な人がいると思います。

私はそんな人でも会社で居心地よく働ける制度や文化があればいいのになと思うのです。

特にイキリ営業マンとかワーカーホリックの事務職で、仕事の長さ辛さをアピールすることで自己を満たすタイプの人間が世の中を悪くしていると思っています。色々な人がいるなかで、自分がより良くなることや、人が幸せになることや、組織や社会が良くなることに喜びを見出すべきだと思うのです。自分の渇きを解消するためにイキるのはもったいない気がします。